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バネ鋼

とっても大好きドラえもん

2019年2月1日

  南アジアの武器・武具シリーズはちょっとお休みして、今回はネパールで知らぬものとてないほどに知名度の高い日本の文化についてお話しします。

  ランタンと呼ばれるエリアにほど近いヒマラヤ山中を歩いていた時のこと。標高2,500mにある放牧地の隣に学校がありました。ここは急峻な山の中腹に奇跡のように1km×400m程の平地が広がるというめったにお目にかかれない地形で、学校の運動場もサッカーができるほどに広々としています。
  平地というものが貴重な地域なのでこんな学校は珍しいのです。山の村では大抵の学校はグラウンドなどというものは無いか、あってもテニスコート1面分程度だったりします。
 
ドラエモン

  この奇跡の立地にある学校は1年生から8年生までの子供を教える結構大きなもので、多分周辺の村々の子がみんな集まってきているのでしょう。ヒマラヤでは徒歩2時間までなら十分通学圏内です。
  ちなみに8年生とは何ぞや?とお思いの方々に説明しますと、ネパールの学校制度は日本の6・3・3制とは違う5・3・2制(に2年を最後に足す)というものであるため小中一貫校では最上級生が8年生になるのです。

  さてこの村にあるたった一軒のロッジ(本当はもう何件かあったのですが2015年の地震で潰れてしまいました)に宿を取って学校までぶらぶら歩いていくと、ちょうど昼休みの時間で生徒たちが放牧地で遊んでいました。
  いつもの事ですが外国人は珍しいので皆集まってきます。物怖じしませんね、ネパールの子は。で、子供からおやつなど分けてもらいながら話をしていたのですが、店長が日本人と分かると質問攻めにされました。その質問というのが、なんとドラえもんについての質問なのです。

「ドラえもんの秘密道具は全部でいくつあるのか?」

「日本にはロボットが本当にいるのか?」

「ドラえもんに会ったことはあるか?」

などなど。

  藤子不二雄先生の偉大さを思い知らされました。
  そのあとはノートに秘密道具の絵を描いて当てっこして、最後はみんなでドラえもんの歌を大合唱です。店長のヘタクソな絵でも「どこでもドア」と「タケコプター」はみんな当てましたね。歌の方は子供たちが覚えているのはヒンディー(ヒンドゥー語)の歌詞でした。
   ネパールならネパール語のはずなのに何故ヒンディーか、またそもそもどうしてネパールの子供たちはドラえもんを知っているのか?これには訳があります。

  ネパールでは相当昔からドラえもんがTV放送されており、非常に人気があります。どのくらい前からかというと、当店のスタッフの子供たちがまだ本当に小さかったころから一緒にテレビを見ていた記憶がありますので少なくとも10年以上前からでしょう。
  しかしこのドラえもんはインドで日本語からインドの公用語であるヒンディーに吹き替えられたものをそのまま流しているため、子供たちはヒンディーで覚えてしまっているのです。
  このネパール版(というかインド版)のドラえもんでは、ドラえもんは「ドレーモン」と聞こえます。奴隷モン?はて??確かにのび太の奴隷みたいなもんだが…。どうもヒンディーには「らえ」という発音を「れー」と発音する傾向があるようなのです。
  またのび太は「ノビー」、ジャイアンは「ジャイー」、しずかちゃんだけは何故かそのまま「シズカ」でした。下の写真は当店のスタッフの子供たちが描いたドラえもんのいたずら書きです。
 
ドラエモン

  多分今の若い世代のネパール人でドラえもんを知らない人は少ないと思います。それほどまでに知名度があります。そこで店長は思いつきました、素晴らしいお土産を!
  どら焼きはネパール版ドラえもんでは「ドラケイク」と呼ばれてドラえもんの好物として広く認知されています。にもかかわらず当然ながらネパールには売っていないのでネパール人にとっては幻の食べ物となっているのです。日本でいえば太い骨の真ん中に円筒形の肉の塊が付いている「あの肉」に相当するでしょうか、誰もがテレビで見たことがあるのに誰も食べたことがないあこがれの食べ物です。
  昨年、実際にどら焼きをお土産に持って行ったところ、思った通り大好評でした。これからネパールに出張に行く時の定番のお土産になりそうです。
 

南アジアの武器・武具 その3

2019年1月1日
  南アジアの武器・武具シリーズ第三弾はタルワールです。恐らく「インド人の刀」として最も一般的に思い浮かべられるのがこのタルワールでしょう。肖像画で見るインドのマハラジャ(藩王)がよく腰に佩びているのがまさにこれです。

タルワール

  タルワールはカーブした刀身に十文字の鍔と中央部が膨らんだグリップと円盤状の柄頭という一度見たら忘れられない特徴的な形をしています。ちなみにタルワールという言葉は古代インドのサンスクリット語で”片刃の剣”という意味なのだそうですが、展示されているものは先端部の峰に刃がつけられていわゆる疑似刀になった一部諸刃の剣でした。本当に初期のタルワールは言葉通りの片刃だったのかもしれません。

  下の写真はネパールの国立博物館所蔵のタルワールで18世紀の物です。このタルワールは誰あろうゴルカ王朝第10代君主にしてネパール王国の初代国王になった建国の父、プリトビ・ナラヤン・シャーその人の持ち物でした。

タルワール

  鍔元から刃の先端まで獅子や龍といった動物や蓮の花など一連の精巧な象嵌が施され、まさに王家の刀剣です。これほど凝った作りのタルワールにはまずお目にかかれないでしょう。タルワールは南アジア圏では今でも儀礼用に式典などで使われることがあります。

  続いてソースン・パタです。これは現代では儀礼用としてもほとんど見かけることのなくなった刀剣です。下の写真はネパールの国立博物館所蔵のソースン・パタです。
 真ん中で交差している長剣がソースン・パタで、刃渡りは80cm強、”く”の字型の内側部分が刃になります。更に先端の20cmほどは疑似刀になっており峰部分にも刃があります。
 
ソースン・パタ

  ソースン・パタは斬撃の際に力が逃げにくい構造から”なで斬る”のではなく重さと勢いで”ぶった切る”ククリと同じタイプの刀剣だと思われます。刀身の厚みが優に1cm以上とぶ厚いことがそれを更に裏付けています、さすがは対甲冑用重刀剣です。
  もし同じ長さの日本刀だったら厚み(重ね)は鍔元近くで7〜8mm、刀身の幅もソースン・パタの2/3くらいなので、このソースン・パタのトータルの重さは日本刀二本分といったところでしょう。にもかかわらずグリップの形状からこの重量を片手で扱ったことがうかがえます。

  ソースン・パタといいソースン・パタの右側にある化け物じみたククリといい、この時代の人間は現代人より腕力が遥かに強かったのでしょうか? 確かにこれで切り付けられたら甲冑を着ていても無事で済むとは思えません。しかし銃器の発達によってその甲冑も時代遅れとなり、ソースンパタもまた現役を退くことになったのです。

 

南アジアの武器・武具 その2

2018年12月1日
  南アジアの武器・武具シリーズ第二弾は槍です。槍と言っても色々ありますが下の写真はインド西部にあるフォート・パレス博物館所蔵の槍で、使用されたのは19〜20世紀と結構最近です。

槍

槍

  年代からしてイギリスの東インド会社がこの土地を侵略した際に軍事保護条約を結び自治と引き換えにイギリス軍の駐留を許した頃の物でしょう。柄は木製で穂先の形状から明らかに刺突用の素鎗で刃はついていませんでした。
  下の写真は博物館内の壁画です。ジャイサルメールは砂漠の中のオアシス都市なので軍隊は馬のほかにラクダからなる騎兵と若干の象のほかは大量の歩兵からなるようです。展示されている槍は長さが短く(2mちょっと)軽量な作りであるところを見るとどうやら歩兵の槍のようです。

槍

  このフォート・パレス博物館はインド北西部に広がるタール砂漠の真ん中に忽然と出現したオアシス都市ジャイサルメールにあります。ジャイサルメールは街の中心部に巨大な城(ジャイサルメール城)があり、街の周囲は360°砂漠に囲まれています。この城内にあるかつてのマハラジャの宮殿を改装して作られた博物館がフォート・パレス博物館で、外観といい内装といいその豪華さは南アジア随一ではないでしょうか。
  城も博物館も周囲の砂漠からとれる黄色い砂岩でできており、外壁の装飾も砂岩を削り出して作られた非常に手が込んだものです。一見木彫りかと思うほどに細かな装飾が施されています。
  下の写真が博物館の外壁です。さすがはマハラジャの宮殿! こんなゴージャスな博物館は見たことがありません。

城

  下の写真はジャイサルメール城の入り口で、城を上から見るとさらにその下の写真のような感じです。

城

城

  フォート・パレス博物館の所蔵品は比較的新しいものが多く、銃器の展示もありました。下の写真は上記した槍と同時代の旧式の銃と火薬入れと銃剣です。

銃

銃

  この博物館は武器だけではなくかつてのマハラジャの超豪華な暮らしぶりが分かりやすく展示されたとても興味深い所です。さらに中は砂漠の酷暑から遮断されて若干涼しくもあるので涼しい時間を過ごすためだけでも行く価値アリです。もしジャイサルメールに行くことがあったならここが店長のおすすめスポットです。

南アジアの武器・武具 その1

2018年11月1日
  2018年に丸2週間を費やして次期新商品開発のヒントを探すために(まあ実際は半分以上店長の趣味ですが...)ネパールからインドまで南アジア圏の博物館をめぐって伝統的な武器と武具をたくさん見てきました。とても面白いものが見つかりましたので、これから何回かに分けて収集した武器の画像などを公開したいと思います。

  まずちょっと珍しいところから行きましょう。カートバンガです。これは武器としてはおそらく”石”と並んで人類の黎明期まで遡るであろう”棒”です。元々の用途は打擲棒だったようですが後に権威をあらわす形式的なものになりました。
  下はネパールの国立博物館所蔵のカートバンガです。長い方は1mほど、短い方は40〜50cmです。形式的とはいえ金属製ですのでこれで殴られれば骨も砕けます。

武器

  カートバンガはシバ神の武器としても有名です。シバ神だけでなく闘神インドラやドゥルガー女神など戦いの神が持っていることが多いですね。下の写真ははドゥルガー女神の像で13世紀の物です。しっかりと棒を持っています。
  ちなみにドゥルガーはヒンドゥー教の中では戦闘に特化した非常に強力な神で、ヒンドゥーの神々が魔族に負けそうになった際に神々の力を結集して生み出されました。下の写真は腕が4本しかありませんが、本気になると18本の腕を繰り出して戦います。最終的にカートバンガで魔族達はボコボコにやられた上に三叉鉾でとどめを刺されてヒンドゥーの神々の勝利となりました。

武器

武器

  上の写真はビシュヌ神で、腕の数が多すぎてわかりづらいですが一番後ろ側の右手にカートバンガの一種を掲げています。

  続いて戦輪(チャクラム)です。現在ではほぼ戦闘で使われることはないと思われますが、独特なインパクトがある武器なのでファンタジーものなどによく出て来ます。
  チャクラムは円盤状の鋼板でできており外側が刃になっています。内側の穴に指を通して回転させて投げるか、フリスビーのようにして使うのですが手裏剣のように刺すことが目的ではなく斬ることを意図した武器です。
  下の写真は同じくネパールの国立博物館所蔵のチャクラムで直径は20cmよりちょっと大きいくらいです。本物のチャクラムを見たのは店長はこの時が初めてです。

武器

  手裏剣は直投または放物線を描いて投げることができますが、チャクラムはそれに加えて軌道を左右に大きく変化させた曲投ができるのが特徴です。フリスビーをちょっと斜めに投げると空中を滑るように曲がって飛ぶのと同じです。
  直径20cmの輪がまっすぐ飛んで来たらそれに注目している限り避けたり払ったりするのは難しくないでしょう。しかしわざとあさっての方角に投げておいて相手の注意を何か(突進するふりをするとか)に引き付けておいたらどうでしょう?視界の端からいきなりこんなものが襲ってきたら避けるのは至難です。しかも熟練者は二つのチャクラムの軌道を調節して左右同時攻撃も可能と言いますから、予備知識なしの初見の相手は引っかかるに違いありません。

  このチャクラムはビシュヌ神の武器としても有名です。下の写真はインドのデリーにある国立博物館所蔵の11世紀の青銅製のビシュヌ像です。後ろ側の左手がチャクラムを持っていることが分かります。

武器

  南アジアの武器・武具はこのように神様やそのエピソードと深く結びついているのが魅力の一つです。

バンディプル

2018年10月1日
  バンディプルはネパール中部にある古い歴史を持つ街です。かつて交易で栄えたこの街は今は古い町並みとヒマラヤの眺望を生かした観光地として人気のスポットです。
  これまで店長は噂には聞いていましたが直行便がなくバスを乗り継ぐのも面倒な気がしてなんとなく訪れてはいませんでした。しかし今回は時間ができたのでいよいよ行ってみることにしました。
 

  店長が拠点を置く古都バクタプルからバンディプルを訪れるには、まずはポカラ方面行のバスに乗る必要があります。朝6時発のバスで何事も無ければ昼前にはバスの乗り換え地点であるドゥムレに着くはずでした。
  しかしお約束というか何というか走り始めて4〜5時間後にバスは路上で止まってしまいました。別に故障ではありません、バスの前方に同じく停車した車の長蛇の列があるためです。原因は土砂崩れです。この時期は本格的に雨が降る時期ではないと油断していました。とにかく待つしかありません。
  するとどこから現れたのか、物売りがわらわらと車の列を縫うように果物やらアイスキャンディーやら飲み物やらを売りに来たではありませんか。一番人気はアイスでした。停車中はエンジンを切っているためエアコンが効かないのです。ローカルバスにはもともとエアコンなんてありませんが、この日はちょっと贅沢にエアコン付のツーリスト向けバスに乗ったというのにこれです、まあ仕方がありません。
  それにしても一番近くの町まで数キロはあるこんな道端にどうやって物売りが現れたのか謎です。土砂崩れを予期していたのでしょうか?それも一人や二人ではありません、ざっと20人はいそうです。小さな屋台を引いている者までいます。
  さて15分ほど待つと前方の車に動きがありました。どうやら片側交互通行になっているようです。20分待っては1キロほど進むを2,3回繰り返してようやく土砂崩れ地点を通過できました。
 
  12時45分にドゥムレに着いて乗り換えのバスを待つこと45分、バスで山道を登ること30分、ついに到着しましたバンディプルへ。
 
バンディプル

バンディプル

  低地のドゥムレに比べると標高が高いせいかかなり涼しく感じます。街の構造はネパールでよく見る山の村と同じで、2枚目の写真のように尾根沿いの一本道に沿って高台に細長く建物が並んでいます。建物の様式は噂通りネワール様式でした。ここだけ見るとまるで首都カトマンズやバクタプルにいるようです。ネワール族はカトマンズ周辺に住む民族で本来はこんな南に住んでいるはずはないのです。しかし商売上手なネワール人の一団が重要な交易地であるバンディプルに目を付けて数百年前にここに移住したのでした。交易が衰退した現在、この街並みが観光資源となってまた栄えているのですからよい事をしましたね、ネワール人は。
  同じ理由でネパール国内には昔交易で栄えた場所にネワール様式の街並みが残っている町がいくつもあります。パナウティやドゥリケルなどです。
 
  泊まった宿はヘリテイジ・ゲストハウス 、選んだ理由はネワール様式の伝統家屋であることと宿代がお安い事です。観光地化されているので当然ですがメインストリート沿いのホテルなどはかなりいいお値段なのです。
  眺めがいいので一階の裏庭に面した部屋を選びました。裏庭は花畑です。しかしどういう訳か窓から蜂が入ってきます。いくら窓の外が花畑とはいえあまりに入って来過ぎます。こちらが何もしなければしばらくうろうろ飛び回ってから出ていくだけなので実害はない、とはいえちょっと怖いです。
  不審に思って窓から顔を出して下を見ると青くて四角い箱がいくつか並んでおり、なんと蜂が出入りしているではありませんか! 雑な作りですがこれは蜜蜂の巣箱に間違いありません。客室の窓の下に置きますかね?普通。

バンディプル

バンディプル

  バンディプルは観光地ですのでメインストリートは上記のように観光地化されています。しかしそこはやはり山の上ですので、ちょっと外れるとヤギや鶏が遊ぶごく普通の山の村です。家の戸口では鶏の親子が食べ残しの麺をつついていたりします。

バンディプル

  散歩中に水場発見。尾根沿いにある村の宿命で、水は大変な労力をかけて下から運び上げる必要があります。

バンディプル

  夜になると尾根沿いの一本道はこんな感じになり、いい雰囲気です。日中は日差しがキツイためかあまり歩いている人もいませんが夕方から夜にかけて涼しくなると一転して賑わい始めます。

バンディプル

  翌朝は早起きしてバンディプルのもう一つのウリであるヒマラヤを眺めに行きました。眺望ポイントは宿から15分ほど歩いたところにある広場のようなところ。北東向きの崖っぷちに小さな展望台があります。この日は残念ながらヒマラヤは雲がかかって頂上の一部しか見えませんでした。
  しかしバンディプルは雲より上に位置するため眼下には雲海が広がってこれはこれで一見の価値ありです。雲海はこんな感じでした。

バンディプル

  広場から戻って朝食には窓の外の巣箱産の蜂蜜を出してもらいました。先入観のせいか普段食べている蜂蜜よりフレッシュで美味しい気がしました。皆さんもバンディプルでフレッシュ蜂蜜が食べたければヘリテイジ・ゲストハウスがお勧めです。ただし2階より上の部屋に泊まることをお忘れなく!

山菜カレー

2018年9月1日
  9月と言えばネパールではそろそろ雨期が終わる時期です。それに伴って山菜が豊富に手に入る最後の季節でもあります。
  日本では山菜といえば季節は春ですよね。秋も山菜はないことはありませんが、どちらかと言えば秋は山菜というより木の実やキノコのイメージです。木や草の新芽が伸びるのは、やはり春なのです。
  ですがネパールでは少々事情が違います。ネパールにも春夏秋冬の四季はあります、しかし芽吹きや実りものを大きく左右するのは四季ではなく雨季と乾季なのです。例えば山中にキノコがどっさり生えるのは秋ではなく5月末から9月末までの雨期で、タケノコも春に生え始め、雨期の間中次から次へと新タケノコが出続けます。そして驚くべき事に日本では春にしか生えないコゴミやゼンマイ、ワラビといった山菜が9月になってもまだ平気で生えているのです。
  下の写真をご覧ください。

山菜

  9月にランタン谷付近で撮影したワラビの写真です。標高は3,000mほど、もうすぐ冬を迎える時期で実際ここから三日ほど登ったあたりで早朝に雪がちらついていました。それでも雨期が終わるまではワラビが生えるのです。

山菜

山菜

  麓の村(標高1,950m)の市場ではコゴミが束になって並んでいました。下側の写真のインゲン豆の上に載っている一束で40ルピーほどです。せっかくなので買って帰って当店のスタッフの家でカレーを作ってもらいました。9月のコゴミが日本人にとっては珍しいという事もさることながら、コゴミのカレーなんて発想は日本にはありません。

山菜

山菜

山菜

  まずゴミを取り除いて硬い部分を折って捨てます。ザルに乗っているのが捨てる部分です。最後に台所でスパイスと一緒に煮込んで出来上がったのは、特に癖もアクもない美味しいタルカリ(野菜のカレー)でした。コゴミらしい若干のヌメリも残っています。山菜カレーなんて初めてでしたが、これなら日本で作っても違和感なく食べられるでしょう。
  最近では首都カトマンズでは玉ねぎやジャガイモなどの貯蔵できる野菜だけではなく青菜やナスやブロッコリーなども日本同様に季節に関係なくいつでも手に入る野菜になりました。話によると季節外れの野菜は国境を越えて隣のインドから来るそうです。
  ですが山菜はいまだ季節感(あくまでネパールの季節感ですが)あふれる雨期だけの味覚なのです。皆さんも雨期のネパールで家庭料理を味わう機会があったら山菜カレーを是非リクエストしてみましょう!

六道輪廻図

2018年8月1日
  アンナプルナ山域の下ムスタンと呼ばれるエリアにジャルコットという村があります。その昔、まだネパールが数十もの小さな王国に分かれて争っていた時代(日本で言えば戦国時代に相当します)にはこの村と周辺の地域は一つの小王国でした。今でも村には崩れかけた城塞の跡があります。
  この村に滞在していた時の事です。村の中心部の小高いところに赤いレンガの大きな建物があります。赤という色はネパールではお寺によく使われる色で、その例に漏れずここはこの村の(というか旧王国の)中心となる寺院でした。ちなみにジャルコットは標高3,600mのヒマラヤの山奥ですので、すでにヒンドゥー教の勢力圏を脱してチベット仏教圏に入っており、当然このお寺もチベット仏教のお寺です。

六道輪廻

六道輪廻

  お坊さんに頼んで中を見せてもらったところ中央を取り巻く回廊沿いに非常に立派な壁画があり、その中にネパールでよく見るモチーフを見つけました(下の写真)。それは「円盤に怪物がしがみついている」としか見えない物です。そう言えばネパールの国立博物館にもこれにそっくりな青銅製の大きな像がありました。きっと重要なものに違いありません。
  博物館まで行かなくてもちょっとした巻物や絵画の形を取ってその辺のお寺でいくらでも見つけられるこのモチーフがいったい何なのかは店長にとって長年の謎でした。怪物がしがみついている円の中にはおどろおどろしい絵が描いてあって何だか嫌な予感がします。お寺にあるという事は仏教的な何かであるという事で、よく見かけるという事は仏教の教えに大きく関わる何かのはずで、おどろおどろしいという事は多分何らかの「警告」や「教訓」を含んだものと考えられます。

六道輪廻

  今回思い立ってこのモチーフを調べてみてようやく分かりました。どうやらこれは「六道輪廻図」という物らしいです。六道輪廻図は「りくどうりんねず」と読みます。輪廻というのは死んだ人間が生まれ変わることで、六道というのは生まれ変わったら自分はどこに行くのかが六通りある、という意味のようです。ちなみにしがみついている怪物は、なんと閻魔大王なのだそうです。
  六道輪廻図はこの六通りの生まれ変わり先が具体的かつビジュアルに表現されており、真実かどうかはともかくとして、よくよく見れば見るほどに怖くなります。下手な怪談よりよっぽど肝が冷えますので、季節柄もあることですし、ざっくり説明して当店の読者の皆様に涼しくなって頂きたいと思ます。

  まず上の写真の真ん中にある円が6つに仕切られていることに注目してください。仕切られたそれぞれの部分が六通りの生まれ変わり先になります。右上の、時計で言うなら1時から2時にかけての部分を拡大したものが下の写真になります。ここは皆様よくご存じの人間が住む「人間道」です。今これを読んでいる皆様は人間道にいるわけです。ここだけ見ていれば特に怖くもなんともなく、ごく普通の日常的な風景が描かれています。

六道輪廻

  では続いて「畜生道」に行きましょう。時計で言えば9時付近に描かれている部分です。下の写真の通り、これは動物に生まれ変わった状態です。野生のものや飼われているものなど色々な動物が生きている様子が描かれています。無知で愚かで怠惰に過ごした人間が動物に転生する、という事になっています。「無知で愚かで怠惰」なので他の動物の餌食になったり家畜になったりしても知恵によってそれを回避することができない苦しみを味わうそうです。
  でもまぁそれが野生の掟でもありますし、仕方がないかなという気もします。またここで動物なりによい生き方をすれば死んだあとまた人間道やもっといい所に生まれ変わるという敗者復活も狙えます。

六道輪廻

  ここら辺から怖くなります、「餓鬼道」です。時計で言うと3時付近を拡大したのが下の写真になります。強欲で他に分け与えることをせず人から奪うばかりだった人が死んだらここに転生する、という事になっています。ここには食べ物がほとんどなく、やっと見つけた食べ物を食べてもお腹の中で燃え上って内臓が焼ける苦しみを味わうそうです。絵の中の人が口やお尻から火を噴いているのはそういう訳です。

六道輪廻

  円の下側の大部分を占めるのは「地獄道」です。「六通り」であるにもかかわらず均等に六分割せずここに大きなスペースを割いているという事は、この地獄道こそが一番強調したい生まれ変わり先であることを物語っています。
  まず地獄道の左側を見てみましょう(下の写真)。ここに転生した人間は全身から火を噴いていますね。日本で言う所の焦熱地獄というやつでしょうか?

六道輪廻

  地獄道の右側は逆に体が凍り付いています(下の写真)。日本で言う所の八寒地獄というやつでしょうか?

六道輪廻

  地獄道のメインとなる真ん中部分(下の写真)は日本人にとってもおなじみの針の山、釜茹で、血の池がそろっています。拙い絵ですがやっていることは非常にエグイものがあります。悪事を働いた人は真ん中に、火のような激しい怒りや心を傷つける冷たい言葉を放った者はそれぞれ左右の地獄に転生するそうです。ちょっと、というかかなりやりすぎの感があります。ここにだけは生まれ変わりたくないものです。ポイントを稼げる状況がほとんどない事から、ここで死んだ後に他の場所に敗者復活するのはキビシイものがあります。

六道輪廻

  残るは「天道」と「阿修羅道」です(下の写真)。円の10時から1時くらいまでがそれにあたります。何やら左下の人たちが右上に向かって槍を突き出しているようです。この左下側が阿修羅道で、他人より優位に立とうとして嫉妬したり蹴落とそうとした人がここに転生するそうです。ここは怒りに駆りたてられて我欲のままに戦いと殺戮を繰り返す世界で、ここにいる人たちは常に苦しんでいます。
  うーむ、競争することは一概に悪い事ではないと思うのですが、きっと他人を不当に苦しめるまでに競争することを戒めているのでしょう。日本には不正競争防止法なんて法律もありますよね? まあ地獄道よりはマシそうですが、ここにも生まれ変わりたくありません。

六道輪廻

  上の写真の右上部分が天道です。ここは悪事は働いていないが心地よい自己満足に浸っていた人が死んだ後に転生する場所なのだそうです。天道では人は長寿で何不自由ない生活をしています。更に加えて超能力まで持っていて大抵のことはできてしまうそうですが、かえってそのため自分を見つめなおして修行に励むということをしなくなると言います。まあ阿修羅道に向かって弓を射ている所を見ると、降りかかる火の粉を払うくらいの事はするのでしょう。
  何不自由ないのだから店長的には修行なんてどうでもいい気がしてなりません、生まれ変わるならここがいいですね。ですがチベット仏教的にはそうではないようです。
  どうやらチベット仏教では「自分を見つめなおして修行をする」という事が最高に価値がある事だと言いたいようなのです。では修行するとどんないい事があるのでしょう? 修行すると「解脱」できるのだそうです。では解脱するとどんないい事があるのでしょう? 解脱すると死んだ後もう六道のどれかに生まれ変わらなくて済むのだそうです。つまり上記したような無限ループの世界から脱出する方法が「修行」だという事になります。

  ループ物と言えば「バタフライ・エフェクト」や「All You Need Is Kill」、「ひぐらしのなく頃に」、「魔法少女まどか☆マギカ」等々いくらでもありますが、そこからの脱出方法が「修行」とは斬新だ! と思ったらそれは間違いで、もしかしたら六道輪廻図の方があらゆるループ物の原作に近いものであってその他はすべて二次創作(いや三次?四次?)なのかもしれません。なにしろ仏教は2500年の歴史を持つのですから。
  以前ご紹介しましたラーマーヤナが設定盛り過ぎの中二病ライトノベルの元祖のような存在だったように、今回調べてみた六道輪廻図もなかなか興味深いものでした。ネパールが属する南アジア圏はその気になればインダス文明(4500年前)まで遡るだけに、探せばもっといろいろな元祖や原作が埋もれているような気がします。


山里の初夏の脱穀風景

2018年7月1日
  ちょうど今頃の時期にヒマラヤのヘランブーと呼ばれる地方を歩いておりました。今時期は前年の晩秋に蒔いた麦の刈り取りのシーズンで、道々どの村でも麦刈り風景が見られました。

  コンバインもトラクターもない完全手作業の麦刈りはとてものどか(などと言ったら苦労してやっている村人には怒られそうですが)なもので、しばらく標高2500mほどに位置するメラムチガオンという村に滞在して麦刈りを眺めて過ごしました。

  そこでまず気付いたのは不思議な麦の刈り方です。なぜか根元から刈らずに穂の部分だけ摘み取るように刈るのです。最終的には根元から刈って茎の部分は麦わらにして利用するはずですのでこれでは二度手間です。一体どうしてでしょう? 
  下の写真の上側が麦刈り前の状態、その下が麦刈り後の状態です。麦刈り後の畑はただ茎だけが突っ立っています。そのさらに下は刈り取った穂を干している所です。

脱穀

脱穀

脱穀

  疑問はまだあります、穂の部分だけ刈り取ってどうやって脱穀するのでしょう。下の写真はメラムチガオン村から3日ほど山を下った平地にあるバクタプルの麦刈り風景です。ここではちゃんと根元から刈り取って、麦を束ごと石に叩き付けて脱穀しています。根元から刈り取ったからこそできる技です。ちなみに道に刈り取った麦を広げて人や車に踏ませて脱穀する方法もありますが、ヒマラヤの山奥ではそもそも車が珍しく人もそうそう歩いていないため実行不可能です。

脱穀

脱穀

  穂だけ刈り取る疑問はしばらく眺めているうちに解決しました。「穂のまま保管してその日使う分だけ臼と杵で脱穀する」が答えです。臼と杵は現代の日本ではもっぱら餅つきにしか使いませんが、日本でも昔は臼の主要な用途は脱穀と製粉だったようです。

脱穀

  でも自家消費用ではなく脱穀した麦を売って現金収入を得たい場合はこんな方法では間に合わないはずです。その場合の答えは「殻竿を使って一気に大量に脱穀する」です。

脱穀

脱穀

  殻竿なんて店長は初めて見ました。知らない人も多いと思いますので説明すると、長い棒の先に短い棒がブラブラになる感じで取付けられていて、振り回すと短い棒の部分が麦の山にピシャリと打ち付けられる仕組みになっています。
  こうやって脱穀された麦粒はまだもみ殻とまじりあっていますので分別しなくてはなりません。分別は風力によって行われ、少量なら平たいザルで、大量ならゴザを敷いてもみ殻や茎のかけらを風で飛ばしてしまいます。風のない日は下の写真のように電動送風機を使ったりもします。まあ停電が多いのであまりあてにはなりませんが…。

脱穀

  残された疑問は畑に突っ立たまま残された麦の茎です。最初は畑に牛や馬を入れて勝手に食べさせるのかとも思いましたが、そのような様子は見られず畑は柵で囲われて中に入れないようにされています。秋になると畑は伸び放題の雑草で覆われて、下の写真のような感じになってしまいます。
  その時は結局これについては分からず仕舞いのまま山を下りました。

脱穀

  下山後に文献をあたったところようやく答えが見つかりました。どうやら雑草に見えていたものは雑草は雑草でも家畜の飼料にもなる植物であって、根元から麦を刈らなかったのは一緒に雑草を刈ってしまわないためだったようです。秋には麦の茎もろとも伸びた雑草を刈りとって乾燥させて冬期間の家畜の飼料にするそうです。ある意味麦と雑草の二毛作と言えます。

  麦だけの二期作ができれば一番いいのでしょうが、ヒマラヤの厳しい気候では無理なのです。二期作どころか標高があと1000mも上がれば麦の栽培そのものが不可能になります。ちなみに平地のバクタプルでは麦が二期作されていますので根元から刈り取られるという訳です。

  どれだけ苦労して麦を収穫し脱穀しているのかが分かったせいでしょうか、メラムチガオン村で食べた新米ならぬ新麦で作ったパンや麺はとても美味しく感じられました。

フェルト工場

2018年6月1日
  ネパールの首都カトマンズの繁華街タメルには下の写真のような外国人観光客向けのフェルト屋がたくさんあります。なぜ外国人向けだと思うのかというと、写真をご覧になれば分かるようにデザインがいかにもネパールらしくないことと、知り合いのネパール人のご家庭に行ってもフェルト製品を見かけたことがないからです。

フェルト

  そもそもネパールにおける商業的なフェルトの歴史はそんなに古くはないと思うのです。フェルトショップが目に付くようになったのはせいぜい今世紀に入ってからで、それまではあんなに目立つ店構えなのに見た記憶がありません。

  こんな話を当店のネパール人スタッフにすると、なんと彼の友人がフェルト工場を経営しているというではありませんか、灯台下暗しです。これは行ってみないわけにはいきません。
  工場に連れて行ってもらうと、これまた灯台下暗しで当店と契約する鍛冶工房と同じ並びの徒歩1分の場所にありました。我ながら今までよく気が付かなかったものです。中に入ると15m四方くらいの作業場でまさにフェルト生地が作られている所でした。
  店長はフェルトには詳しくありませんが、簡単に言うと石鹸水を付けた羊毛を平らな台の上でひたすらこすり合わせていると互いに絡み合ってくっついて板状のフェルト(上側の写真)になるそうです。これをちぎって成形して更にこすり合わせてくっつけたりすると継ぎ目なしの一続きのバッグや財布が出来上がるという訳です。下側の写真の紫色の洗面器を伏せたようなものはボウルか小物入れだと思います。

フェルト


フェルト

  作業場に隣接して出来上がったフェルト素材の置き場があり、また縫製や梱包や出荷を行う場所があってサンプル品が並んでいます。次の写真の上側がフェルト素材、下側がサンプル品です。

フェルト

フェルト

フェルト

  さてこれらのフェルト製品のお値段ですが、ひっじょーに安い! 大型のバッグで2,000円程度です。日本でなら10倍近くすると思われます。フェルト好きの読者の皆様、是非ネパールに足をお運びください。

  フェルト工場というものがどういう所なのかを把握してから改めて郊外を散策してみると、洋服やアクセサリー類の工場に混じってフェルトの小さな工場がちょこちょこ見つかるではありませんか。ということはトータルでは結構な量のフェルト製品が生産されていることになり、たかがタメルの十数軒の店に並べるくらいでは済まないはずです。フェルトはどこに行ってしまったのでしょう? そうです、フェルトは輸出されているのです。
  ネパールの統計を調べてみると、その輸出額の上位は毛糸や布地やそれらを使ったカーペットや衣服といったアパレル製品が占めています。フェルトも原料は羊毛なのですからここに含まれているに違いありません。上の写真のサンプル品も聞けばヨーロッパ向けの輸出品とのこと、デザインが垢抜けていたり西洋風だったりするのも頷けます。

  店長はここに新たな可能性を感じます。ネパールは国連が定める世界最貧国の一つです。それでも工夫次第でこうやって付加価値の高い商品を安価に作り出してそれを輸出することで貴重な外貨を稼ぎだす事だってできるのです。ネパールのヨーロッパ向けの輸出入は全輸出入量の1割ほどに過ぎず隣国インドや中国には遠く及びません。しかし稼ぐならインドの通貨「インドルピー」や中国の通貨「元」より断然「ユーロ」や「米ドル」の方が魅力的です、国際的な信用度が違います。ネパールの通貨「ネパールルピー」の信用は最低でもユーロやドルで買えないものはありません。
  日本だって幕末の内戦である戊辰戦争が終わった直後の明治政府は(当時の日本円は国際的には何の信用もなく、銀貨以外の紙幣は紙くず同然でしたので)外貨が喉から手が出るほど欲しかったではありませんか。内戦が終わってまだ10年そこそこのネパール政府だって事情は同じなのです。

  更なる可能性は、こうした工場で働く工員の多くが女性だという事です。店長が見学させてもらった工場も経営者以外は皆女性でした。
  多分これをお読みになっている方々は「それのどこがそんなにいいの?」とお思いでしょう。当然です、日本では働く女性は当たり前です、でも明治初期の日本で女性が働ける職場が多くなかったようにネパールでは女性が働いて現金収入が得られる職場が日本よりずっと少ないのです。
  内戦後に再スタートしたことといい、国の経済状態といい、男尊女卑が残っていることといい、現在のネパールは明治期の日本にくどいくらい符合します。女性が働けずに豊かになった国を店長は知りません(掘れば石油がいくらでも湧いて出るような国は別ですが)。店長はネパールにもっともっと女性が働ける場が増えることを願っています。

揚げ干し

2018年5月1日
  今回はネパールの魚の保存方法の紹介です。皆さんは日本に「焼き干し」という古くから伝わる保存食がある事をご存知でしょうか? これはアジや鮎やカジカといった魚類を一度素焼きにしてからまた干したもので、ただ干した物より痛みにくくなり長く保存できるようになります。また独特の香ばしさがある事からダシを取るのに使われることもあるそうです。

  一方、ネパールは内陸国で海がないため魚は日本ほど一般的ではありませんが、それでも川や池でとれた魚が食べられています。鯉やナマズは大きな市場の魚屋さんに並んでいますし、山奥の渓流には20cmくらいのアサラというパッと見ウグイのような魚がどこにでもいます。
  魚が取れるからには保存方法もあるわけで、もちろんごく普通の干し魚も乾物屋に並んでいます。ですがネパールの低地部は夏季の気温が日本より高いため夏場は単に干しただけでは干しているそばから魚は傷みはじめてしまいます。
  暑いさなかに魚を傷ませずに保存するにはどうするか? やはり焼き干しか? いえいえ焼き干しより更に長期保存できる方法があるのです。それが「揚げ干し」です。

揚げ干し

揚げ干し

  川沿いの幹線道路にあるドライブインなどでは、店先になにやらすだれのようなものがぶら下がっていることがあります。よく見るとこのすだれは魚でできています。これが揚げ干しです。作り方は生の魚を大きなものは切り身で、小さなものは丸ごと竹の串に刺して油で揚げます。水分を飛ばしながら焦げないように揚げるのがポイントです。
  魚は傷む間もなくカラカラになり更に揚げる過程で完全殺菌されるため、あとは常温で軒先に吊るしておいてもOKなのです。海がないネパールでは塩が貴重だった時代が長く続き、塩は高価な物資でした。しかしこの方法なら塩干しとは違って一切塩を使わないで済みます。まあ現在は塩も安価に手に入りますが。

  切り身と丸ごとの小魚を一串ずつ皿に並べたものが下の写真です。切り身が赤いのは元々白身の魚だったのを何やらスパイスに付け込んでいるせいらしいです。食べてみると水分は全くと言っていいほど無くカラッカラで、たぶん強く握ると粉々に砕ける事でしょう。夏場でもここまで乾燥させれば腐りません。

揚げ干し

  このすだれを軒からはずして店の中に入り酒のつまみとして注文する事もできます。その場合はあろうことか更にもう一度油で揚げられた上にトウガラシとハーブ類が振りかけられて出てきます。もうカラカラを通り越してサクサクのスナック菓子みたいです。
  ただ妙なことが一つ。すだれの中に何故か魚の頭がご丁寧に揚げられて入っていました。この配置はどう考えても偶然ではなく意図的です。

揚げ干し

  食べるとは思えないので何かの魔除けかおまじないでしょうか? あるいは魚好きの神様のお供え物にでもするのか? 日本でも昔イワシの頭を串に刺して玄関先に飾って魔除け(イワシの頭も信心から)
にしたりしたそうですので、日常生活に呪術や神様やおまじないがてんこ盛りのネパールなら魔除け説もお供え物説も十分に考えられます。
  というのは考え過ぎで単に猫の餌用なのかもしれませんし、魚の頭の味が好きな人向けなのかもしれません。今度ネパールに出張した時にでも聞いてみます。まだまだ分からないことが多いネパールでした。

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