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バネ鋼

ハレの日の御馳走

2019年8月1日

  かなり前の店長日記でネパールの食事のスタンダードはダルバートであると書いたと思います。ダルバートはご飯に野菜料理と豆のスープがセットになった物の事で、日本で言うなら白飯+みそ汁+鮭の塩焼的な代表的な食事メニューです。このご飯+野菜+豆スープは最低限のセットであって、これにアチャールと呼ばれる漬物のような物が付いたりもします。こうした質素なダルバートが下の写真です。

御馳走

  これが普通の御家庭で毎日朝夕食べられている典型例だと思ってください。この写真では野菜料理はほうれん草の炒め物と生キュウリです。左側の小皿がアチャールで、本当に日本の漬物のように色々な種類があり、各家庭でバリエーションが豊富ですが大抵は非常に辛いです。ひょっとして日本のカレーの福神漬のルーツはこれなのでは?と店長は思っています。

  さて次は豪華版ダルバートを紹介します。御覧下さいこの品数の多さを!ご飯と豆スープの他に野菜が4品、肉料理が3品、アチャールが2種類+生野菜、更にヨーグルトとパパドと呼ばれる薄焼きせんべいのような物まで付いています。

御馳走

  しかしこれは観光客向けのレストランで出されるダルバートであって、ネパールの人達の御家庭ではまず食べられることはありません。値段も通常のサラリーマンの日給に相当するくらいの額ですので食べるのはやはり外国人観光客くらいのものです。

  ところが、一般ネパール人がこのダルバートをはるかに上まわる御馳走を食べる時があるのです。それはズバリ伝統的なイベントがある日です。結婚式や特別な年になったら行う宗教行事の時には10品20品あたりまえの超豪華な食事が振舞われます。
  下の写真などがその例で、テーブルの上には数mに渡って料理が並んでいます。女性の服が金の刺繍入りの高級サリーである事からも何らかの伝統行事であることがわかります。

御馳走

御馳走

  国連から世界最貧国の指定を受けているネパールでは、食事も平均すると日本よりかなり質素だと言わざるをえません。しかしネパールでは普段の何でもない日とハレの日との差が激しいのです。ハレの日の御馳走は普段の食事からは考えられないほど豪華で、大人も子供も何日も前からそれを楽しみにしています。

  我々の祖父母の時代には同様に正月の餅つきが待ち遠しかったり、年に一度の祭りの特別な料理が楽しみだったりしたと聞きます。しかし最近の日本の食事は中途半端に豪華になったせいか、「特別な御馳走を楽しみに待つ」事が少なくなった気がします。
  食事に限らず、生活のメリハリの点ではネパールの方が現代の日本より楽しみ方がうまいと感じます。

南アジアの武器・武具 その6

2019年7月1日

  南アジアの武器・武具シリーズ第六弾はクファンジャル・ダガーです。
  クファンジャルは曲がった刃を持つ諸刃のナイフです。元々は中東のオマーンが発祥の地だったらしいですが、そこからペルシャを経由して東方へ広がりインド・ネパールといった南アジアでも使われるようになりました。
  下の写真はネパールの国立博物館所蔵のクファンジャルです。伝搬の過程で初めは刃がJ字型だったものがややまっすぐになったようですが、この写真のクファンジャルは特にまっすぐなタイプです。グリップはおそらく象牙製で獅子の頭が彫り込まれています。写真では分りづらいですがグリップはややすり減っており刃には使用痕がありますのでこれは実用品と思われます。

クファンジャル

  店長はインドのデリーの国立博物館でクファンジャルを実際に手に取ってみる機会がありました。下の写真がその時の物で、手と較べると大きさがよくわかります。刃渡り僅か13cm、ブレードの中央部にカリグラフィーが描かれています。刃の曲がり具合は南アジアのクファンジャルとしてはごく一般的なものです。

クファンジャル

  更に下の写真のように、グリップと鞘は金属の美しい透かし彫りになっており柄頭は山羊の頭になっているなど非常に手が込んでいるところを見ると、どうやら実用品ではなく儀礼用または美術品としてのクファンジャルのようです。

クファンジャル

  ちなみにインド海軍のミサイルコルベット艦に”クファンジャル”という名前の艦があります。この艦の記章(船を識別するマーク)はもちろんクファンジャルです。下図がその記章です。

クファンジャル

  クファンジャルと出自が似たナイフにペシュ・カブズがあります。ペシュ・カブズはもともとは中東のペルシャ周辺で発祥したナイフでしたが時代を経てパキスタン、アフガニスタン、インドやネパールといった南アジアにまで伝わりました。
  下の写真はネパールの国立博物館所蔵のペシュ・カブズです。パッと見は出刃包丁のようなナイフで、刃は上側の写真のように若干反っているものと下側の写真のように直線的なものがあります。またペシュ・カブズはフルタングで峰が異常に分厚く、先端が針のように鋭利なのが特徴です。なぜならこのナイフは地面に押さえつけた相手の甲冑や鎖帷子のわずかな隙間に針のような先端をねじ込んでそのまま全体重をかけて貫通させるためのナイフだからです。恐ろしいですね。

ペシュカブズ

  この種の伝統的なナイフは銃器が発達して甲冑が時代遅れになるにつれて廃れていくものです。クファンジャルがそのよい例で、発祥の地であるオマーンではすでに儀礼用でしか使われなくなっています。
  ペシュ・カブズもその例に漏れず一時期はほとんど使われることがなくなりました。しかし20世紀末に勃発したアフガニスタン紛争でその実用性が見直され、敵にとどめを刺す際に使われたり護身用に持ち歩かれるようになって再び現役復帰した珍しいナイフです。
  どちらも中東起源で大きさやデザインも似ているにもかかわらず地域の事情によりその運命は違ったものになりました。ひょっとしたらこのシリーズで取り上げられた他の伝統的なナイフ達も戦争や動乱がきっかけでまた息を吹き返す事があるのかもしれません。
  店長は戦争は大嫌いですが個人的にはチャクラムやブンディ・ダガーが活躍する世界を見てみたい気がします。

ヒマラヤの湖 アイスレイク

2019年6月1日
  今回は店長がネパール出張中ですので、ネパールから店長日記をお届けします。最近はヒマラヤ山中でもWi-Fiが使えるのですから驚きです。一昔前は電波どころか電気すらなかったというのに....。
  出張の目的は当店と契約する鍛冶工房の工房長と新商品の仕様の打ち合わせをすることです。一発で満足がいくものができた試しがないので、今回も仕様変更と細部の修正に半年はかかるでしょう。
  運がよければ来年早々に皆様にお披露目できると思います。

  さて、日本から持ってきた要修正/打直しのナイフを入国の当日に工房に引き渡したので、出来上がるまで1週間ほど時間がかかります。そこでせっかくですのでヒマラヤにトレッキングに行くことにしました。

  トレッキング用品は一式すべて当店の現地スタッフの家に保管してあるので手ぶらでネパール入りしても問題ないのです。目的地はアンナプルナ自然保護区にあるアイスレイクという湖です。
  アイスレイクの標高は4,600m。ちなみに富士山は3,776mですので、まあ富士山より高尾山1.5個分高い所にあると思ってください。酸素濃度は地表の半分ちょいです。
  半分ちょいの酸素濃度の所に店長のような素人がいきなり行くのは危険ですが、今はダイアモックスという良い薬があって高山病を(多少は)予防してくれます。ネパールで買えば10錠で100円ですので安いものです。

  ネパールの首都カトマンズからバスとジープを乗り継いでそこから更に1日歩いて、ようやくアイスレイク直下の村であるブラカに着きました。手元にある地図ではブラカ村の標高は3,489mなのでここから1,100m登って1,100m降りてくる、ということを1日でやらなくてはなりません。
  1,000m程度のピストンは珍しくありません。しかし問題はスタート地点の標高がすでに約3,500mだということです。やはり買っておいてよかった、ダイアモックス。

  登り始めたところで後ろを振り返ると、下の写真のようにCGじゃないか?と思うほどの眺めです。

アイスレイク

  4,200mほどまで登ると急に開けて広い草地が現れました。ヤクの放牧地です。夏の間ここで村人がテントを張ってヤクに草を食べさせて、秋に太ったヤクを村に降ろすのでしょう。
 
アイスレイク

  体力を振り絞ってようやくたどり着いたアイスレイクはこんな所でした(ただし地図と現地の標識がどうも違っているようで、このちょっと先にあったもう一つの湖の方がアイスレイクかもしれません)。ダイアモックスの副作用で手指の先がピリピリします。

アイスレイク

  このあたりは午後になると強風が吹き出すのであまりゆっくりはしていられません。携帯食を食べたらすぐに今来た道をそのまま引き返します。
  ちなみにスタート地点から何故かずーと後を付いて来ている犬がいました。こちらがゼーゼー言いながら登っているのに平気な顔で、時々数百メートルほど先に進んでは丸くなって昼寝をしながらこっちが追いつくのを待っていたりするほど余裕があります。さすがに地元の犬ですね、こんな登りはほんの散歩に過ぎないのでしょう。
  下がその犬です。とぼけた顔をしていますがその体力は店長の比ではありません。

アイスレイク

  体力的に極めてキツかったアイスレイクでしたが、途中の放牧テントに立て掛けられたククリを見つけてちょっと嬉しくなった店長でした。

日本と同じ店、違う店

2019年5月1日
  日本にあるお店は、まあ大抵はネパールにも同種の店があります。肉屋さんや魚屋さんからファストフードやピザ屋のデリバリーまで最近はあります。ですがあくまで”同種”であってその醸し出す雰囲気は日本の物とは別物である場合も多いのです。

  まず日本と変わらないものからいきます。下の写真は数年前にできたショッピングモールです。キレイな外観で中も日本のショッピングモールとほぼ変わりがありません。その下はスポーツジムの入り口です。まあ、地方に行けばこんなジムもありますよね。

お店

お店

  次は金物屋です。この辺から徐々に違いが現れてきます。一見日本の地方都市の金物屋と変わらないようにも見えますが、この雑然とした空気感といい藁でできた製品がそれとなくぶら下がっている所といい、そして何より商品が錆びている所などは明らかに違います。金属製品は錆びるのが当たり前なので多少の錆はネパールでは誰も気にしません。
 
お店

  はい、八百屋です。伝統のある朝市などでは日本でもこんな感じで販売されていますね。地面に敷いた50cm四方の布の上に野菜を並べて地べたに直接座って販売する形式も、たまーに日本でも見かける事があります。
  自転車での移動販売も40~50年前の日本では普通にありましたが、今ではちょっと珍しいですね。

お店

お店

お店

  下の写真は布地屋です。”落ち着き”や”渋さ”とは無縁な目が痛くなるようなカラーリングの布が天井まで積みあがっています。中に入ると一段高くなった畳2畳ほどのスペースがあって、靴を脱いでそこに上がって布を広げて見ることができます。色を別にすれば日本の呉服屋に似ています。

お店

  さて、続いては扱っている品物は同じでも販売方法が日本とは大きく違うお店です。下の写真は肉屋です。店頭に横たわっているのは惨殺死体ではなくお店の商品です。ここまでワイルドな販売方法をとっている店は日本にはまずないでしょう。
  その下の青い屋根の家は牛乳屋さんです。中に入るとミルク缶が並んでおり、お金を払うと持ってきた器に直接そそいでくれます。衛生状態は雪印や明治乳業が見たら気を失うくらいのレベルかもしれませんが、牛乳は沸かしてから飲むのが基本のネパールですからそれでいいのでしょう。
  以前の店長日記でも書いたように、無殺菌の生乳は美味ですが日本ではほとんど販売されていません。ですがネパールではリスクを承知の上でならこのようなお店で日本以上に美味しい牛乳を飲むことができます。

お店

お店

お店

  では最後に日本にはほぼ存在しないか、かなり希少といっていいお店の紹介です。写真は銅製品屋です。そもそも”銅製品屋”なんて日本にあるとしてもよほどの専門店でしょう。ですがネパールではその辺に普通にあります。なぜならそれだけ需要があるからなのです。
  扱っているのは銅、真鍮、青銅などで作られた水入れや食器類や装飾品や日用品などで寺院の飾りや器具類も置いています。ネパール人(特にネワール族)は昔から銅製品の加工技術に優れており、今でこそプラスチック製品やステンレスに押されていますが、ちょっと前までは重さ10kgを超える一抱えもあるような銅製の水入れが嫁入り道具として欠かせないものであり、かつ貴重な財産だったのです。

お店

お店

  そして当店としてはこれははずせないお店、日本にはないククリ屋です。どうですか、大きいもので刃渡り80cmはあろうかという数十本のククリは。日本では包丁の専門店でもここまでのディスプレイはしていないでしょう。こんな店がカトマンズ市内にたくさんあるのです。

お店

  どうも銃刀法などという法律があるせいか日本では堂々と胸を張って店先に刃物を並べられない雰囲気があります。ククリに限らずこんなに派手にナイフをディスプレイしているお店は日本では非常に稀でしょう。明治9年の廃刀令から140年以上が経った現在、日本では道具としてのナイフの扱われ方は少々残念なものがあります。
  無人島に流れ着いた人がナイフを持っているかいないかでその後の生存率が数倍違うという話があります。人間の生きる力を何倍にもしてくれるこんな魔法のような道具は他にはありません。ナイフは人間にとって石器時代までさかのぼる頼れる相棒なのです。
  しかしながら素晴らしい道具は犯罪にも悪用されてしまいます。また包丁とククリに区別がないネパールの常識をそのまま日本に持ち込むわけにもいきません。なので日本に上の写真のようなお店が増えてほしいなどとは簡単には言えません、しかし日本でももう少しナイフの価値が見直されてもいいと思うのです。

南アジアの武器・武具 その5

2019年4月1日

  南アジアの武器・武具シリーズ第五弾はブンディ・ダガー、またの名をジャマダハルと言います。
  これまたファンタジーの世界ではお馴染みの武器ですね。インド・ネパール周辺ではククリ同様伝統ある武器なのですが、ククリがネパール軍やイギリス軍グルカ旅団の正式採用品で現役バリバリの武器であるのとは違い、ブンディ・ダガーはもう実戦で使われることはなく、もちろん軍隊に配備されているという話も聞きません。

  ブンディ・ダガーは両手に一つづつ持つか、タルワールと同じくダルとセットで使われることが多いようです。下の写真は19世紀初頭のパルパ戦争の戦利品としてネパールの国立博物館に展示されていたものです。

ダガー

  ブンディ・ダガーの持ち方は、刀身の後ろの横に二本並んだ金属棒を握り込んで刀身と反対側に伸びている金属棒を前腕と平行にします。握りこぶしの延長上に刃がある感じです。
  この”握りこぶしに刃が生えた”という点がポイントで、その運用はボクシングの技に近いものがあります。それに加えてボクシングにはない横に斬り払う使い方もでき、腕と平行な金属棒部分で相手の斬撃を受け止めることもできます。
  ブンディ・ダガーは貫通力が高いため、相手が甲冑を着ていても甲冑の弱い部分を貫通させたり、切っ先を甲冑の隙間に差し込んで体重をかけて突き通す事ができます。
  しかし近代戦では銃器の進歩が著しく、甲冑では小銃弾を防ぎきれなくなっため20世紀に入るころには装甲騎兵による抜刀突撃も甲冑そのものも用いられなくなりました。更に接近戦や白兵戦が激減して、戦闘は主に遠くから撃ち合うものに変化してしまいました。これではブンディ・ダガーの使いどころがありません。これがブンディ・ダガーが戦闘の表舞台から消えていった原因の一つなのでしょう。

  さて、表舞台に出ることがない武器と言えばもう一つ南アジア圏で用いられてきたものがあります。ビチュワです。ブンディ・ダガーにくらべてビチュワの知名度は格段に低いと思います。それもそのはず、ビチュワは暗器(隠し武器)として使われることが多く、あまり人目に触れるものではなかったのです。
  ビチュワは袖や帯の中に見えないようにして持ち歩きターゲットの内臓深く差し込んで素早く立ち去るという恐ろしい使われ方をされてきました。日本や中国で言うなら匕首のような使われ方です。
  下の写真をご覧ください。これはネパールの国立博物館所蔵のビチュワです。握力が弱い女性でもしっかり刺し通せ、かつ取り落とすことのないループ状になったグリップが特徴です。ビチュワとは元々サソリの尾という意味で、ブレードは細身の波打った形(写真左)か錐のように尖った形(写真右)をしています。

ダガー

  実際に使われた手裏剣の現存数が少ないように、このビチュワも表立って使われるものではないため大変に珍しい物で、このように博物館で展示されている例はネパールの国立博物館の武器庫以外では見たことがありません。

  もう一つおまけに表舞台に出ることのない刀剣を紹介しましょう、ラム・ダオです。これは生贄の首を刎ねることに特化した刀で、戦闘用ではありません。ネパールやインドといった神々に生贄を捧げる文化を持つ南アジアの国々で小規模に、しかし連綿と10世紀以上にわたって使われ続けてきた重要な宗教上の道具なのです。
  ラム・ダオは下の写真のように先端部に重心が置かれた独特な形状をしており、写真では分かり難いですがブレードに”目”が象嵌されています。刃渡り1mもあるブレードの形状は一刀のもとに首を刎ねるための機能的なものでしょう。そして”目”は呪術的な意味合いが濃いものだと思われます。

ラム・ダオ

  しかし妙にファンタジーの世界ではこの形状の大刀を見かけることがあります。ブレードの厚みや幅、長さからして日本刀(本差)3~4本分の重さは優にある上に先端部の重量が大きすぎますので、両手で持って振り上げて振り下ろすのが精いっぱいのシロモノでおよそ戦闘では実用的ではないはずなのですが、やはりこのインパクトのある形状に魅せられるのでしょう。

南アジアの武器・武具 その4

2019年3月1日

  また南アジアの武器・武具シリーズに戻ります。今回はダルの話です。
  下の写真をご覧ください。手の大きさと比べると分かりますが直径僅か40cmの丸い形をしたこれは何に使うのでしょうか?これは鍋の蓋でもなければタイヤのホイールキャップでもありません、ダルは盾なのです。シリーズその3で紹介したタルワールとよくセットになって展示されていたりします。
  盾というと体の大部分か少なくとも半分くらいはカバーするものを想像してしまいますが、それは槍や矢を防ぐための盾です。このダルは刀を持った相手と接近戦をするための盾なのです。大型の盾とは違って腕に固定するのではなく、裏側にある取っ手を掴みます。アイロンを熱い面を相手に向けて構えたイメージです。

ダル

ダルの使い方は以下のように多彩です。
 ①相手の斬撃を受け止める 
 ②曲面で相手の突きを逸らす 
 ③こちらの攻撃を相手の目から隠す 
 ④ぶん殴る 
 ⑤最後に組み打ちになったら相手の体に押し付けて動きを拘束する 
①と②は当然ですが、③も重要で、ダルを使って自分の剣と腕の初動を隠せば相手にとっては準備動作なしで突然に攻撃が来ることになり避けにくくなります。またダルは自由に振り回すことができるくらい小型軽量なので、大きめのメリケンサックとして④の用途に使われます。そして甲冑を着た者同士の接近戦の常として最後に組み打ちになった場合は、ダルを突きつけておけば簡単には組み付かれませんし、相手を地面に押さえつける時には手という”点”ではなく”面”で押さえつけることができます。

  下の写真はネパールの軍事博物館にあるグルカ戦争(1814~1816年にイギリスの東インド会社がネパールに侵攻した際に起こった戦争)の様子を描いた絵です。イギリス兵のサーベルをダルで受け止めようとしています。ちなみにネパール兵が右手に持っているのは当店のラインナップで言うと白兵戦用大型ククリと同じくらいのサイズのククリのようです。19世紀初頭まではダルが実戦で使われていたことが分かります。

ダル

  しかし銃器が発達した現在では上記のような実戦で使われることはなくなってしまいました。では何に使われているのかと言いますと、意外なことに主にインテリアとして使われています。下の写真をご覧ください。武器にしては武骨さがなく、丸みを帯びた外見であるため貴族の家の壁などにまるで絵画のように掛けられていたりします。
  更に下の写真はインドの首都デリー郊外のサンスクリット博物館に飾られているダルです。もはやお洒落な壁飾りとなっています。

ダル

ダル

  そもそもダルという言葉自体が”豆”という意味であまり武器らしくありません。日本人のイメージではあまり豆のように見えないかもしれませんが、さらに下の写真にあるように実はダルの形は南アジアで一般的に食べられている種類のお豆(レンズ豆)にそっくりなのです。

ダル

  ちなみに上記のグルカ戦争で辛くも全面敗北を免れはしたが自国に不利なスガウリ条約を結ばざるを得なくなったことを境にネパール軍の装備も急速に西洋化され、軍事博物館に展示されている19世紀末(グルカ戦争から50~60年後)のネパール軍騎兵の装備(下の写真)はグルカ戦争の絵に描かれたイギリス兵とあまり変わらないものになっています。

ダル

  この辺りは幕末に薩摩藩とイギリス軍との間に起こった薩英戦争、そして長州藩とフランス・イギリス・オランダ・アメリカとの間に起こった下関戦争の教訓に学んで、開国後に西洋式の常備軍を新設した日本と重なるところがあります。
  もっとも西洋国家に敗北した後に素早く開国して工業化にシフトした日本とは違って、ネパールが本格的に”開国”するまではグルカ戦争から更に百数十年を要し、その間にすっかり世界から取り残されてしまいました。
  ですがある意味そのおかげ(?)で「時が止まったようなヒマラヤの小国」という独特な地位を確立したわけです。うーむ、どっちが良かったのかなぁ...?

とっても大好きドラえもん

2019年2月1日

  南アジアの武器・武具シリーズはちょっとお休みして、今回はネパールで知らぬものとてないほどに知名度の高い日本の文化についてお話しします。

  ランタンと呼ばれるエリアにほど近いヒマラヤ山中を歩いていた時のこと。標高2,500mにある放牧地の隣に学校がありました。ここは急峻な山の中腹に奇跡のように1km×400m程の平地が広がるというめったにお目にかかれない地形で、学校の運動場もサッカーができるほどに広々としています。
  平地というものが貴重な地域なのでこんな学校は珍しいのです。山の村では大抵の学校はグラウンドなどというものは無いか、あってもテニスコート1面分程度だったりします。
 
ドラエモン

  この奇跡の立地にある学校は1年生から8年生までの子供を教える結構大きなもので、多分周辺の村々の子がみんな集まってきているのでしょう。ヒマラヤでは徒歩2時間までなら十分通学圏内です。
  ちなみに8年生とは何ぞや?とお思いの方々に説明しますと、ネパールの学校制度は日本の6・3・3制とは違う5・3・2制(に2年を最後に足す)というものであるため小中一貫校では最上級生が8年生になるのです。

  さてこの村にあるたった一軒のロッジ(本当はもう何件かあったのですが2015年の地震で潰れてしまいました)に宿を取って学校までぶらぶら歩いていくと、ちょうど昼休みの時間で生徒たちが放牧地で遊んでいました。
  いつもの事ですが外国人は珍しいので皆集まってきます。物怖じしませんね、ネパールの子は。で、子供からおやつなど分けてもらいながら話をしていたのですが、店長が日本人と分かると質問攻めにされました。その質問というのが、なんとドラえもんについての質問なのです。

「ドラえもんの秘密道具は全部でいくつあるのか?」

「日本にはロボットが本当にいるのか?」

「ドラえもんに会ったことはあるか?」

などなど。

  藤子不二雄先生の偉大さを思い知らされました。
  そのあとはノートに秘密道具の絵を描いて当てっこして、最後はみんなでドラえもんの歌を大合唱です。店長のヘタクソな絵でも「どこでもドア」と「タケコプター」はみんな当てましたね。歌の方は子供たちが覚えているのはヒンディー(ヒンドゥー語)の歌詞でした。
   ネパールならネパール語のはずなのに何故ヒンディーか、またそもそもどうしてネパールの子供たちはドラえもんを知っているのか?これには訳があります。

  ネパールでは相当昔からドラえもんがTV放送されており、非常に人気があります。どのくらい前からかというと、当店のスタッフの子供たちがまだ本当に小さかったころから一緒にテレビを見ていた記憶がありますので少なくとも10年以上前からでしょう。
  しかしこのドラえもんはインドで日本語からインドの公用語であるヒンディーに吹き替えられたものをそのまま流しているため、子供たちはヒンディーで覚えてしまっているのです。
  このネパール版(というかインド版)のドラえもんでは、ドラえもんは「ドレーモン」と聞こえます。奴隷モン?はて??確かにのび太の奴隷みたいなもんだが…。どうもヒンディーには「らえ」という発音を「れー」と発音する傾向があるようなのです。
  またのび太は「ノビー」、ジャイアンは「ジャイー」、しずかちゃんだけは何故かそのまま「シズカ」でした。下の写真は当店のスタッフの子供たちが描いたドラえもんのいたずら書きです。
 
ドラエモン

  多分今の若い世代のネパール人でドラえもんを知らない人は少ないと思います。それほどまでに知名度があります。そこで店長は思いつきました、素晴らしいお土産を!
  どら焼きはネパール版ドラえもんでは「ドラケイク」と呼ばれてドラえもんの好物として広く認知されています。にもかかわらず当然ながらネパールには売っていないのでネパール人にとっては幻の食べ物となっているのです。日本でいえば太い骨の真ん中に円筒形の肉の塊が付いている「あの肉」に相当するでしょうか、誰もがテレビで見たことがあるのに誰も食べたことがないあこがれの食べ物です。
  昨年、実際にどら焼きをお土産に持って行ったところ、思った通り大好評でした。これからネパールに出張に行く時の定番のお土産になりそうです。
 

南アジアの武器・武具 その3

2019年1月1日
  南アジアの武器・武具シリーズ第三弾はタルワールです。恐らく「インド人の刀」として最も一般的に思い浮かべられるのがこのタルワールでしょう。肖像画で見るインドのマハラジャ(藩王)がよく腰に佩びているのがまさにこれです。

タルワール

  タルワールはカーブした刀身に十文字の鍔と中央部が膨らんだグリップと円盤状の柄頭という一度見たら忘れられない特徴的な形をしています。ちなみにタルワールという言葉は古代インドのサンスクリット語で”片刃の剣”という意味なのだそうですが、展示されているものは先端部の峰に刃がつけられていわゆる疑似刀になった一部諸刃の剣でした。本当に初期のタルワールは言葉通りの片刃だったのかもしれません。

  下の写真はネパールの国立博物館所蔵のタルワールで18世紀の物です。このタルワールは誰あろうゴルカ王朝第10代君主にしてネパール王国の初代国王になった建国の父、プリトビ・ナラヤン・シャーその人の持ち物でした。

タルワール

  鍔元から刃の先端まで獅子や龍といった動物や蓮の花など一連の精巧な象嵌が施され、まさに王家の刀剣です。これほど凝った作りのタルワールにはまずお目にかかれないでしょう。タルワールは南アジア圏では今でも儀礼用に式典などで使われることがあります。

  続いてソースン・パタです。これは現代では儀礼用としてもほとんど見かけることのなくなった刀剣です。下の写真はネパールの国立博物館所蔵のソースン・パタです。
 真ん中で交差している長剣がソースン・パタで、刃渡りは80cm強、”く”の字型の内側部分が刃になります。更に先端の20cmほどは疑似刀になっており峰部分にも刃があります。
 
ソースン・パタ

  ソースン・パタは斬撃の際に力が逃げにくい構造から”なで斬る”のではなく重さと勢いで”ぶった切る”ククリと同じタイプの刀剣だと思われます。刀身の厚みが優に1cm以上とぶ厚いことがそれを更に裏付けています、さすがは対甲冑用重刀剣です。
  もし同じ長さの日本刀だったら厚み(重ね)は鍔元近くで7~8mm、刀身の幅もソースン・パタの2/3くらいなので、このソースン・パタのトータルの重さは日本刀二本分といったところでしょう。にもかかわらずグリップの形状からこの重量を片手で扱ったことがうかがえます。

  ソースン・パタといいソースン・パタの右側にある化け物じみたククリといい、この時代の人間は現代人より腕力が遥かに強かったのでしょうか? 確かにこれで切り付けられたら甲冑を着ていても無事で済むとは思えません。しかし銃器の発達によってその甲冑も時代遅れとなり、ソースンパタもまた現役を退くことになったのです。

 

南アジアの武器・武具 その2

2018年12月1日
  南アジアの武器・武具シリーズ第二弾は槍です。槍と言っても色々ありますが下の写真はインド西部にあるフォート・パレス博物館所蔵の槍で、使用されたのは19~20世紀と結構最近です。

槍

槍

  年代からしてイギリスの東インド会社がこの土地を侵略した際に軍事保護条約を結び自治と引き換えにイギリス軍の駐留を許した頃の物でしょう。柄は木製で穂先の形状から明らかに刺突用の素鎗で刃はついていませんでした。
  下の写真は博物館内の壁画です。ジャイサルメールは砂漠の中のオアシス都市なので軍隊は馬のほかにラクダからなる騎兵と若干の象のほかは大量の歩兵からなるようです。展示されている槍は長さが短く(2mちょっと)軽量な作りであるところを見るとどうやら歩兵の槍のようです。

槍

  このフォート・パレス博物館はインド北西部に広がるタール砂漠の真ん中に忽然と出現したオアシス都市ジャイサルメールにあります。ジャイサルメールは街の中心部に巨大な城(ジャイサルメール城)があり、街の周囲は360°砂漠に囲まれています。この城内にあるかつてのマハラジャの宮殿を改装して作られた博物館がフォート・パレス博物館で、外観といい内装といいその豪華さは南アジア随一ではないでしょうか。
  城も博物館も周囲の砂漠からとれる黄色い砂岩でできており、外壁の装飾も砂岩を削り出して作られた非常に手が込んだものです。一見木彫りかと思うほどに細かな装飾が施されています。
  下の写真が博物館の外壁です。さすがはマハラジャの宮殿! こんなゴージャスな博物館は見たことがありません。

城

  下の写真はジャイサルメール城の入り口で、城を上から見るとさらにその下の写真のような感じです。

城

城

  フォート・パレス博物館の所蔵品は比較的新しいものが多く、銃器の展示もありました。下の写真は上記した槍と同時代の旧式の銃と火薬入れと銃剣です。

銃

銃

  この博物館は武器だけではなくかつてのマハラジャの超豪華な暮らしぶりが分かりやすく展示されたとても興味深い所です。さらに中は砂漠の酷暑から遮断されて若干涼しくもあるので涼しい時間を過ごすためだけでも行く価値アリです。もしジャイサルメールに行くことがあったならここが店長のおすすめスポットです。

南アジアの武器・武具 その1

2018年11月1日
  2018年に丸2週間を費やして次期新商品開発のヒントを探すために(まあ実際は半分以上店長の趣味ですが...)ネパールからインドまで南アジア圏の博物館をめぐって伝統的な武器と武具をたくさん見てきました。とても面白いものが見つかりましたので、これから何回かに分けて収集した武器の画像などを公開したいと思います。

  まずちょっと珍しいところから行きましょう。カートバンガです。これは武器としてはおそらく”石”と並んで人類の黎明期まで遡るであろう”棒”です。元々の用途は打擲棒だったようですが後に権威をあらわす形式的なものになりました。
  下はネパールの国立博物館所蔵のカートバンガです。長い方は1mほど、短い方は40~50cmです。形式的とはいえ金属製ですのでこれで殴られれば骨も砕けます。

武器

  カートバンガはシバ神の武器としても有名です。シバ神だけでなく闘神インドラやドゥルガー女神など戦いの神が持っていることが多いですね。下の写真ははドゥルガー女神の像で13世紀の物です。しっかりと棒を持っています。
  ちなみにドゥルガーはヒンドゥー教の中では戦闘に特化した非常に強力な神で、ヒンドゥーの神々が魔族に負けそうになった際に神々の力を結集して生み出されました。下の写真は腕が4本しかありませんが、本気になると18本の腕を繰り出して戦います。最終的にカートバンガで魔族達はボコボコにやられた上に三叉鉾でとどめを刺されてヒンドゥーの神々の勝利となりました。

武器

武器

  上の写真はビシュヌ神で、腕の数が多すぎてわかりづらいですが一番後ろ側の右手にカートバンガの一種を掲げています。

  続いて戦輪(チャクラム)です。現在ではほぼ戦闘で使われることはないと思われますが、独特なインパクトがある武器なのでファンタジーものなどによく出て来ます。
  チャクラムは円盤状の鋼板でできており外側が刃になっています。内側の穴に指を通して回転させて投げるか、フリスビーのようにして使うのですが手裏剣のように刺すことが目的ではなく斬ることを意図した武器です。
  下の写真は同じくネパールの国立博物館所蔵のチャクラムで直径は20cmよりちょっと大きいくらいです。本物のチャクラムを見たのは店長はこの時が初めてです。

武器

  手裏剣は直投または放物線を描いて投げることができますが、チャクラムはそれに加えて軌道を左右に大きく変化させた曲投ができるのが特徴です。フリスビーをちょっと斜めに投げると空中を滑るように曲がって飛ぶのと同じです。
  直径20cmの輪がまっすぐ飛んで来たらそれに注目している限り避けたり払ったりするのは難しくないでしょう。しかしわざとあさっての方角に投げておいて相手の注意を何か(突進するふりをするとか)に引き付けておいたらどうでしょう?視界の端からいきなりこんなものが襲ってきたら避けるのは至難です。しかも熟練者は二つのチャクラムの軌道を調節して左右同時攻撃も可能と言いますから、予備知識なしの初見の相手は引っかかるに違いありません。

  このチャクラムはビシュヌ神の武器としても有名です。下の写真はインドのデリーにある国立博物館所蔵の11世紀の青銅製のビシュヌ像です。後ろ側の左手がチャクラムを持っていることが分かります。

武器

  南アジアの武器・武具はこのように神様やそのエピソードと深く結びついているのが魅力の一つです。

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