カートをみる ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS
バネ鋼

君はバスを押したことがあるか?

2020年12月1日

  皆さんはバスを押したことがあるでしょうか? いきなり何を言い出すのかとお思いでしょうが、まじめな話です。誰もこんな統計はとっていないでしょうが店長の推測では典型的なネパール人は数年に一度はバスを押しているのです。

 まだ何を言っているのかお分かりにならないかと思います。そもそもバスを押すとはどういう事か?バスの横に立って側面に手を当ててちょっと力を加えてみるのも「押す」ですし、混んだ車内でバスの内壁にもたれかかるのも「押す」には違いありません。
 しかしここで店長が言っている「押す」は「ぬかるみにはまり込んでスタックして動かなくなったバスを乗客総出で押して脱出する事」を指しています。

バスを押す

バスを押す

 ネパールでは長距離移動の足は何といってもバスです。ネパールは山国ですのでヒマラヤ山中を走るバス路線がたくさんあり、山奥の村々を回ります。
  そんなバスが走る道路はたいてい土か砂利の道です。林道を除いてほぼすべての車道が舗装されている日本ではちょっと想像できないかもしれませんが、ネパールでは幹線道路以外は未舗装を走るのが普通です。
 なので雨が降れば当然のように未舗装のでこぼこ道は泥沼と化します。するとどうなるかと言いますと、泥の中にタイヤが半分沈んでしまったり、穴にはまってしまったり、何でもない坂道でも摩擦力が落ちて登れなくなったりします。特に雨期に多いですが乾季でも大雨が降れば同じことです。

 こういう時は日本なら牽引車を呼んだり代替のバスを出します。しかしここはヒマラヤ山中です。周囲に他の車や助けてくれる人などいるはずもありません。仮に車が通りかかっても車を止めて手を貸すことはできません。なぜなら勢いをつけてこの場所を通り過ぎないと助けるどころか自分がスタックするからです。
 頼れるのは己のみ。ならば乗員乗客全員が知恵と力を振り絞って自力で脱出するほかありません。

 バスを降りて歩くという手もあります。ですがヒマラヤ山中を目的地まで延々数十キロ歩く気になるでしょうか。何もせずに人任せにして席に座っていることも本人の自由です。しかし自分が何もしなければ脱出の確率は下がり、目的地にたどり着けません。やるしかないのです。

バスを押す

 脱出の手順はこうです。まず車体を軽くするために全員下車して、石、草、木の枝などタイヤの摩擦を高めそうなものを探しに周囲に散ります。誰も説明などしませんし、誰も指図もしません。全員がこれから何をすべきなのか心得ているからです。
 石で道の穴を埋め、タイヤの前に枝や草を敷いたら男性全員がバスの後部に回り込んで両手を押し当てるか側面に手をかけます。そして、ドライバーの合図とともに押します。押します、押します、押します!
 それで駄目なら一旦逆方向に30mほど押し戻して、人力+タイヤの駆動力で勢いをつけて難所を走り抜けさせようとします。一度ではまず成功しません。何度も少しずつやり方を変えて挑戦します。

 へとへとになります。泥だらけになります。しかしあきらめるという選択肢はありません。諦めたらそこで試合終了だからです。脱出までに1時間以上かかることも珍しくありませんし、1日に何度もスタックすることもあります。
  店長は1日に3回押したことがあり、これが2020年時点での自己最高記録です(記録が更新されないことを切に祈ります)。

 ちょっと計算してみましょう。店長の経験的な感覚として雨季に山道を走るバスは平均して2日に一度はスタックします。ヒマラヤ山中のバス路線は結構多く、少なく見積もっても100は下らないでしょう。まあ150とします。一つの路線に1日5便と仮定します。雨季はおおむね9月から5月の9か月間とします。
 すると、雨季の間ネパールのどこかで毎日375回ほどのスタックが発生していることになり、9か月で約10万回となります。1台のバスに40人は乗っていますのでスタックに巻き込まれる人数は延べ400万人/年です。
 ネパールの人口は2018年現在で2800万人ですから、恐るべきことに1年間に全人口の実に14%に相当する人数がバスを押している計算になるのです。言い換えると誰しも7年に一度はバスを押す、ということです。実際にバスを押すのは大人の男性だけですので、成人男性に限れば3年半に一度といったところでしょうか。

 こんな運転免許の更新みたいな頻度で日本では一生経験しないであろうバス押し体験ができるワンダーランド、それがネパールです。ちなみにスタックはタイヤにとても負担がかかるので、泥沼から抜け出して数キロも走らないうちにパンクというスペシャルボーナスがつくこともあります。

バスを押す

 もちろん予備のタイヤなど積んでおりませんのでその場でタイヤを外して修理が始まります。人が乗っていると重くてジャッキが上がらないため雨が降っていてもバスを降ろされ木陰で雨宿りする羽目になります。はい、ワンダーランドですね。
   山間部の木陰は雨季は特にヒルが出ます、知らぬ間に服の隙間に入り込み血を吸われます。ええ、ワンダーランドですとも。

 でも力を合わせてともに危機を乗り越えた後は乗客たちととても仲良くなれます。外国人に気後れして話しかけられなかった人達も気さくに話しかけてくれたりお菓子をくれたりします。
 仲良くなるきっかけとしてはあまりに代償が大きすぎるという気もしますが、雨が降る中、目的地まで10時間以上むっつりと座っているより断然楽しく過ごせます。そう考えるとスタックするのが待ち遠しいくらいです.......すみません嘘です二度とやりたくありません。

山奥のパン食文化

2020年11月1日

  世界には「なぜこんな所に?」と思うような場所に意外な食べ物が根付いている事があります。その食べ物が地域の伝統料理や食習慣や歴史とは一見無関係に思えるにもかかわらず、です。 

  20年以上前にラオスに行った時の事です。都市部ならまだしもなぜか相当山奥に行っても地元の市場のあちこちにフランスパンとワッフルが並んでいました。ネズミやオオトカゲの肉と一緒に並んでいるのです、その場違いさは半端ではありません。
  しかもいい加減な作りのものではなく日本のパン屋さんに並んでいてもおかしくないクォリティです。さすがに時間が経つと湿気を吸ってパリパリ感がなくなってしまう(ラオスは熱帯モンスーン気候なので)のは残念でしたが味も上々です。地元の人たちも普通に買って普通に食べています。

  もともと米食であるはずのラオスの山奥にフランスパンがなぜ根付いているのか? ラオス人の先祖はフランス人なのか? 実はあれはフランスパンではなく偶然フランスパンに酷似した伝統食なのか? たまたまフランス人が集団移民した村だったのか? 店長にはまったく理由が分からず不思議な気持ちのまま帰国しました。
  帰ってから調べて分かりました。ラオスは、ほんの短い期間だけ日本に統治されたりもしましたが、19世紀末から約60年間フランスの保護国(というかほとんど植民地)だったのです。
  その当時にフランスパンの味を知ったラオス国民は、独立してから半世紀以上が経った現在でもフランスパンの美味しさを忘れていなかったのです、美味しさは正義です。なるほどと店長も思ったものです。


  さて前置きが長くなってしまいました、実はつい昨年の5月に同じような体験をしたのです。
  ネパールのヒマラヤ山脈にアンナプルナという8,000m級の山があります。過去登山者が60人以上死亡している魔の山です。この山のちょうど裏側にマナンという村があるのです。
  首都カトマンズから半日バスに揺られて、更にジープに乗りついでまた半日かかってようやく訪れることができる標高3,500mの村です。ほとんど富士山と同じ高さですね。
  これでも便利になった方です。ちょっと前までは夏でもふもとから歩いて1週間、冬場は到達すること自体がほぼ不可能だった超山奥の村なのです。

パン

パン

  上の写真のような何の変哲もない山奥の村で店長は美味しいパンに出会ったのです。村の中にはパン屋が少なくとも4件あり、ショーウインドウには各種パンが山積みになっていました。
  単なる白パンだけでなく、定番のアップルパイからガトーショコラやクロワッサンまでありました(でもアンパンはありませんでした)。
  この時期はトレッカーが少なく我々の泊ったロッジも客は我々だけでした。にもかかわらずこの量と品揃えという事は、それだけ村人によって消費されているという事です。
  考えてもみてください。標高3,500mはただでさえ小麦の栽培には厳しいギリギリの環境です。それにこのあたりのチベット系の住民たちの主食は標高が高くても栽培できる大麦から作るツァンパか、ソバやトウモロコシの粉から作るディエロです。
  栽培しにくい小麦を使ってわざわざ伝統や食習慣からかけ離れたパンを作る理由が店長には思いつきません。

  地元の人は食べずにトレッカー相手に売っている、というなら分かります。ちょっと気の利いた宿ではメニューにアップルパイなどがあり、トレッカーがたまに注文してたりするからです。しかしそうではありません、それではトレッカーが少ないこの時期にこの販売量を説明できません。
  またこのエリアでこの村以外ではパン屋を見かけないのも不思議です。なぜこの村だけでかくも普通にパンが食べられているのでしょうか?

  店長が泊まったロッジの食堂にも花瓶に花ならぬ麦が生けられていました。

パン

パン

  この村に至るまでの他の村々の畑に生えていた麦とは明らかに外見が違います。そう、これは小麦、しかもパン小麦の特徴を備えています。
  どうやらこの村で使っている小麦粉は下界から運んできたものではなく、この村で作られたものらしいです。この村でパンが自給自足されている可能性が濃厚になりました。
 
  隣の花瓶には下の写真のような周辺の村でもよく見る大麦が生けられていました。上の写真とは麦粒の形が全く別物です。

パン

パン

  結局滞在中に謎は解けず、不思議な気持ちを抱えたまま下山しました。帰国してからも調べてみたのですが、それらしい文献は発見できずこの村とパンのつながりはいまだ謎のままです。どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?

ネパール軍の部隊旗

2020年10月1日

  カトマンズにある軍事博物館については以前の店長日記でもちょっと紹介しましたが、今回は別の展示を中心に紹介します。それはネパール軍の部隊旗です。

  ネパールの首都カトマンズの中心部から西に30分ほど歩くと広大な軍の敷地に併設されたネパール軍事博物館があります。正門の横に防弾壁に囲まれた小高い監視所があって自動小銃を持った本物の軍人が警備をしている博物館というのも珍しいです。

  ここには18世紀の建国以前から始まって21世紀の国連平和維持軍参加までのネパールの古今の歴史的な軍事資料が集められています。
  例えば、東インド会社(=イギリス軍)と戦った時の刃の欠けた大型ククリや、第二次大戦中のインパール作戦で大日本帝国陸軍からぶんどった日本刀(写真1)といった生々しいものから、ネパール版ナイチンゲールと言ってもいい初の従軍看護師アンナプルナ・クンワール(写真2)の短い伝記や軍楽隊の楽器(写真3)などといったものまでもが展示されています。
  軍楽隊の展示はホルンやトランペットといった西洋楽器の中にネパールの伝統的な太鼓であるマダルが入っているのがいかにもです。


                        写真1

 
                        写真2

 
                        写真3

  そんな軍事博物館の一角には下の写真のようにネパール軍の各部隊の部隊旗がズラッと並べられたコーナーがあり、そのデザインにはなかなか興味深いものがあります。

部隊旗 

  ネパールだけではなく各国の軍隊の部隊旗や部隊章を見るとそのデザインに定番のパターンがあることに気付くのです。

代表的なモチーフを挙げると、

① 駐屯地の地図や地形
② 部隊番号
③ 部隊の特徴
④ 勇猛さを示すもの
⑤ 神頼み

といったところです。

  ①の地図や地形の例は非常に多く、下の写真のように北海道に駐屯する自衛隊の北部方面隊の部隊章は北海道地図そのものですし、静岡県や山梨県を管轄する第1師団は当然のように富士山マークです。
  ネパールの部隊旗ではヒマラヤ山脈をあしらったものがあります。

部隊旗
     北部方面隊           第1師団

部隊旗 


  ②の部隊番号も定番ですね。アメリカ第七艦隊の記章は錨と鷲の後ろに7の文字があります。自衛隊第6師団の部隊章も数字の6です。

部隊旗  
     第七艦隊            第六師団


  ③の部隊の特徴では航空部隊では翼のマークを、落下傘部隊では傘のマークを使ったりします。イタリアのフォルゴーレ空挺部隊は翼に稲妻(イタリア語でフォルゴーレ)をあしらったイカしたデザインです。上記の第七艦隊でも船の錨がアレンジされています。
  名古屋に司令部がある自衛隊第10師団の部隊章は若干やりすぎの感がある金のシャチホコです。北海道の北部方面隊のマークがカニでなくてよかったです。
  ネパールの部隊旗の例では赤十字の衛生部隊や国連軍のマークなどがあります。


    フォルゴーレ空挺部隊         第10師団




  ④の勇猛さを示す例でネパールでダントツに多いのは何と言ってもククリの意匠です。ジャングルや屋内、列車の中など狭くて見通しがきかない状況下で無類の強さを発揮するククリは白兵戦の友でありネパール軍人の勇気の印でもあります(店長日記参照)。
  他国ではドクロの意匠がよく採用されています、いわゆる海賊旗のマークです。有名なところでは旧ドイツ軍の部隊章や襟章でしょうか。
  あるいは強さの象徴としてヨーロッパでは竜、ネパールではユキヒョウなどが採用されることもあります。

部隊章
          ククリがあしらわれた部隊章

部隊旗
     ユキヒョウがあしらわれた部隊旗と仏軍第二竜騎兵連隊旗


  ⑤の神頼みも多いですね。ヨーロッパなどのキリスト教圏では十字架マークが多いです。一方、仏教圏だからと言って仏像のマークは見たことがありません、国民性でしょうか?日本人的には戦争に仏像を持ち出したりしたら何だか仏陀に「仲良くしなさい!」と怒られそうな気がしますからねぇ。
   ネパールでは下の写真のようにシバ神やその武器である三叉鉾、戦いの神インドラやドゥルガーがよく描かれています。ヒンドゥーの神々は魔族としょっちゅう大戦争をしていますので部隊章に採用してもきっと怒られないのでしょう。

          部隊旗 
フランス陸軍第9海兵軽機甲旅団のロレーヌ十字

部隊旗                  シバ神の三叉鉾やドゥルガー神
があしらわれた部隊旗


  ネパール軍の部隊旗はここに展示されているだけで132種類もあります。ヒマラヤの小国が抱える陸軍のみの軍隊としては多すぎです。
  おそらくこの中のかなりの部分がここ40年ほどの国連平和維持軍参加時の部隊旗だと思われます。なにしろネパールの平和維持軍派遣人数は世界第7位なのですから。多くの主要先進国を上回っています。

  第二次大戦が終わって以来ネパールは自国が当事者となった国家間の戦争や紛争を経験していません(内戦はありましたが...)。日本も同様ですがこれは誇るべきことです。店長はこの博物館に平和維持軍以外の戦争資料が増えない事を願っています。

お土産産業

2020年9月1日

  ネパールの観光業は貴重な外貨を稼げる一大産業です。なぜ貴重なのかと言いますと、ネパールは2019年の統計では外国からの輸入額が輸出額の15倍という超貿易赤字の国ですので、政府としては外貨が喉から手が出るほど欲しいところなのです。ちなみに日本の輸出入はほぼ同額です。

  店長は多くのお土産屋さんに商品を卸しているフェアトレードの工房にたまたまお邪魔する機会があったので、今回は観光と深いかかわりがあるお土産物の話をしようと思います。

  観光にはお土産物がつきもので、観光地にはお土産屋さんが並んでいるものです。Tシャツやアクセサリーなどのお土産品を自分で作って売っている小さなお店もありますが、大きなお店では仕入れ先から仕入れて売っていることが普通です。そんなお店に品物を供給しているのが今回訪問したフェアトレードの工房です。
  ちなみにフェアトレードというのはそのまんまフェア(公正)なトレード(取引)という意味で、労働者を搾取したり過酷な労働をさせたり環境負荷が大きい作業をしていないことが証明でき、かつ会計的にも透明性の高いモノづくりをしているという意味になります。
  最低賃金さえ守られていないどんぶり勘定のネパールではこれはかなりハードルが高いことです。

 今回訪れたバクタプルの郊外にあるチュダマニさんの工房は工房というよりはほとんど工場に近いレベルで、従業員はおおむね女性からなります。ここで作っている商品は主に焼き物とお面の類です。下の写真から何を作っているか分かるでしょうか?

 同じものを大量に作るため、まず焼き物の型に粘土を押し込みます。

お土産

  型から取り出したのがこれです。壺のように見えますが...。

お土産

  それをこんな窯で焼きます。

お土産

  焼きあがったものに彩色するとこうなります。

お土産

  な、なんと仏陀の頭でした! 胴体を作っている様子はありません、これは頭だけの置物なのです。仏像の頭だけ、それもこの色彩センス。これを買いたいと思う日本人がいるでしょうか?買ったとして家のどこに飾るのでしょうか?
  仏像にはほかにもいろいろシリーズがあるようです。他人事ながらこんなに大量に作って売れるのかどうかと心配になります。

お土産

  焼き物は仏像だけではありません。こんなのもあります。

お土産

  焼きあがるとこんな感じ。

お土産

お土産

  もっと可愛くできないものでしょうか?表情に独特のものがあるとはいえ、店長にはあまり可愛いとは思えません。
  お面もあります。やはり独特な表情です、これはチュダマニさんのセンスなのでしょうか?

お土産

  巷のお土産屋にあふれている日本人的には微妙な仏像やお面の少なくとも一部はここで生産されていることがわかりました。
  ネパールを訪れる観光客は多い順にインド、中国、アメリカ、スリランカとアメリカを除けばご近所の国が多いので、日本人の感覚では微妙でも南アジア圏の感覚では優れたセンスの人気商品なのかもしれません。

インドラ神の乗り物のお祭り

2020年8月1日

  ネパールでは毎年秋に首都カトマンズでインドラジャットラというお祭りが催されます。ネパールに数あるお祭りの中でも確実にベストテン入りするであろう盛大なものです。
  インドラジャットラという名前の通り、お祭りの主役はヒンドゥーの神様であるインドラ神(下の写真)です。そのはずなのですが、ちょっと情けないエピソードに基づいたお祭りであるせいかあまりインドラが前面に出て来ることはありません。

インドラ

  その情けないエピソードとはこういうものです。
  ある日インドラ神が母親にパリジャートという花をプレゼントしようと考えました。しかしたまたま天界にはパリジャートが咲いていませんでした。そこで彼は人間の姿に扮して地上に降り、庭に咲いていたパリジャートを摘もうとしますが、そこを人間に見つかってしまいます。
  お金を払うとかなんとかすればいいものを、人間界のルールに疎いインドラはうまい言い訳もできずに泥棒として人間に捕まってしまいました。神様なんだから何とでも出来そうなものですが、自分に非があるためか彼はおとなしく柱に縛られてしまいます。
  一方母親は花を摘みに行ったっきり帰ってこない息子を心配して地上を見下ろしてみれば、なんと息子が人間に捕まっているではありませんか!さっそく助けに行きました。

  ここで気が短い神様なら人間達をなぎ倒して息子を奪還するのでしょう。実際、戦いの女神ドゥルガーや死の女神カーリーなら身内にこんなことをされたらカトマンズごと滅ぼしかねません。しかしこの母親はなかなかの人格者で穏便に解決を図ろうとします。人間たちに”カトマンズに五穀を実らせる雨を降らす”という条件を提示して息子を解放してもらったのです。

  インドラ的にはむしろ早く忘れて欲しかったであろうこの情けないエピソードを人間達はいつまでも忘れずに毎年この時期にインドラジャットラのお祭りをするのでした。

  一方カトマンズのちょっと東に位置する古都バクタプルでも同じくインドラジャットラが行われます。こちらはカトマンズのものとは若干趣が違います。祭りのメインの一つがインドラ本人ではなくその乗り物なのです。
  ヒンドゥーの神様にはヴァーハナと言われるそれぞれ決まった乗り物があるケースがあります。バットマンがバットモービルに乗っているように、仮面ライダーがバイクに乗っているように、王子様が白馬に乗っているように、これはもう一つの様式美です。

  中でも最も有名なものがシバ神の乗り物である牛でしょう。インド人やネパール人の多くが牛を神聖視するのはこのためです。当然インドのマックのハンバーガーは中身がチキンか羊の肉で、牛肉100%などもってのほかです。
  そのほかにも上記のドゥルガー女神は虎やライオンに乗っていますし、日本の弁天様に相当する学問や芸術の女神サラスワティーは白いガチョウに乗っています。また象の頭を持った日本でもお馴染みの商売の神様ガネーシャはその巨体にもかかわらずネズミに乗っています。

  ではインドラは何に乗っているでしょうか?戦いの神であり雷神でもあるインドラが乗っているのはアイラーヴァタという白い象です。上の写真をもう一度よくご覧ください。インドラの足元にちゃんと象が座っています。
  ただの象ではありません、アイラーヴァタは4本の牙と七つの鼻を持つ象の王なのです。霧を編んで雲を作り出す能力を持ち、インドラが雷とともに雨を降らせる時にはその鼻でくみ上げた水を使うといいます。
  お祭りではこの象がバクタプルの旧王旧前広場を縦横無尽に走り回るのです。

  お祭り当日には広場にぎっしりと人が集まって、アイラーヴァタが登場するのを待ち受けます。

インドラ

  人々の視線の先にいるのはおおむね本物の象と同じくらいの大きさのアイラーヴァタのお神輿です。ちゃんと象の形をしています。アイラーヴァタはお神輿にあるまじきスピードで走り回り、人々は熱狂します。

インドラ
 
インドラ

インドラ

  ネパールにお祭りは数あれど、神様本人ではなくその乗り物(ヴァーハナ)がここまで大きく取り上げられるお祭りを店長は他に知りません。
  普通ヴァーハナは神様のお供的な存在で、神様と一緒に語られることはあっても単独で活躍することは少ないからです。

  まあこのお祭りに関しては上記のエピソードのような特殊な事情もあり、ちょっと顔を出しづらいインドラ本人ではなくあえてそのお供の方を前面に押し出す形にしたのかもしれません。
  心優しいバクタプルの住民達でした。

消えゆく氷河

2020年7月1日

  いきなり重い話題ですが、ヒマラヤの氷河が消えつつあります。原因はご存じ地球温暖化です。これは世界的な問題なので店長ごときが一人で騒いだところでどうにもならんのですが、今回は店長がよく行くヒマラヤトレッキングで氷河の後退を実感したというお話です。

  昨年ヒマラヤのアンナプルナエリアをトレッキングした際に、宿から目視できる山腹に氷河の端っこが見えたのです。地図上でもほんの2kmほどしか離れていないので宿のスタッフに確認すると「道はないけど行ってこれるよ、行ってもなんにもないけどね」とのこと。何にもなくてもいいから行ってみることにしました。
 宿の窓から見える風景はこんな感じです。

氷河

  宿の近くにはその氷河から流れ出した川がそそぎ込む湖があって湖岸は盛り上がったモレーン(氷河が運んだ岩屑)でできていたので、遠い昔は氷河の端がここまで来ていたことを伺わせます。
  この湖を左に巻いて(右には行くなとスタッフに言われたので)湖にそそぎ込む川を右に見ながらざくざくのモレーンを20分ほど歩くと道はなくなり、だんだんと川原は狭くなり岩がちになってきます。
  更に進むともう岩しかありません、大は自動車から小は鞄くらいの岩からなるガレ場を飛んだり這ったりして進むことさらに2時間、ついに辿り着きました氷河の端っこへ。氷河の端はそそり立つ氷の壁でした!

氷河

氷河

  店長は氷がだんだんと溶けていって氷河の厚みが薄くなって消えていくものと思い込んでいましたが、実際は30mはある氷の壁がいきなりそびえ立ち、その下に崩れ落ちた氷の塊が10m程の幅に転がっているという構図でした。
  せっかくここまで来たのですから氷河で冷やしたビールで一杯いきたいところです。しかし、標高が富士山頂と同じくらいなので酔いが回りやすい事とアルコールが入った状態で帰り道のガレ場を歩く自身が無かったため断念しました。
  せめて氷河のかけらを持ち帰って宿でロックを飲めばよかったと後悔しています。惜しい事をしました。

氷河

  さてここまでの所要時間ですが、宿のスタッフが1時間半くらいで着くと言っていたので多分たっぷり2時間はかかるだろうと思っていたらその通りでした。
  これは地元の人の足が異常に丈夫であることもありますが、氷河が年々後退していることも一因ではないかと思います。なぜなら実際に歩いてみるとどう考えても地図上での2kmより距離があったからです。地図に記された氷河の端の位置は氷河が後退する前の物なのではないでしょうか。
  そしてこんな何もないつまらない所(地元の人にとっては)にそうそう行く事もないので、このスタッフの記憶は恐らく子供の頃のもので、ここ30年ほどで急速に後退した氷河の端っこはその当時はまだ数百m手前にあったのではないかと想像されます。
 
  ぐったり疲れて宿に戻ったらもうお昼を過ぎていました。宿のスタッフが言った通り確かに岩と氷以外なんにもありませんでしたが、氷河を知らない日本人の店長にとってとても不思議な経験した事のないような場所でした。
  きっとこの岩と氷を見たがる観光客も多いでしょう。氷河オンザロックも飲みたいに違いありません。ここはこのヒマラヤの寒村の大きな観光資源になる可能性を秘めています。
  場所はアンナプルナエリアのマナンという村近辺のガンガプルナ氷河です。

氷河

  しかし、しかし、大変残念なことにそこに辿りつく道ゆきがあまりに過酷すぎてとてもお勧めできるものではありません。川沿いに歩いて行くだけなので迷う心配はありませんが、いつどこで足をくじいても、川に落ちても、斜面を滑り落ちても不思議ではない場所の連続です。
  しかも怪我をして動けなくなった場合の連絡手段がありません。ある程度の登山の経験がある者が二人以上のパーティーを組む場合にのみ自己責任で訪問しましょう。店長も友人と二人で実行しました。
  まあ訪れる者を選ぶという点はいかにも秘境っぽくてよいとも言えますが…。

素敵な招待状

2020年6月1日


  ある日当店のスタッフの家に大きな封書が届きました。下の写真をご覧ください。

ブラタバンダ

  これはブラタバンダのお祝いの招待状に違いありません。一目でわかります。なぜなら日本人が見ても何のこっちゃ?という感じの右側の絵がブラタバンダであることを余す所なく物語っているからです。
  具体的には男の子である事、髪をひと房残して剃っている事、弓を持っている事、正しく七歩歩いている事です。絵だけではなくこの招待状を送った家の男の子はヒンドゥーのお坊さんを呼んで本当にこの通りの事をやります。

  で、結局ブラタバンダとは何のことかと言いますと、男の子が一人前になる通過儀礼なのです。つまり法律的にはともかく、慣習としてはこれが成人式になります。
  “ 髪を剃って七歩あるけば一人前かよ? ”などと思ってはいけません。一昔前の日本各地にはもっとバカバカしい成人の儀式がたくさんありました。米俵を一俵担げれば一人前(基準は力だけか?)とか、真夜中に危険な難所を越えられれば一人前(越えられなかった人はどうなっちゃうの?)とか….。

  封筒を開けると中には素敵な招待状が入っていました。なかなか良いデザインです。周囲は金縁で中央にガネーシュが配してあります。
  ガネーシュは象の頭を持ったヒンドゥーの神で商売の神様でもあり障害を除く神様でもあります。この場合は恐らく後者の意味合いで、成人後の人生に立ち塞がるであろう障害を取り除く為のものと思われます。

ブラタバンダ

ブラタバンダ

  中央の文章は伝統に則ってサンスクリットで書かれています。これは日本で言うならお経や祝詞のようなもので、よほど教養がある人でなければネパール人でも読めません。
  さて、実は今回のブラタバンダの主役は当店のスタッフの友人のそのまた友人の息子にあたるそうです。友人の友人レベルの遠いつながりで招待状が来るなんて日本ではまずありませんが、ネパールではこの種の催しはとにかく盛大にやることが重要であるらしく、さらに遠いつながりの店長までもスタッフの「ご家族」枠に入れてもらって当日のパーティーに連れて行ってもらいました。

ブラタバンダ

  これが会場です。夜目にも妖しい輝きを放ち大音量の音楽も聞こえています。近所迷惑を考慮してか周囲に人家はなく、郊外にポツンと建っているあたり更に怪しいものがあります。こんなところ招かれたのでなければとても入っていく勇気はありません。

ブラタバンダ

  会場の入り口から入ってすぐにある玉座のような椅子にこの日の主役である男の子がつまらなそうに座っていました。本人にしてみれば1人だけ友達から離されて御馳走もろくに食べられない訳ですから楽しいはずはありません。
  一方で会場内は豪華な食べ物がバイキング形式で食べ放題かつ飲み放題で、一角にあるステージではネパールでは結構知られた芸能人が歌とトークを披露しています。

  ちなみに日本人がカラオケが好きなようにネパール人は踊るのが好きです。小さな頃から各種行事(特に宗教行事)に踊りが組み込まれているため何のてらいも無く普通に踊ります。
  この日もステージ前では招かれた客が躍る踊る、店長も誘われましたが店長が唯一身に付けているダンスは北海盆踊りだけなので丁重に固辞しました。

ブラタバンダ

  以前の店長日記でも書きましたが普段はつましいネパール人もブラタバンダにかけるお金は半端ではありません。一昔前のいわゆる名古屋の嫁入りのように「息子3人いれば身代潰れる」レベルの費用が掛かります。
  昨今はネパールの経済成長が著しいせいもあってか、都市部では以前に比べて更に派手になりつつあると感じます。
  ただこのブラタバンダは日本の成人式とは違って“ 必ず〇〇歳にやる ”という決まりはないので男兄弟が3人いたら3人まとめて一度で済ますこともできますし現にそのケースが多いです。家がつぶれないための現実的なやり方ですね。

  一方ブラタバンダの招待客も行事を思いっきり楽しみます。ただ座って料理を食べるだけの日本の行事とは違って、招待客が楽しめるような工夫がされており、かつ積極的に参加します。
  特に招かれた子供にとってはお祭り屋台が全部タダのお祭りも同然です。きっと楽しい思い出として一生記憶に残る事でしょう。

  本当に人生にメリハリがある、楽しむことに長けた人たちです、ネパール人は。

ネパールの銅製品

2020年5月1日

  ネパールを歩くとよく銅製品の金物屋を目にする気がします。金物屋は鉄製品の金物屋と銅製品の金物屋とに明確に分かれているのですが何故か銅製品の金物屋ばかりが視界に入ります。商店の中で本当に銅の金物屋の割合が高いのか、それともキラキラと輝く金属光沢が目を引くのせいなのかは分かりませんがとにかく目立ちます。

  なかでも特に目立つ大物はガーグリと呼ばれる甕状の水入れとタウロという大鍋でしょう。これらはもうお店の看板のようなものです。下の写真をご覧ください。

銅製品

銅製品

  上の写真で店の壁面を飾っているのが大鍋です。また下の写真でスマホをいじる兄ちゃんの上にぶら下がっているのも大鍋でその中にあるのが水入れです。
  店長ならこんな所には怖くて座っていられません。なぜならこの直径50cm超級の大鍋の重さは10kg近くあり、水入れも4kgは下らないからです。頭部に直撃すれば死なないまでも大怪我は間違いありません。鍋の取っ手がひっかけてある鉄のレールが程良く錆びているのも不安感をあおります。

  素材はどちらも銅または真鍮(銅と亜鉛の合金)か青銅で赤っぽいのが銅、金色のものが真鍮か青銅です。いずれもかなり厚みがあり、大鍋は日本の同サイズのアルミの大鍋の優に10倍の重さはあるでしょう。
  ネパールにだって軽いアルミ鍋はありますし、水道があれば大きな水入れも必要ないはずです。とすると、これは実用品なのでしょうか?そしてこんなによく見かけるほど需要があるのでしょうか? こんな疑問が当然思い浮かぶはずです。

  まずは実商品なのかという疑問にお答えしますと、水道が整備されていない地方では水入れは十分実用品です。むしろネパールでは水道が整備されている地方の方が限られています。カトマンズのような首都でもちょっと郊外に出ると普通に井戸か共同の水道を使っています。
   カトマンズの隣町のバクタプルにある当店のスタッフの実家も庭に井戸があって洗濯はその水を使います。
  山の村に行くとそれが更に顕著で、水は結構な距離を下って(村は大抵高い所にあるので)川か共同の水場から汲んできます。生活用水は各家庭の蛇口から出てくるものではなく家の中の水入れに貯めて使うものなのです。下の写真が典型的な共同の水場です。

銅製品

  ちなみに銅製なのにも意味があります。銅は加工がしやすいという点も大きいですが水入れとして使うのならば中の水が腐らないようにすることは非常に重要です。銅イオンには殺菌作用があり、銅や銅合金製の器からは微量の銅イオンが水に溶け出しているため水が長持ちするのです。

  次に需要ですが、意外にもこれがあるのです。上記の用途としてだけなら陶器やプラスチックの容器だってかまわないはずです。まあ殺菌力は落ちますが銅製より軽くて持ち運びしやすいという利点があります。価格だってプラスチックの方が桁違いに安いはずです。にもかかわらず一定の需要があるのです。それは贈答品や儀式(特に結婚式)用として欠かせないためです。
  日本でも和服は特別な職業の方を除いて既に実用品としての意味合いは薄いにもかかわらず一定の需要があります。なぜなら和服は結婚式や夏祭りといった伝統行事やパーティーなど、ここ一番の際に威力を発揮するからです。
  同様に銅製の大鍋や水入れもネパールの伝統行事で威力を発揮します。
  ネパールでは結婚式で花嫁が足を洗う儀式があります。ヒンドゥーのお坊さんが厳かにサンスクリットの呪文を唱える中、着飾った花嫁の足をプラスチック製の洗面器で洗えるでしょうか? そうです、ここで大鍋が登場します。料理の道具でもありますが儀式用品でもあるのです。

  大鍋や水入れは親が買い与える場合もありますが親族からの贈答品としても人気の品です。なぜならこれは嫁の財産になるからです。
  そもそも銅は地金自体が高価な金属である上に職人が手間をかけて作り上げた製品は非常に高価なものです。銅製品もピンキリではありますが、本当に良い大鍋は現地のサラリーマンの月給が吹っ飛ぶほどの値段になります。

  銅の水入れは銅板から職人の手により打ち出される鍛造品です。最高級のものは2枚の銅板、というより分厚い銅のホットケーキ状の塊を槌で打ち続けて上半分と下半分の形にして、最後に上下を鍛接したものになります。
  銅合金は熱間鍛造がしやすいとはいえこうした鍛接箇所が1か所しかないものは腕の良い一部の職人しか作ることができません。
  一方安物は3~5枚の薄い銅板を打って鍛接で継ぎ合わせたもので、薄いのであまり槌で打たなくてもよく曲がるため槌目が粗く、継ぎ合わせた鍛接痕が何か所もあることが見た目で明らかなうえに手に持つと軽いのですぐ違いに気が付きます。
  より分厚く重く鍛造の槌目が細く鍛接箇所が少ないものが高級品なのです。

銅製品

  上の写真をご覧ください。二つ並んだ銅の水入れは日本人には同じに見えます、しかしネパール人が見れば右側が高級品であることが明らかです。
  左側は水平な鍛接痕が3か所あるのに対して右側はわずか1か所です。表面の質感も左が粗く右は滑らかです。また写真ではわかりづらいですが右側は首から肩にかけて装飾が施されています。
  これらのことから、ほぼ同じ大きさなのにもかかわらず総合的に値段は右側が左側の3倍以上になるのです。

  こうした銅製品は頑丈であるため何代にも渡って使い続けられることがあります。しかしいつかは穴が空き、ひび割れ、水が漏れるようになります。
  なんでも修理して使うのがネパール流ですから当然ロウ付けや鋳掛で修理されますがどうにもならないほどになった場合でも、もちろん捨てたりはしません。リサイクルに出します。これはお寺や伝統建築の銅製の飾りなどでも同じです。
  銅合金は地金の値段がそもそも高いので結構よい値段で売れるのです。これは高級品低級品関係なく量り売りで1kgあたり700円くらいでしょうか。
  安く思えるかもしれませんがネパールでは700円あれば3人で外でお昼御飯が食べられる事を考えると実質日本での3,000円くらいの価値があります。10kgの大鍋なら3万円になる感覚です。

  こうやって家々やお寺などから引き取られた銅古物は銅細工職人がまとめて買い取って溶かされてまた新しい水入れや鍋に生まれ変わるのです。
  下の写真にある店長が3年前にカトマンズで買って台所で使っている鍋もその素材はヒマラヤの山奥の寺院の百年前の窓飾りかもしれませんし二百年前の神像かもしれません。
  そう思うと鍋から何やらオーラが出ているような、いないような...。

銅製品 
銅製品

ネパールでも外出禁止令

2020年4月1日


  店長です。2月の店長日記でお知らせしましたように今年はネパール観光年です。ですがそれどころではない事態になっております。取り急ぎこの文章の執筆時点である3月31日現在におけるネパールの状況をお知らせします。

  ネパール政府の発表では、ネパール国内で確認された感染者はまだ2名です。ネパールという国が陸の孤島のような立地であることが幸いしているのかもしれません。このまま持ちこたえてくれることを切に祈ります。

  現在日本や諸外国からネパールを訪れるのは非常にハードルが高い状況です。なぜなら政府の方針で、すべての国際線のフライトが停止されて空路からは入国できなくなっているからです。
  陸路でもすべての国境が封鎖されています。ただし重要物資の多くを地続きであるインドに頼っているネパールですから貨物などについては今後も国境の完全閉鎖はできないでしょう。日本と同様に「入国者は2週間の自己隔離」と言っていますがインド人に対しても本気で行うつもりなのか大いに疑問です。国境でいちいち荷物の積み替えなんてするとは思えません。
  さてそのインドでは数百人レベルの感染者が報告されていますのでこれから先のことは全然安心できません。ちなみにネパールは中国のチベットとも国境を接していますが、こちらの方はインドに比べれば貨物はともかく人の往来は非常に少ないです。

  ではすでに入国済みの旅行者なら自由にネパール国内を観光できるのかと言えば、それも難しいです。
  ネパール国内では国内線のフライトと長距離バスの運行が停止されているうえに外出禁止令が出ているので入国しても目的地までたどり着く事は困難かと思われます。同じ理由で、目的地までたどり着いた人はカトマンズまで戻ってくることが困難です。
  またネパール観光の柱の一つである登山ですが、エベレストの登山許可の発行も春のシーズン中は停止されています。エベレストだけではありません、TIMS(トレッキング許可証)の発行そのものが停止しているのでアンナプルナやランタンといった各地のトレッキングエリアに入ることさえできません。

  上記の諸々のことから今観光産業は大打撃を受けています。当店の現地スタッフのもう一つの仕事が観光業なのですが、「10月まで全く仕事がない」とのことです。彼は当店からの収入があるからまだましで、観光一本の方々は壊滅的です。
  乾季のシーズン中は非常に賑わっているはずの外国人ツーリスト街のタメル地区などは過疎化の町の商店街みたいになっていて、5年前のネパール大地震を思い起こさせます。
  これらの措置がいつまで続くのかは分かりません。当面外出禁止令は4/8まで、国際線の停止は4/15まで、エベレスト登山禁止は4/30までとなっていますが、さらに長引くかもしれませんし状況が改善されればネパール政府のことですので案外突然解除される可能性もあります。

  皆様、数か月後になるかもしれませんが、もし安全が確認されて措置が解除されました後には是非ネパール旅行をご検討ください。9月以降にまた乾季が始まって次のシーズンが到来します。ヒマラヤも文化遺産も変わらない姿で皆様を待ちくたびれていることでしょう。

野良犬

2020年3月1日


  最近の日本では野良犬をほとんど見かけなくなりました。店長が子供の頃は少ないながらもまだその辺をうろついていました。公園に行けば「もらってください」と書かれた段ボール箱に入った子犬が本当にいたものです。運よく拾われれば飼い犬に、拾われなければ野良犬になります。そんな光景も21世紀に入ってからはとんと見かけていません。

  一方、ネパールでは事情が違います。現役で野良犬がいくらでもうろついており、その生息密度は店長が子供だった頃をはるかに上回ります。多分我々の父母が子供だった頃の日本がちょうどこんな感じだったのでしょう。

  野犬が増えると色々と不都合な事が起こります。まず第一に犬は人を噛みます。猫だって場合によっては人を噛みますが人は猫より圧倒的に体が大きいので普通は猫に噛まれることに脅威を感じたりしません。しかし犬となると中型犬ですら素手の人間の戦闘力を凌駕します。まして大型犬なら大量殺人も可能です、脅威なのです。更に悪い事に犬は猫と違い群れを作ります。犬の群れはたとえ人間が銃を持っていても強敵です。
  そして更に不都合な事に犬は噛むことによって狂犬病を人に伝染させることがあるのです。ちなみに猫も狂犬病に感染しますが猫が積極的に人を噛むことはそうそうありません。

  幸い野良犬の脅威を感じることは今の日本ではほぼありません。しかしネパールでは特に旅行者にとっては依然として恐ろしい相手です。夜間や人気が無い町はずれで野犬の群れに出会った時の恐ろしさと言ったらありません。
  地元の人は暗黙の協定でもあるのか単に慣れているせいなのかあまり襲われることはないようですが、よそ者である旅行者は野犬にとって自分たちのテリトリーを犯す侵入者であって容赦ありません。また奴らが狂犬病の予防注射など打っているはずもありません。

  日本ではこのような不都合を解消するため、ちょうど我々の父母が子供だった時代に施行されたのが狂犬病予防法です。これによって野犬は捕獲され殺処分されるようになり、飼い犬の予防注射も義務化されました。そのおかげで環境省の殺処分数の統計では45年前の年間109万頭から、最近ではおおむね1/100である1万頭前後にまで激減しました。  野良犬を見かけなくなるわけです。ちなみに猫も捕獲の対象ですが上記したように人間にとってあまり脅威ではないためか熱心に捕まえている様子もなく、現在でも野良猫は普通に見かけます。

  さすがは公衆衛生が行き届いた日本ですね。でも店長も野犬に噛まれたくはありませんが、人間に管理されていない自由な動物が人間と関われないというのはちょっと寂しい気もします。下のような光景が道端で普通に見られるとなんだか同じ世界に一緒に生きている感があって安心します。いや、噛まれたくはないですけどね。

野良犬
 
 

ページトップへ