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バネ鋼

ひよこ売り

2021年6月1日

  6月のある日、街を歩いていてひよこ売りのひよこを見つけました。ひよこ売りは現在の日本では珍しくなりましたが平成の初めくらいまではその辺のお祭りの屋台で普通に売っていました。店長も小さい頃にお祭りで買ってもらった記憶があります。
  お祭りのひよこは弱っていて死にやすいのですが、首尾よく成長すると当然ニワトリになり、早朝にコケコッコーと鳴き始めます。すると住宅が密集した昨今の日本では近所迷惑となり飼い続けることが難しくなってしまいます。つまりペットとしては適していないのです。
  お祭りで金魚すくいが無くならないのにひよこ売りを見かけなくなった理由の一つはこれだろうと思います。

  一方ネパールではひよこ売りは珍しくもなんともありません。現在でも現役バリバリの職業です。でも購入するのは養鶏場ではなくその辺のご家庭です。
  多くのご家庭で飼っていればお互い様なので騒音問題にはなりません。ただしペットではないのです。これらのひよこ達は可愛い外見とは裏腹に食用の家畜として買われていきます。
  ひよこは通年で売られていますが毎年9~10月にあるネパール最大のお祭りであるダサインに美味しく頂くためにそろそろ飼い始める家が増えてくる時期なのです。
  もちろん鶏肉は下の写真のようにお肉屋さんでも売られています。しかしお肉屋さんで売っているブロイラーより庭で平飼いした鶏の方が数段美味しいのです。特別なお祭りには特別な鶏が食べたいじゃないですか。
 
ひよこ

  これが道端で見つけたひよこ達です。日差しがきついので籠の上には日除けの段ボールの切れ端(?)が置かれています。
  カメラを近づけると逃げるどころか上の写真のようにレンズに寄ってきました。ひよこ売りのひよこはさすがに人馴れしています。放し飼いだとこうはいきません、一目散に親鳥の所に逃げていきます。
  あまりに可愛いので動画も付けました。
 
ひよこ





  以前の店長日記でも書いたようにネパールではご家庭で鶏を飼う事は普通の事です。当店のスタッフの実家でも飼っています。その辺の道端で育ちますのでカラスや野良犬や自動車から逃れてダサイン当日まで生き残る確率は10%くらいでしょうか。
  まあ生き残ったところで最後は食卓に上がるわけです。しかし最優秀の雄鶏1羽と一部の雌鶏は繁殖用と玉子生産用としてエクストラステージに進むチャンスが僅かながらあります。
 
ひよこ
                        勝ち残ったベストカップル

  鶏を飼っている家の子供は雛を買ってきて、育てて、その命を頂くところまでを自宅で経験することになります。小学校で生き物係になるどころの話ではない実践的な食育と言えましょう。

どんな山奥にも村がある

2021年5月1日

  ネパールの山地を歩くと、どんなに山奥に入っても村や集落があることに驚きます。下の写真はサガルマータ国立公園内にあるキンジャ川の両岸を写したものです。左側の斜面にご注目ください。

村

  点々と家があるのがお分かりいただけるでしょうか。左を向いて正面から斜面を撮った写真が下になります。

村

  傾斜30度はあろうかという斜面に見える白い点はすべて農家です。画面からはみ出した分も数えると全部で100軒はありそうな大きな集落です。でもこの写真を撮った場所はバスで行けるところまで行った後に更に二日間歩かないと到達できないような場所なのです。

  傾斜がきつすぎて平らな畑では土が流れてしまうので斜面の大半は段々畑になっています。川を渡って近づいてみると更に段々畑がよくわかります。

村

  こうして見るとやはり傾斜は30度はありますね。いったん谷底まで降りてから登ってここまで来るのに1時間半かかりました。この立地では水は谷底まで汲みに行くしかありませんのでここの住民にとっては往復1時間半が当たり前なのでしょう。
  こんな不便な集落が行けども行けども視界に現れるのです。でもよく見ると家は2階建てで立派ですね。

村

  なぜこうまで山奥に家があるのでしょう? ネパールはヒマラヤの小国であり国土の80%が山地か丘陵地なので山がある事自体は当たり前です。
  しかし日本だって山地と丘陵地の割合は国土の75%なのに山奥にある集落は多くありません。少なくとも日本では山の中を歩けばどこにでも集落がある、という状態ではありません。日本では某TV局で「ポツンと一軒家」などという番組ができるくらい山奥の家は珍しいのです。

  この違いは人口の集中度の違いです。日本では人口の90%が都市部や平地の市街地に集中していますが、ネパールでは都市部への人口の集中はせいぜい20%で、残りの80%以上が山間部に住んでいるからなのです。
  しかもネパールの人口は日本の2割程と少ないとはいえ、国土が狭いため人口密度で言えば新潟県や鹿児島県とほぼ同じになります。つまり人は結構いるのです。
  新潟県や鹿児島県の都会に住む人たちのほとんどが市街地を離れて山間部に薄く広く散った状態が、即ちネパールと同じ状態という訳です。そりゃ山を歩けば集落にぶつかるわな、と納得します。

  もちろん工業化が進んだ日本ではこれは実施不可能です。山間部に散った人たちの働く場所がないからです。なにしろ日本の農業人口は全人口のたったの1.4%しかありません。農産物の輸入をすべて停止したとしてもとても都市部の人間を吸収しきれません。
  一方ネパールの農業人口は70%です。実に日本の50倍! 都会に出なくても十分仕事があるのです。
  農民の割合が今の50倍の世界なんて想像できないでしょうか? いいえ、そうでもないと思います。ちょっと前まで日本でもそうだったのですから。
  昭和初期には日本の人口の半分が農林業に就いていましたし、もっと遡って明治6年の統計では農業就業人口は実に80%です。農業就業人口で見る限り現在のネパールの状況は明治初期の日本と同じくらいだと言えます。恐らくその当時の日本の山地を歩けば、ネパール同様どこに行っても村や集落が点在していたと思われます。

  こうして考えるとある意味ネパールの山村を訪ね歩くことは明治初期の日本の山村を訪ね歩くことに等しいとも言えます。一種のタイムトラベルができるわけです。
  そこは日本ではもう失われてしまった地域の伝統や言い伝えや神事などがまだまだ残っている別世界です。今からでも民俗学のフィールドワークをすればネパール版の遠野物語の再現ができるかもしれません。
  まあフィールドワークまでは行かなくても、トレッキングが趣味の店長は山奥の村を訪ねるといつもワクワクするのです。

ドゥリケルからパナウティへ棚田ツアー

2021年4月1日

  ドゥリケルとパナウティは首都カトマンズから見てバスで東に2時間ほどの所にある町です。どちらも数百年前にネワール族が築いた街で、交易路上にあったため大変栄えましたが時代とともに交易ルートが変化し、今では観光客も訪れない静かな街になりました。

  街中には栄えていたころに建てられた伝統的なネワール建築が多く残っているので、伝統的な建築物に興味がある人ならそれなりに見どころはあります。しかし今回は街そのものではなくドゥリケルとパナウティの間にあるものに着目したいと思います。

  間とはどういうことか?ドゥリケルとパナウティの間には立派な車道が走っており、バスでほんの30分の距離です。しかしバスとは逆回りに未舗装の山道を歩くルートもあるのです。
  そのルートの途中にはナモーブッダというネパール人にはよく知られているが外国人はほとんど訪れないというローカルメジャーな寺院や歩いても歩いてもなお続く広大な棚田があったりして、お好きな方にはたまらないお散歩ルートなのです。
  まあこれがお好きな方は100人に3人いるかいないかくらいでしょうが、その選ばれた一人である店長は秋のある日思い立って歩いてみました。

  どれだけ時間がかかるか分からないので余裕をもって朝5時40分にドゥリケルの宿を出ました。この時間でも外を歩くともう家や店の前を掃除している人がたくさんいるのはさすがネパール人です。

棚田

  まずは丘を登って頂上のカーリー寺院に参拝してからナモーブッダにむかって歩き出しました。とはいっても初めて歩く道のうえにルート上にある集落の人達が日常使っている道なので決して一本道という訳ではなく複雑に枝分かれしています。
  当然地図は買って持っていましたが地図が悪かったのか載っていない道があまりにも多くて全く役に立ちません。それらしい道を歩いていくと畑にぶつかって行き止まり、なんてことが何度もありました。
  こういう時は、そう、現地の人に道をきくのが一番です。幸い集落の人が結構歩いていたので道をきくのに困ることはありませんでしたが、現地人はえてして「大きい道」や「正規の道」ではなくいつも自分が使っている「最短距離を行く道」を教える傾向があります。そのためどう見ても獣道だろ?という道を指さされた時に迷わずその方向に踏み出す強い心が必要です。

  ルート上には数年前の大地震で崩れた農家がまだ修復されずに残ってたりして大変気の毒でした。見たところ壁に鉄筋は一本も入っていません、これでは地震で崩れるはずです、日本なら建築基準法違反です。

棚田

  歩き始めて3時間半。そろそろナモーブッダが近いはずなのですが霧が出てきてますます道が分からなくなってきました。そんな時、霧の向こうから見慣れたものが現れました。五色にはためくこれはまさしくタルチョー(チベット仏教の祈祷旗)です。山の中で畑があれば近くに人家があるように、タルチョーがあればお寺が近くにあるしるしなのです。

棚田

棚田

  ほらありました、ナモーブッダです。噂通りネパール人はたくさんいましたが外国人は一人もいません。
  ここで参拝客に道をきくとやはり大きな道ではなく巨大マニ車の横から藪の中を下っていく細い道を指さされました。迷わず下った店長はお陰でわずか20分足らずで丘を降りきってシャンクー村までショートカットすることができました。
  でもサンダル履きの方にはお勧めできない凄い道でした。トレッキングシューズを履いてきて良かったです。

  シャンクー村はほとんど平地と言っていいほどの緩やかな斜面が広がった村で、一面の棚田でした。棚田の中に村がある、という感じです。歩いても歩いても途切れることなく棚田が続きます。店長はこんな風景を日本では見たことありません。

棚田

棚田

棚田

棚田

棚田

  ちょうど実りの季節でしたので、棚田のあちこちで家族総出で稲刈りが行われていました。無論日本とは違ってコンバインなどありません。人力で刈り取り、人力で金網に稲束を叩き付けて脱穀します。歩いても歩いても続く棚田の稲を全部こうして収穫するのかと思うと気が遠くなりそうです。
  日本でも昭和初期までは同じ事をやっていたとはとても信じられません。店長なら初日に腰を壊すこと間違いなしです。

  小一時間ほど歩いてシャンクー村を抜けると左手に川が見えてきます。パナウティで二股に分かれるプニャマタ川です。
  パナウティに着いたのはちょうど昼の12時、ドゥリケルから6時間20分かかった計算になります。途中お茶を飲んだりお寺を見学したりしたので、実質歩いていたのは6時間もないでしょう。雨は降りませんでしたが獣道を歩いたせいか露で靴がぐっしょりです。
  ドゥリケルとパナウティは地図上の直線距離だと6kmしか離れていませんので随分と遠回りのお散歩になりました。しかしそれだけの価値はありました。

  皆様も如何でしょうか?ちょっとお目にかかれないような風景の中をさまよい歩く体験ができますよ! ただし歩き始める前にスマホにこの辺りが詳細に載った地図を入れておくことを強くお勧めします。地図によっては山道が全然載ってないものもありますので注意が必要です。
  この準備を怠ると皆様が望む以上にさまよい続ける羽目になります。

珍しい訪問者

2021年3月1日


   かなり前にネパール南部の田舎の村を訪れたことがあります。村の名前はカジュリと言います。

  その村はインド国境からほんの1kmほどしか離れていない国境の村です。インドとネパールの間の国境なんて地元住民にとってはあって無いようなものなので出入りも自由で、実際村の中の道を歩き続ければそのまま国境にたどり着いてしまいます。と言っても国境のインド側には何にもないので交易で栄えている訳でもなんでもなく、単なる普通の村でした。
 カジュリ村の特徴は国境よりもむしろ鉄道にあります。村はネパール国内を走る唯一の鉄道であるジャナクプル鉄道の線路によって南北に分けられ、村内に駅もあるのです。

  残念ながら人も物資もカジュリ村を素通りして鉄道の始発地点であるジャナクプルかインド側の終点の駅に行ってしまいます。またそもそも列車は1日2往復しかしないので運べる人数も物資もたかが知れています。本当にただの小さな田舎の村なのです。
  店長の滞在地もジャナクプル鉄道の始発駅があるジャナクプルであって、当初はこの村の存在も知りませんでした。ですがネパール唯一の鉄道と言われれば一度は乗ってみたいではありませんか。さすがに日本人は国境を越えた終点駅までは行けませんので、ひとつ手前の駅で降りてみらこの村だったという訳です。

  カジュリ駅を降りると目の前に小さな食堂兼売店があります。というか駅舎もプラットフォームもなく、いきなり売店しかありません。足元から左右に地平線まで伸びるレールには枕木もありません。線路って枕木が無くても大丈夫なんだ、という驚きがありました。

訪問者

  売店の横には大木を囲んだチョウタラと呼ばれる休憩所があり日陰になっているので村人が何人か座っておりました。
  で、このチョウタラにいる村人の視線が非常にキツイのです。別に敵意がある視線ではなく、異様なものを目にした時の視線でした。こんな目で見られることってなかなかありません。痛い、痛すぎます。
下の写真をご覧ください。
 
訪問者

訪問者

訪問者

  そうです、田舎の村には外国人などめったに来ることはありません。肌の色も服装も非常に異質かつ目立つのです。特に子供はたった今UFOから降りてきた宇宙人でも見るかのような警戒心もあらわな目つきでこちらを凝視しています。(違います、列車から降りて来た日本人です!)
  でも不思議です、同じ田舎でも店長がよく行く山間部の村では普通もっとフレンドリーなものなのです。北部のヒマラヤの山奥と南部のインド国境付近で何が違うのでしょうか?。

  痛い視線に耐え切れず、線路の北側の村に向かって歩いてみることにしました。
  15分ほど歩くと子供たちが何かやっているようです。どうやらちょっとした池で小魚を釣っているようです。チャンスです。片言のネパール語で話しかけると物凄くびっくりしていましたが(宇宙人がしゃべった!)そこは子供なので、あっというまに慣れて笑顔で釣った魚を見せてくれるようになりました(こいつ友好的だぞ!)。

訪問者

  危険でないと分かると次から次へと子供が集まってきます。来るわ来るわ珍しいもの見たさにたちまち小学校の1クラス分くらいの子供たちが集まってきました。学校はどうしたんだ? 店長は眩暈がしてきました。いいえ、子供達のせいではありません、気温40度を超える炎天下の中で突っ立っていたせいです。
  いいかげん日陰で休みたいと思っていたら、子供から聞いたのでしょう(変な外国人が来てるよ!)今度は大人たちまでもが集まってきました。仕事はどうしたんだ? ぐるりと周りを取り囲まれてしまいました、こういう場合は笑顔でコミュニケーションを取るのが肝心です。

「何しに来たんだ?」  鋭い質問です。
  村にとっては一大事なのでそう質問したい気持ちはわかります。わざわざ外国から時間とお金をかけてこの村にやってきたからには何か目的があるはずだと考えて当然です。
  ですが本当に何の目的もなく列車を降りただけなのでとっさに答えられません。
  しかしUFOから降りてきた宇宙人に人類代表団が地球訪問の目的を訊ねたとして、返ってきた答えが「ちょっとブラブラしに来ただけっすよ」だったら納得するでしょうか?

「私は日本人です。この村には観光に来ました。」とまあ穏当に嘘ではない返答をしました。
「観光か。あっちに寺があるぞ、それを見に来たのか?」、「あ?ええ、そうなんです!」
親切に寺がある方向を指さしてくれているので行ってみることに。

  ちょっと気分が悪くなってきて対応するのが億劫だったので、案内したそうでしたが遠慮して一人で行かせてもらいました。しかしその道を歩けど一向に寺など見えてきません。村はそんなに広いはずはないのに道に迷ったようです。言い訳をさせてもらうと日本の整備された計画的な道と違って完全に自然にできた踏み分け道です。もちろん舗装もされていません。ついでに日陰もありません。
  持っていた水は飲み尽くし、歩いているだけなのに呼吸が荒くなり、だんだん吐き気がしてきました。これはまずい!  すぐに引き返すことにして南に向かって歩き始めました。もと来た道を引き返すよりとにかく南に行けば線路に出るはずだからです。指の先が痺れてきました。熱中症の不吉な兆候です。

  幸い線路に出るとすぐそこが駅前の売店でした。ペットボトルのミネラルウォーターを買ってガブ飲みしたい、が、そんなオシャレなものは置いていません。仕方なく熱いお茶を注文してフーフーしながら飲みました。
  次の列車が来る迄あと数時間あります。もう日差しの下は歩きたくないのでお店の屋根の下で体力の回復をはかりつつ列車を待ちました。お店の女将と子供たちは職業柄「知らない人慣れ」しているせいか打って変わってとてもフレンドリーでした。
 
訪問者
 
  子供たちの顔を見ていて少しわかった気がしました。ネパールには50を超える民族が暮らしていると言われます。北部のヒマラヤ山中では日本人に顔立ちが似たチベット系の住民なのに対して、南部のこの辺りではアーリア系の彫りの深い顔立ちです。
   つまりこの辺りの人たちは日本人に会った時に強い違和感を感じるのでしょう。それがあの目付きになって表れているのではないでしょうか?

  いずれにしろお茶を飲んで少し話をしてみるとチョウタラにたむろしていた人たちも打ち解けた優しい顔になってくれました。笑顔とおしゃべりは異文化交流の魔法の薬です。

人と鳥との距離感

2021年2月1日

  以前の店長日記でネパールでは家畜と人間との間の距離がとても近い、というような話しをしたと思います。牛が、水牛が、ヤギが、鶏が、道路を人間と一緒に普通に歩いています。
  今回は家畜ではなく野生動物もまた人間に近い距離で生活していることを実感したお話しです。

  ある日の事です。農家のおじさんが畑を耕していました。ネパールにしては珍しく耕運機を使っています。下の写真をご覧ください。

鳥

鳥

  ですが、なんだか様子がおかしいのです。おじさんの後ろから結構な数の鳥たちがぞろぞろと付いて歩いているのです。初めは飼っている鶏か何かかと思いましたが違います、よく見るとカラスやサギ(?)やムクドリ(?)といった野鳥達なのです。
  おじさんはというと鳥たちを気にすることもなく淡々と畑を耕しています。どうやらおじさんにとってはこれは珍しくもなんともないごく普通の光景らしいのです。

状況が呑み込めない店長は仮説を立てました。

①これはおじさんが飼っている鳥である 
②飼ってはいないが時々餌をやっているので野鳥がなついている 
③野鳥だが鳥は自分の目的があって勝手に後を付いている

  鳥は卵から孵化させれば人間を親だと思ってなつくそうなので、①は十分あり得ます。しかし観察しているとおじさんは鳥たちを完全に無視しています。全く見ようともしませんし、機械に巻き込まないように気を使ったりもしません。①はなさそうです。

  ②はどうでしょう? これも無視しているのは変ですし、餌をやる様子もないのに鳥達は延々と後を付け回しています。②でもないようです。

  そうしているうちにある事に気が付きました。鳥たちはいつも耕運機の後を歩いています、耕運機の前や横はあまり人気がありません。また互いをけん制して良い位置を取り合っているようにも見受けられます。③だとすると、良い位置とはいったい何に対してよい位置なのでしょう?
  更に観察を続けると鳥は耕運機が掘り起こしたばかりの地面を時々嘴で突いています。これでわかりました!鳥たちは耕運機に掘り出されたミミズや虫が再び安全な土の中に逃げ込むまでのわずかな時間を逃さずついばんでいたのです。

  おじさんの事はどうでもよく、掘り起こされた直後の土が目当てだったのです。ベストな位置はもちろん耕運機の真後ろです。
  現地ではおそらく誰も疑問に思わない常識レベルの当たり前の事なのだと思います(おじさんに聞きに行っていたら日本人の知的レベルが疑われた事でしょう)。しかし店長は初見なので、正解にたどり着くまでかなりの時間を要しました。

  ひとたび野鳥と人間との距離が近いと気が付くと、ほかにも色々と見えてきます。例えば当店のスタッフの家の近所にある酪農家では下の写真のように早朝に牛たちが牛舎(といっても北海道の酪農風景を想像しないでください、家に付属しているただの小屋の事です)から放牧地に追い立てられます。

鳥

鳥

  店長は時々そんな牛を眺めつつ搾りたての牛乳を沸かしてもらってフーフーしながら飲んでいたりするのですが、ここでも野鳥が不審な動きを見せています。
  のんびりと放牧地へ向かう牛の背中に黒い影が! 正体はカラスで、しきりに何かをついばんでいます。サギ(?)も混じっています。
  鳥が嫌なら牛は尻尾を振ったり首を振って追い払うはずなのですが、全く動じる様子がありません。どうやら牛の体についた虫を食べているようです。いわゆる共生関係ですね。

鳥

鳥

鳥

  日本でも人間と野鳥との関わりが無いわけではありません。アホウドリやヤンバルクイナのように人間の保護を受けている絶滅危惧種クラスの野鳥は言うに及ばず、ヒヨドリがバードテーブルにヒマワリの種をついばみにやってきますし、カラスが電柱脇のゴミステーションをあさっていたりもします。
  しかし前者は人間が積極的に餌やりしているのであり、後者は住環境を荒らす害鳥として迷惑な存在となっております。ネパールの例のように互いに干渉せずに利用または共生する存在としての野鳥は日本ではなかなかお目にかかれないのではないでしょうか?

収斂進化?

2021年1月1日

  用途が同じ道具はその起源がまったく別物でも似たような形状になることがよくあります。コップや皿は日本の物であれ西洋のものであれ中に食べ物を入れる必要があるために必ずくぼんだ形になります。
  門レベルで異なる生物であるハチと鳥も飛ぶ必要から同じような羽を作り出しました。これを収斂進化というそうです。このような傾向は武器・武具にもあるのではないかと思うのです。

  以前台湾にある故宮博物院で興味深いものを発見しました。故宮博物院は古代中国の青銅器のコレクションが豊富で、今から4,000年以上前まで遡る青銅製の武器類が数多く展示されているため一度行ってみたかったのです。

戈

  博物館は最上階のフロアが丸ごと青銅器の展示に割かれておりました。日本がまだ縄文時代で狩猟採集をしていた頃だというのにこれらの青銅器が物語る文明度の高さときたら驚異的です。フロアも広いですが付属の庭園も巨大で、さすがは世界3大博物館の一つですね。ちなみに残りの二つはロンドンの大英博物館とワシントンのスミソニアン博物館だそうです。

  さてお目当ての青銅製の武器・武具ですが、あるわあるわ、斧、戈、鉾、矢、剣、刀、、、

戈

戈

戈

戈

  中でも目を引いたのは戈(か)です、下の写真をご覧ください。戈は本体の後ろの部分を棒(写真では透明なプラスチック製の部分)に貫通させたうえで本体に開いた穴に紐を通して棒に固定して使うというちょっと目にしたことがない形状の武器です。
  棒の部分が3mほどの長柄のタイプと60cm~1mほどの短柄のタイプ、その中間のタイプの3種類があります。他の武器類は現代でも形状や用途を引き継いだ子孫たちを見ることができますが、戈の子孫は見かけません、というかユニーク過ぎて類似の武器がすぐには思い浮かびません。そもそもこれはどうやって使ったのでしょうか? 

戈

  文献によると長柄のタイプの戈は馬が引く戦車に乗った人が振り回して使うものだったらしいです。L字に曲がった先端の鋭い部分を相手に打ち込んだり、鎌のように使って首や手足を刈るように切りつけたり、戦車に乗った相手に引っかけて戦車から落としたりしたとの事です。

  短柄のタイプの戈は後漢頃までは剣と並ぶ一般的な武器だったそうで、用法は通常盾とともに使って、振り回して先端を打ち込むだけではなく、戈を受け止めた相手の得物を引っかけるようにして防御に隙を作ったり体勢を崩したりしたそうです。
  下の写真は装飾の無い量産型の短柄用の戈のようで、折れにくいように本体部分に峰状の出っ張りを3本作って強度を増しています。このあたりは以前の店長日記で紹介したブンディ・ダガーと同じ構造で合理的です。使用痕があるので実際に使われたものなのでしょう。

戈

  青銅器に鋳込まれた戈の図が以下になります。当時の戦争の主要武器の一つだったことがうかがえます。上が長柄のタイプ、下が短柄のタイプのようです。
 
戈

戈

  先端部が長手方向に対して垂直についている点、槍のように突くのではなく、振り回して重さと遠心力で先端を相手に打ち込む点、この用法にはどこかで覚えがあります。そう、当店でも扱っている古代の刀剣「コラ」です。コラへのリンク

戈

  上の写真はネパールの首都カトマンズにある国立博物館のコラです(ちなみに発音はネパール語では「クーンラ」の方が近いです)。コラにも長いものと短めのものの2タイプあります。
  写真上は短い(といっても刃渡り80cmはありますが)タイプで、重く、分厚く、幅広で、まるで斧の刃をそのまま伸ばしたような形状です。刃は湾曲した内側にあり、先端のとがった部分は刀身に対して垂直についております。
  こちらは重さと腕力で打ち込むもので、振り下ろしたコラを仮に相手が受け止めても重さと勢いに押されてそのまま先端部が頭蓋骨に食い込むことになります。まあこのタイプは常人の腕力で振り回せる重さではないので使う人を選ぶ武器ですね。
  一方写真下の長いタイプは刃渡り1mもあります。細身で軽量ですが、やはり末端部に重心があり刀身に対して内側に先端があります。明らかに振り回して遠心力で先端を打ち込むための構造です。

  戈とコラが起源を同じくする物かどうかは店長にはわかりません。場所も使われた時期もずいぶん違うようなので、おそらく両者は独自に発展したものなのではないかと思います。ですが「突くのではなく振り回して使う」という共通したコンセプトであったため同じような形状になったのではないでしょうか。

君はバスを押したことがあるか?

2020年12月1日

  皆さんはバスを押したことがあるでしょうか? いきなり何を言い出すのかとお思いでしょうが、まじめな話です。誰もこんな統計はとっていないでしょうが店長の推測では典型的なネパール人は数年に一度はバスを押しているのです。

 まだ何を言っているのかお分かりにならないかと思います。そもそもバスを押すとはどういう事か?バスの横に立って側面に手を当ててちょっと力を加えてみるのも「押す」ですし、混んだ車内でバスの内壁にもたれかかるのも「押す」には違いありません。
 しかしここで店長が言っている「押す」は「ぬかるみにはまり込んでスタックして動かなくなったバスを乗客総出で押して脱出する事」を指しています。

バスを押す

バスを押す

 ネパールでは長距離移動の足は何といってもバスです。ネパールは山国ですのでヒマラヤ山中を走るバス路線がたくさんあり、山奥の村々を回ります。
  そんなバスが走る道路はたいてい土か砂利の道です。林道を除いてほぼすべての車道が舗装されている日本ではちょっと想像できないかもしれませんが、ネパールでは幹線道路以外は未舗装を走るのが普通です。
 なので雨が降れば当然のように未舗装のでこぼこ道は泥沼と化します。するとどうなるかと言いますと、泥の中にタイヤが半分沈んでしまったり、穴にはまってしまったり、何でもない坂道でも摩擦力が落ちて登れなくなったりします。特に雨期に多いですが乾季でも大雨が降れば同じことです。

 こういう時は日本なら牽引車を呼んだり代替のバスを出します。しかしここはヒマラヤ山中です。周囲に他の車や助けてくれる人などいるはずもありません。仮に車が通りかかっても車を止めて手を貸すことはできません。なぜなら勢いをつけてこの場所を通り過ぎないと助けるどころか自分がスタックするからです。
 頼れるのは己のみ。ならば乗員乗客全員が知恵と力を振り絞って自力で脱出するほかありません。

 バスを降りて歩くという手もあります。ですがヒマラヤ山中を目的地まで延々数十キロ歩く気になるでしょうか。何もせずに人任せにして席に座っていることも本人の自由です。しかし自分が何もしなければ脱出の確率は下がり、目的地にたどり着けません。やるしかないのです。

バスを押す

 脱出の手順はこうです。まず車体を軽くするために全員下車して、石、草、木の枝などタイヤの摩擦を高めそうなものを探しに周囲に散ります。誰も説明などしませんし、誰も指図もしません。全員がこれから何をすべきなのか心得ているからです。
 石で道の穴を埋め、タイヤの前に枝や草を敷いたら男性全員がバスの後部に回り込んで両手を押し当てるか側面に手をかけます。そして、ドライバーの合図とともに押します。押します、押します、押します!
 それで駄目なら一旦逆方向に30mほど押し戻して、人力+タイヤの駆動力で勢いをつけて難所を走り抜けさせようとします。一度ではまず成功しません。何度も少しずつやり方を変えて挑戦します。

 へとへとになります。泥だらけになります。しかしあきらめるという選択肢はありません。諦めたらそこで試合終了だからです。脱出までに1時間以上かかることも珍しくありませんし、1日に何度もスタックすることもあります。
  店長は1日に3回押したことがあり、これが2020年時点での自己最高記録です(記録が更新されないことを切に祈ります)。

 ちょっと計算してみましょう。店長の経験的な感覚として雨季に山道を走るバスは平均して2日に一度はスタックします。ヒマラヤ山中のバス路線は結構多く、少なく見積もっても100は下らないでしょう。まあ150とします。一つの路線に1日5便と仮定します。雨季はおおむね9月から5月の9か月間とします。
 すると、雨季の間ネパールのどこかで毎日375回ほどのスタックが発生していることになり、9か月で約10万回となります。1台のバスに40人は乗っていますのでスタックに巻き込まれる人数は延べ400万人/年です。
 ネパールの人口は2018年現在で2800万人ですから、恐るべきことに1年間に全人口の実に14%に相当する人数がバスを押している計算になるのです。言い換えると誰しも7年に一度はバスを押す、ということです。実際にバスを押すのは大人の男性だけですので、成人男性に限れば3年半に一度といったところでしょうか。

 こんな運転免許の更新みたいな頻度で日本では一生経験しないであろうバス押し体験ができるワンダーランド、それがネパールです。ちなみにスタックはタイヤにとても負担がかかるので、泥沼から抜け出して数キロも走らないうちにパンクというスペシャルボーナスがつくこともあります。

バスを押す

 もちろん予備のタイヤなど積んでおりませんのでその場でタイヤを外して修理が始まります。人が乗っていると重くてジャッキが上がらないため雨が降っていてもバスを降ろされ木陰で雨宿りする羽目になります。はい、ワンダーランドですね。
   山間部の木陰は雨季は特にヒルが出ます、知らぬ間に服の隙間に入り込み血を吸われます。ええ、ワンダーランドですとも。

 でも力を合わせてともに危機を乗り越えた後は乗客たちととても仲良くなれます。外国人に気後れして話しかけられなかった人達も気さくに話しかけてくれたりお菓子をくれたりします。
 仲良くなるきっかけとしてはあまりに代償が大きすぎるという気もしますが、雨が降る中、目的地まで10時間以上むっつりと座っているより断然楽しく過ごせます。そう考えるとスタックするのが待ち遠しいくらいです.......すみません嘘です二度とやりたくありません。

山奥のパン食文化

2020年11月1日

  世界には「なぜこんな所に?」と思うような場所に意外な食べ物が根付いている事があります。その食べ物が地域の伝統料理や食習慣や歴史とは一見無関係に思えるにもかかわらず、です。 

  20年以上前にラオスに行った時の事です。都市部ならまだしもなぜか相当山奥に行っても地元の市場のあちこちにフランスパンとワッフルが並んでいました。ネズミやオオトカゲの肉と一緒に並んでいるのです、その場違いさは半端ではありません。
  しかもいい加減な作りのものではなく日本のパン屋さんに並んでいてもおかしくないクォリティです。さすがに時間が経つと湿気を吸ってパリパリ感がなくなってしまう(ラオスは熱帯モンスーン気候なので)のは残念でしたが味も上々です。地元の人たちも普通に買って普通に食べています。

  もともと米食であるはずのラオスの山奥にフランスパンがなぜ根付いているのか? ラオス人の先祖はフランス人なのか? 実はあれはフランスパンではなく偶然フランスパンに酷似した伝統食なのか? たまたまフランス人が集団移民した村だったのか? 店長にはまったく理由が分からず不思議な気持ちのまま帰国しました。
  帰ってから調べて分かりました。ラオスは、ほんの短い期間だけ日本に統治されたりもしましたが、19世紀末から約60年間フランスの保護国(というかほとんど植民地)だったのです。
  その当時にフランスパンの味を知ったラオス国民は、独立してから半世紀以上が経った現在でもフランスパンの美味しさを忘れていなかったのです、美味しさは正義です。なるほどと店長も思ったものです。


  さて前置きが長くなってしまいました、実はつい昨年の5月に同じような体験をしたのです。
  ネパールのヒマラヤ山脈にアンナプルナという8,000m級の山があります。過去登山者が60人以上死亡している魔の山です。この山のちょうど裏側にマナンという村があるのです。
  首都カトマンズから半日バスに揺られて、更にジープに乗りついでまた半日かかってようやく訪れることができる標高3,500mの村です。ほとんど富士山と同じ高さですね。
  これでも便利になった方です。ちょっと前までは夏でもふもとから歩いて1週間、冬場は到達すること自体がほぼ不可能だった超山奥の村なのです。

パン

パン

  上の写真のような何の変哲もない山奥の村で店長は美味しいパンに出会ったのです。村の中にはパン屋が少なくとも4件あり、ショーウインドウには各種パンが山積みになっていました。
  単なる白パンだけでなく、定番のアップルパイからガトーショコラやクロワッサンまでありました(でもアンパンはありませんでした)。
  この時期はトレッカーが少なく我々の泊ったロッジも客は我々だけでした。にもかかわらずこの量と品揃えという事は、それだけ村人によって消費されているという事です。
  考えてもみてください。標高3,500mはただでさえ小麦の栽培には厳しいギリギリの環境です。それにこのあたりのチベット系の住民たちの主食は標高が高くても栽培できる大麦から作るツァンパか、ソバやトウモロコシの粉から作るディエロです。
  栽培しにくい小麦を使ってわざわざ伝統や食習慣からかけ離れたパンを作る理由が店長には思いつきません。

  地元の人は食べずにトレッカー相手に売っている、というなら分かります。ちょっと気の利いた宿ではメニューにアップルパイなどがあり、トレッカーがたまに注文してたりするからです。しかしそうではありません、それではトレッカーが少ないこの時期にこの販売量を説明できません。
  またこのエリアでこの村以外ではパン屋を見かけないのも不思議です。なぜこの村だけでかくも普通にパンが食べられているのでしょうか?

  店長が泊まったロッジの食堂にも花瓶に花ならぬ麦が生けられていました。

パン

パン

  この村に至るまでの他の村々の畑に生えていた麦とは明らかに外見が違います。そう、これは小麦、しかもパン小麦の特徴を備えています。
  どうやらこの村で使っている小麦粉は下界から運んできたものではなく、この村で作られたものらしいです。この村でパンが自給自足されている可能性が濃厚になりました。
 
  隣の花瓶には下の写真のような周辺の村でもよく見る大麦が生けられていました。上の写真とは麦粒の形が全く別物です。

パン

パン

  結局滞在中に謎は解けず、不思議な気持ちを抱えたまま下山しました。帰国してからも調べてみたのですが、それらしい文献は発見できずこの村とパンのつながりはいまだ謎のままです。どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?

ネパール軍の部隊旗

2020年10月1日

  カトマンズにある軍事博物館については以前の店長日記でもちょっと紹介しましたが、今回は別の展示を中心に紹介します。それはネパール軍の部隊旗です。

  ネパールの首都カトマンズの中心部から西に30分ほど歩くと広大な軍の敷地に併設されたネパール軍事博物館があります。正門の横に防弾壁に囲まれた小高い監視所があって自動小銃を持った本物の軍人が警備をしている博物館というのも珍しいです。

  ここには18世紀の建国以前から始まって21世紀の国連平和維持軍参加までのネパールの古今の歴史的な軍事資料が集められています。
  例えば、東インド会社(=イギリス軍)と戦った時の刃の欠けた大型ククリや、第二次大戦中のインパール作戦で大日本帝国陸軍からぶんどった日本刀(写真1)といった生々しいものから、ネパール版ナイチンゲールと言ってもいい初の従軍看護師アンナプルナ・クンワール(写真2)の短い伝記や軍楽隊の楽器(写真3)などといったものまでもが展示されています。
  軍楽隊の展示はホルンやトランペットといった西洋楽器の中にネパールの伝統的な太鼓であるマダルが入っているのがいかにもです。


                        写真1

 
                        写真2

 
                        写真3

  そんな軍事博物館の一角には下の写真のようにネパール軍の各部隊の部隊旗がズラッと並べられたコーナーがあり、そのデザインにはなかなか興味深いものがあります。

部隊旗 

  ネパールだけではなく各国の軍隊の部隊旗や部隊章を見るとそのデザインに定番のパターンがあることに気付くのです。

代表的なモチーフを挙げると、

① 駐屯地の地図や地形
② 部隊番号
③ 部隊の特徴
④ 勇猛さを示すもの
⑤ 神頼み

といったところです。

  ①の地図や地形の例は非常に多く、下の写真のように北海道に駐屯する自衛隊の北部方面隊の部隊章は北海道地図そのものですし、静岡県や山梨県を管轄する第1師団は当然のように富士山マークです。
  ネパールの部隊旗ではヒマラヤ山脈をあしらったものがあります。

部隊旗
     北部方面隊           第1師団

部隊旗 


  ②の部隊番号も定番ですね。アメリカ第七艦隊の記章は錨と鷲の後ろに7の文字があります。自衛隊第6師団の部隊章も数字の6です。

部隊旗  
     第七艦隊            第六師団


  ③の部隊の特徴では航空部隊では翼のマークを、落下傘部隊では傘のマークを使ったりします。イタリアのフォルゴーレ空挺部隊は翼に稲妻(イタリア語でフォルゴーレ)をあしらったイカしたデザインです。上記の第七艦隊でも船の錨がアレンジされています。
  名古屋に司令部がある自衛隊第10師団の部隊章は若干やりすぎの感がある金のシャチホコです。北海道の北部方面隊のマークがカニでなくてよかったです。
  ネパールの部隊旗の例では赤十字の衛生部隊や国連軍のマークなどがあります。


    フォルゴーレ空挺部隊         第10師団




  ④の勇猛さを示す例でネパールでダントツに多いのは何と言ってもククリの意匠です。ジャングルや屋内、列車の中など狭くて見通しがきかない状況下で無類の強さを発揮するククリは白兵戦の友でありネパール軍人の勇気の印でもあります(店長日記参照)。
  他国ではドクロの意匠がよく採用されています、いわゆる海賊旗のマークです。有名なところでは旧ドイツ軍の部隊章や襟章でしょうか。
  あるいは強さの象徴としてヨーロッパでは竜、ネパールではユキヒョウなどが採用されることもあります。

部隊章
          ククリがあしらわれた部隊章

部隊旗
     ユキヒョウがあしらわれた部隊旗と仏軍第二竜騎兵連隊旗


  ⑤の神頼みも多いですね。ヨーロッパなどのキリスト教圏では十字架マークが多いです。一方、仏教圏だからと言って仏像のマークは見たことがありません、国民性でしょうか?日本人的には戦争に仏像を持ち出したりしたら何だか仏陀に「仲良くしなさい!」と怒られそうな気がしますからねぇ。
   ネパールでは下の写真のようにシバ神やその武器である三叉鉾、戦いの神インドラやドゥルガーがよく描かれています。ヒンドゥーの神々は魔族としょっちゅう大戦争をしていますので部隊章に採用してもきっと怒られないのでしょう。

          部隊旗 
フランス陸軍第9海兵軽機甲旅団のロレーヌ十字

部隊旗                  シバ神の三叉鉾やドゥルガー神
があしらわれた部隊旗


  ネパール軍の部隊旗はここに展示されているだけで132種類もあります。ヒマラヤの小国が抱える陸軍のみの軍隊としては多すぎです。
  おそらくこの中のかなりの部分がここ40年ほどの国連平和維持軍参加時の部隊旗だと思われます。なにしろネパールの平和維持軍派遣人数は世界第7位なのですから。多くの主要先進国を上回っています。

  第二次大戦が終わって以来ネパールは自国が当事者となった国家間の戦争や紛争を経験していません(内戦はありましたが...)。日本も同様ですがこれは誇るべきことです。店長はこの博物館に平和維持軍以外の戦争資料が増えない事を願っています。

お土産産業

2020年9月1日

  ネパールの観光業は貴重な外貨を稼げる一大産業です。なぜ貴重なのかと言いますと、ネパールは2019年の統計では外国からの輸入額が輸出額の15倍という超貿易赤字の国ですので、政府としては外貨が喉から手が出るほど欲しいところなのです。ちなみに日本の輸出入はほぼ同額です。

  店長は多くのお土産屋さんに商品を卸しているフェアトレードの工房にたまたまお邪魔する機会があったので、今回は観光と深いかかわりがあるお土産物の話をしようと思います。

  観光にはお土産物がつきもので、観光地にはお土産屋さんが並んでいるものです。Tシャツやアクセサリーなどのお土産品を自分で作って売っている小さなお店もありますが、大きなお店では仕入れ先から仕入れて売っていることが普通です。そんなお店に品物を供給しているのが今回訪問したフェアトレードの工房です。
  ちなみにフェアトレードというのはそのまんまフェア(公正)なトレード(取引)という意味で、労働者を搾取したり過酷な労働をさせたり環境負荷が大きい作業をしていないことが証明でき、かつ会計的にも透明性の高いモノづくりをしているという意味になります。
  最低賃金さえ守られていないどんぶり勘定のネパールではこれはかなりハードルが高いことです。

 今回訪れたバクタプルの郊外にあるチュダマニさんの工房は工房というよりはほとんど工場に近いレベルで、従業員はおおむね女性からなります。ここで作っている商品は主に焼き物とお面の類です。下の写真から何を作っているか分かるでしょうか?

 同じものを大量に作るため、まず焼き物の型に粘土を押し込みます。

お土産

  型から取り出したのがこれです。壺のように見えますが...。

お土産

  それをこんな窯で焼きます。

お土産

  焼きあがったものに彩色するとこうなります。

お土産

  な、なんと仏陀の頭でした! 胴体を作っている様子はありません、これは頭だけの置物なのです。仏像の頭だけ、それもこの色彩センス。これを買いたいと思う日本人がいるでしょうか?買ったとして家のどこに飾るのでしょうか?
  仏像にはほかにもいろいろシリーズがあるようです。他人事ながらこんなに大量に作って売れるのかどうかと心配になります。

お土産

  焼き物は仏像だけではありません。こんなのもあります。

お土産

  焼きあがるとこんな感じ。

お土産

お土産

  もっと可愛くできないものでしょうか?表情に独特のものがあるとはいえ、店長にはあまり可愛いとは思えません。
  お面もあります。やはり独特な表情です、これはチュダマニさんのセンスなのでしょうか?

お土産

  巷のお土産屋にあふれている日本人的には微妙な仏像やお面の少なくとも一部はここで生産されていることがわかりました。
  ネパールを訪れる観光客は多い順にインド、中国、アメリカ、スリランカとアメリカを除けばご近所の国が多いので、日本人の感覚では微妙でも南アジア圏の感覚では優れたセンスの人気商品なのかもしれません。

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