カートをみる ご利用案内 お問い合せ サイトマップ
RSS
バネ鋼

魔物の侵入を阻止せよ!

2021年10月1日

  ヒマラヤの山奥の村々には、悪霊や精霊、魔物から村人や家畜を守るため、呪的な防衛策が幾重にも施されています。
  これは昔話やフィクションではなく、現代のヒマラヤの現実の話です。

  以前の店長日記で何度かヒマラヤの山奥が仏教圏であるという話をしたと思います。ネパールは平地ではヒンドゥー教がメジャーですが山岳部ではチベット仏教が盛んなのです。
  ですが山岳部では仏教だけでなく民間信仰も同じぐらい盛んです。いわゆる精霊崇拝です。自然界のあらゆる所に精霊(=神、魔物)が宿ると考えられているのです。
  その結果、チベット仏教と精霊崇拝が混然一体となってもはや素人の店長には何だかよく分からないものになっています。まあ日本も仏教徒が多いくせに八百万の神が住まう国なわけですから人の事は言えません、日本同様現地の人達にとっては別に普通の事なのでしょう。

  さて、その精霊ですが人間達が精霊の住む領域にみだりに侵入したり、適切に敬わなかった時、あるいは契約を破った時、精霊は人間達に死や悪運や病気を送り付けるのです。日本で言うところの「神罰」や「祟り」に近いものがあります。
  なので精霊なり魔物なりが村や家の中に侵入することを防ぎ、怒りを鎮め、場合によっては逆に福を授かるための儀式やアイテムが必要となるのです。それが上に書いた呪的な防衛策なのです。
  これは冗談ごとではありません。地元の新聞に「神様の土地に畑を作っていた人々が生贄の山羊を捧げるのを怠ったために神様に悪霊をけしかけられて移住せざるを得なくなった」なんて記事が載ったりするお土地柄なのですから。

  以下に呪的な防衛策を店長が知っている限り列挙してみましょう。

・村はずれにある三つ組みの仏塔
  ヒマラヤ山中を歩いていると下の写真のように赤白青でワンセットの人の身長ほどの高さの小さな仏塔を見つけることがあります。大抵は家も畑も何もないただの道端にあります。

魔物

魔物

  これは村の外と村の内の境界を守護する為のもので、防衛線の一番外側にあたります。山中を歩いていてこれに出会うと「ここから先は村の中」ということが分かります。


・カンニ
  三つ組みの仏塔を過ぎて集落の中心部に近づくと、居住地域の出入口(大抵は正面ではなく裏門)にカンニと呼ばれる塔門があります。集落中心部に入るにはカンニの下をくぐって中を通り抜けなくてななりません。

魔物

魔物

  上の写真のようにかなり大きくて立派なものです。なのに村の裏口にあるのはどうしてか? 目立たない裏からこっそり侵入する魔物を防ぐためです。
  中に入って上を見上げると天井とその周囲の壁には曼荼羅が描かれています。ここは神聖な空間であって魔物はそこを通り抜けることができないと思われます。

魔物
                                 内部

・メンダン
  一方、村の居住地域の正面入り口側には村の中心部に続く道路に沿ってメンダンがあります。別名マニ壁とも言われるこれは、下の写真のように石でできた長い壁です。高さは人の背丈かそれよりちょっと高いくらいで、マニ石がはめ込まれています。
  マニ石というのはお経が彫り込まれた石板または丸い石で、マニはサンスクリット語で珠という意味があります。

魔物

魔物

魔物

  お経が全面にぎっしりとはめ込まれたこの壁の横を魔物が通り過ぎるのは難しいでしょう。さらに壁には中に経典が入った円筒形のマニ車が並んでいるものもあり、回すとお経を唱えたのと同じ効果があるとされています。村人はここを通り過ぎるたびにマニ車を回すのですから、ますます悪いモノはこの道を通ることができなくなります。
  メンダンは村の正面入り口には欠かせませんが、そこだけでなく中心部にも裏口にもそして村の外にも至る所で目にします。防備は多い方がいいのです。


・サゴ・ナムゴ
  仮に何か悪いモノが仏塔やカンニやメンダンをどうにか突破して集落の中心部に侵入できたとします。人に悪さをするためには家の中に入らなくてはなりません。そんな場合に備えて家の出入口の上に取り付けられている魔物侵入防止装置がサゴ・ナムゴです。

魔物

  サゴ・ナムゴは非常に凝った作りをした一種の護符で、羊の頭蓋骨と藁と木でできています。典型的には中心部に蜘蛛の巣状に糸が張られ、男女の絵や男女の象徴になるもの(男なら弓矢、女なら糸車とか)が付いています。これはよく考えられた装置で、まず戸口から入ろうとする魔物を羊の頭蓋骨で引き寄せ、蜘蛛の巣で捕らえて、人間の代わりに男女の絵などでなだめて、最後には穏便にお帰り願うというものです。
  写真のサゴ・ナムゴだと中心部と上右左に計4個の蜘蛛の巣が張られており、向かって左に弓矢が描かれた白い札があり、右には糸巻きが描かれた白い札があります。中央上部のお札には魔物を慰撫する文言が書かれていると思われます。
  捕らえた魔物を殺すのではなく、慰めて敵意を取り除いてから解放するあたりに村人の優しさを感じます。


・村の守護神ポとモ
  しかし家の中までは侵入できないとしても、村の中心部に悪いモノがうろついていては安心できません。仏塔やカンニやメンダンがあるため一度侵入した魔物は今度は逆に村外に出られなくなり、長い年月が経てば村は魔物の吹き溜まりになってしまいます。
  それを防ぐためには村内を巡回して魔物を排除する存在が必要です。それが下の写真のポとモです。ポは男神、モは女神です。普通は正面にはポ、裏口にはモ、が置かれますが写真のように並んで立っているところもあります。

魔物

魔物
                  ポ                             

  ポとモはもともとは精霊だったのかもしれませんが、今は村人に祭られる代わりに村の防衛に力を貸してくれる村神です。はるか大昔に人類は集落が狼に襲われることを防ぐために、狼を飼いならして犬を作りだして防衛にあたらせました。まさにそれと同じ事をしている気がします。

  いかがでしょうか、実によく考えられた防衛策だと思いませんか? これらはヒマラヤならどこにでもあるという物でもありません。最近作られたトレッキング道路沿いにできた新しい村にはこんなものはありません。旧道の奥の古い村々にひっそりと受け継がれてきたものなのです。

  これまで書いたことはまるで古代の書物やファンタジーノベルや異世界物の創作物の設定のようですが、数千キロの距離に隔てられているとはいえ異世界でもなく大昔でもない現実の話です。
  逆に考えると、異世界に行きたいのならちょっと飛行機に乗ってヒマラヤの山奥に入ればいいのです。わざわざ異世界転生する必要などありません、言葉も習慣も民族も文化も歴史も全く異なる世界が現実にそこにあるのですから。

  皆さんも新型コロナウイルスが収束したら1週間ほど休みを取って異世界を覗きにネパールへ行ってみませんか? ただし現地に行ってもあくまで現実です。どこかの創作物のようにチート能力が使えたりはしませんし主人公補正もありませんので、そこはご注意ください。

豪快!ポカリで魚取り

2021年9月1日


  ネパールにはポカリと呼ばれる池があちこちにあります。発音は某イオン飲料とは違って最後の「リ」にアクセントがあります。
  形は四角形で周囲は白い漆喰や石材で固められて地面より一段高くなっており、ちょうど競泳のプールのようです。いきなり深くなるのではなく階段状に深くなっていくところは幼児用プールに似ています。大きさは、小さいものでは25mプール、大きいものでは一辺が100mくらいのものもあります。

ポカリ

  店長にはポカリの用途がよく分かりません。今まで単なる池としてしか認識していませんでしたので特に人に尋ねた事もありません。しかし単なる池なら下の写真のように形は丸かったり不定形だったりするはずです。わざわざ四角形にして周囲をプールサイドのように固めた池がその辺にたくさんあるということは共通の目的がありそうです。

ポカリ

  農業用のため池にしては出水路がありませんし泳いでいる人はめったに見ないので本物のプールとも思えません。池の中央に神様が祭ってあるポカリは宗教施設の一種なのでしょうが、宗教色のない単なる四角い池の場合がほとんどです。
  結局、飲料水や洗濯や沐浴など日用の水源として昔は利用されていたが現在はほとんど利用されていない、というところではなかろうかと店長は推測しています。なぜならこの目的で人が利用するなら当然形を整えたうえで歩きやすいプールサイドが必要になるからです。
  またこの推測が正しいなら新規に建設中のポカリというものを一度も見たことがないのも説明が付きます。

  さて、そのポカリには魚がたくさん住み着いていることがあります。そしてポカリによっては年に1~2度漁が行われるのです(放置されているポカリも多いですが...)。こうなるとポカリ=養魚池説も考えられます。ただ養魚池だと四角く整えたりプールサイドを作る必要はありませんのでちょっと弱いです。
  この漁に居合わせた人はラッキーです、なぜならその日は魚料理がたっぷり食べられる日になるからです。海を持たないヒマラヤの内陸国であるネパールでは首都を除けば大きな川や湖の近くの村でない限りおいしい魚料理に出会う機会はなかなかありません。

  下の写真はネパール南部の平野部にある町のポカリで、かなり大きめの部類です。店長が通りかかった時はまさに漁の真っ最中でした。

ポカリ

ポカリ

ポカリ

  漁の方法は釣りでも罠でもありません。ポカリの端で壁沿いに網を渡してそのままポカリの中に人が入って反対側の端まで泳いで網を引いていくという豪快かつ一網打尽の漁法でした。壁と網の間に隙間ができると魚に逃げられてしまうので、そこは人力で隙間ができないように押さえつつ慎重に進みます。
  大イベントであるせいか子供たちがワンサカと集まってきてお祭りのようです。どうやら子供たちのお目当ては取り放題の小魚のようです。



  小魚は網の目をすり抜けるものが多いため乱獲の心配はありません。大物は網を飛び越えた勇者を除いてすべてポカリの一か所に押し込められます。押し込められたら集まった人たちの手で選別が始まります。
  やはりおいしい魚とそうではない魚がいるようで、大きくてもポイポイと網の外側の池に戻されている魚もいます。一方、ニシンのような見た目の魚は人気のようで大事に水揚げされています。この日の夜にこの魚の唐揚げを食べましたが泥臭さもなく美味しく食べられました。

  さあ漁が終われば次は料理の時間です。町の市場に運ばれた魚はご家庭で一斉にさばかれます。ぐずぐずしてはいられません。ネパール南部は亜熱帯ですが魚は日本の魚屋のように氷の上に並べられたりしませんし、冷蔵庫があるご家庭もまだ少ないのです。傷みやすい魚は早く油で揚げるかスパイスで煮込むかしなくてはなりません。
  この日はどこの飯屋を覗いてもメインは魚でした。大イベントの日の特別な料理感があって町の人達も楽しみにしているのではないでしょうか。

怪物達の名前(後編)

2021年8月1日

  前編ではヒンドゥー神話の宗教画や装飾が一見「怪奇」と「恐怖」に見えるが、それは無知のせいで見方が分からないだけであって、実は西洋の宗教画に勝るとも劣らない奥深さを持っている事が分かりかけてきた、という話をしました。
  例を挙げて説明しましょう。下の写真をご覧ください、町や村にある共同の水場の出水口に必ずと言っていいほど配置されている怪物です。これは水を操る獣で、名前をマカラと言います。実にイカしたデザインです。
 
怪物

怪物

  マカラはヒンドゥー教の聖なる河であるガンジス川に住み、その口から流れ出る水はガンジスの水なのです。またガンジス川の女神であるヴァルナやガンガー女神をその背に乗せて運ぶ神聖な役割を持つ生き物でもあります。そのため清い水がある所には水の守り神として高確率でこのマカラが描かれるのです。
  共同の水場で人々が清い水を汚したり争ったりしないように「神様が見てるぞ」という戒めの意味もあるのでしょう。そういう視点で見ると上の写真は怪物などではなく、人々が仲良く水を共有できるように水場を守る聖獣に見えてきます。

  次は寺院の入り口にあるトーラナ(半円形の額のようなもの)のモチーフとしては定番である怪物です。トーラナの真ん中上部にあるでかい顔と手がそれで、名をキールティムカと言います。
 
怪物

  何も知らなければ「お寺でよく見る怪物」でしかありません。しかしキールティムカにはこんな物語があります。

  昔々、アスラ(魔族)の王ジャランダーラがヒンドゥーの神であるシバに挑戦するために部下であるラーフをシバのもとに遣わしました。その挑戦とは「お前の嫁のパールバディをよこせ」という無茶なものでした。
  当然シバは激怒して額にある第三の目を輝かせました。するとそこから飢えたライオンが生まれたのです。おびえるラーフはシバの慈悲を乞いました。でもライオンはラーフを食い殺させるために生み出されたものですのでとても飢えていました。餌をやらなくては収まりません。どうするか?シバはライオンに言いました「自分自身の体を食べなさい」と。
  ライオンはそれに従って体を食べ、ついには顔(と手)だけが残りました。シバは自分の言いつけに従ったことをほめてそのライオンに栄光ある(サンスクリット語:キールティ)顔(サンスクリット語:ムカ)”キールティムカ”と名付け、今後は天上界にある自分の寺院の出入口を見張るように言いつけました。
  そういう訳で今でも寺院の出入口にはキールティムカが居るのです、シバ神の言い付けですから居なくてはならないのです。

  ネパールにトーラナは数あれどキールティムカの体部分が描かれているものを店長は見たことがありません。いくら探しても無駄です、自分で食べてしまったのですから無くて当然です。
  ちなみにトーラナの下部の左右には前述したマカラが配置されています。ちょっと分かりづらいかもしれませんがもう一度上の写真をよくご覧ください。外に向かって口から水を噴き出しているのがマカラです。
  西洋の宗教画で人物の配置や上下関係に意味があるのと同様に、キールティムカとマカラと神々の配置にも意味があります。上にいるキールティムカは天上界にいるため「天」を表し、下の左右にいるマカラは「海」や「川」を、中央の神々がいる場所は人間界とその住人を表しています。

  いかがでしょうか? 自分を犠牲にしてまでも神様の命令を忠実に守るキールティムカの物語はまるで旧約聖書のエピソードの一つのようです。物語やその意味が分かったうえで見ればトーラナから受ける印象は「怪奇」と「恐怖」から一転して「面白さ」や「感銘」へと変化するのではないでしょうか。

  ヒンドゥー教の聖典であるヴェーダやラーマーヤナなどの古伝書は、文字記録に残っているものだけでも一説には100巻を超える(ちなみに旧約聖書は全39巻、新約聖書は全27巻だそうです)膨大なものらしいです。
  その内容も複雑で、「ヒンドゥーに生まれることはできても、後からヒンドゥーになることはできない」という恐ろしい言葉があるように、異国人が後から学んで完全に理解するのは極めて困難なようです。
  ですから店長などはほんの入り口から中を覗いているようなものなのでしょう。あまり奥の方まで進む気もありませんが、ちょっと覗いただけでこんなにも豊かな世界が広がっていることが分かりました。

  宗教画一つをとってもこれなのです、ネパールを含む南アジア圏の他の分野も同様に知って理解さえすればきっともっと面白さが分かるに違いないのです。これからも店長のネパールに対する興味は尽きそうにありません。

怪物達の名前(前編)

2021年7月1日

  美術館で西洋絵画の展覧会が開かれると、作品の中にはかなりの確率で聖書を題材にした宗教画が含まれているような気がします。近代・現代の画家ではそれほどでもないかもしれませんが中世の画家の作品ではその傾向が強いのではないでしょうか。
  これは中世ヨーロッパではキリスト教の影響が非常に強かったため聖書のエピソードが画家の創造意欲を刺激したせいだと思います。
  加えて宗教画は画家のパトロンの肖像画と並んで売れ筋のモチーフであり、かつ教会や世間から良い評価を受けやすい無難な題材だったせいもあるのかもしれません。

  しかし、国民の大部分が仏教徒でキリスト教の素養に乏しい日本人がこのような宗教画を見ると困ったことが起きます。超一流の技術を駆使して迫力あるタッチで描かれた絵はそれ自体で十分素晴らしいものでです、しかしいかんせん描かれている状況が理解できません。
  理解できなければ作者がそこに込めたであろう意味や感情が伝わりにくいのです。

怪物

  これは16世紀の画家サイモン・ド・マイルが描いた絵です。この絵の題材はあまりにも有名なため日本人でも一発で「ノアの方舟」だとわかります。でももしキリスト教を全く知らない人がこの絵を見たら何だと思うでしょうか?
  陸上にある大きな木の船、荒れた大地に群なす動物、動物の種類は妙に多くてしかも必ず2匹ずつ。一つ一つは分かっても全体として何が何だか分かりません。

  前置きが長くなってしまいました。店長が拠点を置くネパールにはヒンドゥー教の寺院がいくらでもあります。特に首都カトマンズや周辺都市のバクタプルなどは寺院で溢れ返っていると言っていいでしょう。
  そして寺院は宗教的な彫刻や絵画や各種細工物でこれでもかというくらい飾られているのです。今から20年以上も前、ネパールに通い始めたころはこの装飾に圧倒されました。
  そこで店長は困りました。宗教的な彫刻や絵画が理解できないのです。仏教のお寺ならそれでもまあ何とかわかる部分もあるでしょうが、これはヒンドゥー教のお寺です、分かりゃしません。

  しかも描かれている絵は生首がぶら下がっていたり髑髏が並んでいたりします。彫刻は各種怪物のオンパレードです。手が10本あったり頭が10個あったりします。皮膚の色が赤かったり青かったり、舌が長く伸びてたりします。
  全体から受ける印象は『怪奇』と恐怖以外の何物でもありません。修学旅行でネパールに来たのなら夜の肝試しはヒンドゥー寺院に決定です。
  下の写真はその辺で見かける怪物達の絵画や彫刻の例です。

怪物

怪物

怪物
 
怪物

  しかしここで思い出してほしいのが「ノアの箱舟」の例です。ヒンドゥー寺院の絵画も宗教画である以上、生首や髑髏の残酷なシーンは何らかのヒンドゥー神話のエピソードを表したものであり、怪物達は神話の登場人物であるはずなのです。

『怪奇』と恐怖は店長の無知から来ています。キリスト教の宗教画だってイエス・キリストの磔刑の場面などは人が柱に釘付けにされて槍で突かれているのですから知らない人が見れば相当残酷なシーンです。
  でもキリスト教徒が見れば磔刑の場面は一転して
神聖な場面になります。描かれているのは、「処刑された罪人」ではなく「人類の罪を背負った救世主」なのですから。
 描かれた題材を理解しているかどうかでここまで受ける印象が違ってくるのです。

  さて、話をネパールに戻します。上記のように店長がネパールと関わりを持った当初は
『怪奇』と恐怖のヒンドゥー寺院だった訳ですが、それから20年以上たった今ようやく理解が追い付いてまいりました。
  ヒンドゥー神話を紐解くと、絵画や彫刻の怪物達は無名無個性の魑魅魍魎などではなく、怪物たち一匹一匹に名前があり、固有の物語や背景があり、神様や人間との繋がりがあることが分かったのです。

  不思議なことに名前とキャラが与えられたことであの怪物達のオンパレードが全く違って見えてきました。『怪奇』と恐怖は消え去り、神聖とまではいきませんが感銘を受けるようになってきたのです。

次回「怪物達の名前(後編)」に続く

ひよこ売り

2021年6月1日

  6月のある日、街を歩いていてひよこ売りのひよこを見つけました。ひよこ売りは現在の日本では珍しくなりましたが平成の初めくらいまではその辺のお祭りの屋台で普通に売っていました。店長も小さい頃にお祭りで買ってもらった記憶があります。
  お祭りのひよこは弱っていて死にやすいのですが、首尾よく成長すると当然ニワトリになり、早朝にコケコッコーと鳴き始めます。すると住宅が密集した昨今の日本では近所迷惑となり飼い続けることが難しくなってしまいます。つまりペットとしては適していないのです。
  お祭りで金魚すくいが無くならないのにひよこ売りを見かけなくなった理由の一つはこれだろうと思います。

  一方ネパールではひよこ売りは珍しくもなんともありません。現在でも現役バリバリの職業です。でも購入するのは養鶏場ではなくその辺のご家庭です。
  多くのご家庭で飼っていればお互い様なので騒音問題にはなりません。ただしペットではないのです。これらのひよこ達は可愛い外見とは裏腹に食用の家畜として買われていきます。
  ひよこは通年で売られていますが毎年9~10月にあるネパール最大のお祭りであるダサインに美味しく頂くためにそろそろ飼い始める家が増えてくる時期なのです。
  もちろん鶏肉は下の写真のようにお肉屋さんでも売られています。しかしお肉屋さんで売っているブロイラーより庭で平飼いした鶏の方が数段美味しいのです。特別なお祭りには特別な鶏が食べたいじゃないですか。
 
ひよこ

  これが道端で見つけたひよこ達です。日差しがきついので籠の上には日除けの段ボールの切れ端(?)が置かれています。
  カメラを近づけると逃げるどころか上の写真のようにレンズに寄ってきました。ひよこ売りのひよこはさすがに人馴れしています。放し飼いだとこうはいきません、一目散に親鳥の所に逃げていきます。
  あまりに可愛いので動画も付けました。
 
ひよこ





  以前の店長日記でも書いたようにネパールではご家庭で鶏を飼う事は普通の事です。当店のスタッフの実家でも飼っています。その辺の道端で育ちますのでカラスや野良犬や自動車から逃れてダサイン当日まで生き残る確率は10%くらいでしょうか。
  まあ生き残ったところで最後は食卓に上がるわけです。しかし最優秀の雄鶏1羽と一部の雌鶏は繁殖用と玉子生産用としてエクストラステージに進むチャンスが僅かながらあります。
 
ひよこ
                        勝ち残ったベストカップル

  鶏を飼っている家の子供は雛を買ってきて、育てて、その命を頂くところまでを自宅で経験することになります。小学校で生き物係になるどころの話ではない実践的な食育と言えましょう。

どんな山奥にも村がある

2021年5月1日

  ネパールの山地を歩くと、どんなに山奥に入っても村や集落があることに驚きます。下の写真はサガルマータ国立公園内にあるキンジャ川の両岸を写したものです。左側の斜面にご注目ください。

村

  点々と家があるのがお分かりいただけるでしょうか。左を向いて正面から斜面を撮った写真が下になります。

村

  傾斜30度はあろうかという斜面に見える白い点はすべて農家です。画面からはみ出した分も数えると全部で100軒はありそうな大きな集落です。でもこの写真を撮った場所はバスで行けるところまで行った後に更に二日間歩かないと到達できないような場所なのです。

  傾斜がきつすぎて平らな畑では土が流れてしまうので斜面の大半は段々畑になっています。川を渡って近づいてみると更に段々畑がよくわかります。

村

  こうして見るとやはり傾斜は30度はありますね。いったん谷底まで降りてから登ってここまで来るのに1時間半かかりました。この立地では水は谷底まで汲みに行くしかありませんのでここの住民にとっては往復1時間半が当たり前なのでしょう。
  こんな不便な集落が行けども行けども視界に現れるのです。でもよく見ると家は2階建てで立派ですね。

村

  なぜこうまで山奥に家があるのでしょう? ネパールはヒマラヤの小国であり国土の80%が山地か丘陵地なので山がある事自体は当たり前です。
  しかし日本だって山地と丘陵地の割合は国土の75%なのに山奥にある集落は多くありません。少なくとも日本では山の中を歩けばどこにでも集落がある、という状態ではありません。日本では某TV局で「ポツンと一軒家」などという番組ができるくらい山奥の家は珍しいのです。

  この違いは人口の集中度の違いです。日本では人口の90%が都市部や平地の市街地に集中していますが、ネパールでは都市部への人口の集中はせいぜい20%で、残りの80%以上が山間部に住んでいるからなのです。
  しかもネパールの人口は日本の2割程と少ないとはいえ、国土が狭いため人口密度で言えば新潟県や鹿児島県とほぼ同じになります。つまり人は結構いるのです。
  新潟県や鹿児島県の都会に住む人たちのほとんどが市街地を離れて山間部に薄く広く散った状態が、即ちネパールと同じ状態という訳です。そりゃ山を歩けば集落にぶつかるわな、と納得します。

  もちろん工業化が進んだ日本ではこれは実施不可能です。山間部に散った人たちの働く場所がないからです。なにしろ日本の農業人口は全人口のたったの1.4%しかありません。農産物の輸入をすべて停止したとしてもとても都市部の人間を吸収しきれません。
  一方ネパールの農業人口は70%です。実に日本の50倍! 都会に出なくても十分仕事があるのです。
  農民の割合が今の50倍の世界なんて想像できないでしょうか? いいえ、そうでもないと思います。ちょっと前まで日本でもそうだったのですから。
  昭和初期には日本の人口の半分が農林業に就いていましたし、もっと遡って明治6年の統計では農業就業人口は実に80%です。農業就業人口で見る限り現在のネパールの状況は明治初期の日本と同じくらいだと言えます。恐らくその当時の日本の山地を歩けば、ネパール同様どこに行っても村や集落が点在していたと思われます。

  こうして考えるとある意味ネパールの山村を訪ね歩くことは明治初期の日本の山村を訪ね歩くことに等しいとも言えます。一種のタイムトラベルができるわけです。
  そこは日本ではもう失われてしまった地域の伝統や言い伝えや神事などがまだまだ残っている別世界です。今からでも民俗学のフィールドワークをすればネパール版の遠野物語の再現ができるかもしれません。
  まあフィールドワークまでは行かなくても、トレッキングが趣味の店長は山奥の村を訪ねるといつもワクワクするのです。

ドゥリケルからパナウティへ棚田ツアー

2021年4月1日

  ドゥリケルとパナウティは首都カトマンズから見てバスで東に2時間ほどの所にある町です。どちらも数百年前にネワール族が築いた街で、交易路上にあったため大変栄えましたが時代とともに交易ルートが変化し、今では観光客も訪れない静かな街になりました。

  街中には栄えていたころに建てられた伝統的なネワール建築が多く残っているので、伝統的な建築物に興味がある人ならそれなりに見どころはあります。しかし今回は街そのものではなくドゥリケルとパナウティの間にあるものに着目したいと思います。

  間とはどういうことか?ドゥリケルとパナウティの間には立派な車道が走っており、バスでほんの30分の距離です。しかしバスとは逆回りに未舗装の山道を歩くルートもあるのです。
  そのルートの途中にはナモーブッダというネパール人にはよく知られているが外国人はほとんど訪れないというローカルメジャーな寺院や歩いても歩いてもなお続く広大な棚田があったりして、お好きな方にはたまらないお散歩ルートなのです。
  まあこれがお好きな方は100人に3人いるかいないかくらいでしょうが、その選ばれた一人である店長は秋のある日思い立って歩いてみました。

  どれだけ時間がかかるか分からないので余裕をもって朝5時40分にドゥリケルの宿を出ました。この時間でも外を歩くともう家や店の前を掃除している人がたくさんいるのはさすがネパール人です。

棚田

  まずは丘を登って頂上のカーリー寺院に参拝してからナモーブッダにむかって歩き出しました。とはいっても初めて歩く道のうえにルート上にある集落の人達が日常使っている道なので決して一本道という訳ではなく複雑に枝分かれしています。
  当然地図は買って持っていましたが地図が悪かったのか載っていない道があまりにも多くて全く役に立ちません。それらしい道を歩いていくと畑にぶつかって行き止まり、なんてことが何度もありました。
  こういう時は、そう、現地の人に道をきくのが一番です。幸い集落の人が結構歩いていたので道をきくのに困ることはありませんでしたが、現地人はえてして「大きい道」や「正規の道」ではなくいつも自分が使っている「最短距離を行く道」を教える傾向があります。そのためどう見ても獣道だろ?という道を指さされた時に迷わずその方向に踏み出す強い心が必要です。

  ルート上には数年前の大地震で崩れた農家がまだ修復されずに残ってたりして大変気の毒でした。見たところ壁に鉄筋は一本も入っていません、これでは地震で崩れるはずです、日本なら建築基準法違反です。

棚田

  歩き始めて3時間半。そろそろナモーブッダが近いはずなのですが霧が出てきてますます道が分からなくなってきました。そんな時、霧の向こうから見慣れたものが現れました。五色にはためくこれはまさしくタルチョー(チベット仏教の祈祷旗)です。山の中で畑があれば近くに人家があるように、タルチョーがあればお寺が近くにあるしるしなのです。

棚田

棚田

  ほらありました、ナモーブッダです。噂通りネパール人はたくさんいましたが外国人は一人もいません。
  ここで参拝客に道をきくとやはり大きな道ではなく巨大マニ車の横から藪の中を下っていく細い道を指さされました。迷わず下った店長はお陰でわずか20分足らずで丘を降りきってシャンクー村までショートカットすることができました。
  でもサンダル履きの方にはお勧めできない凄い道でした。トレッキングシューズを履いてきて良かったです。

  シャンクー村はほとんど平地と言っていいほどの緩やかな斜面が広がった村で、一面の棚田でした。棚田の中に村がある、という感じです。歩いても歩いても途切れることなく棚田が続きます。店長はこんな風景を日本では見たことありません。

棚田

棚田

棚田

棚田

棚田

  ちょうど実りの季節でしたので、棚田のあちこちで家族総出で稲刈りが行われていました。無論日本とは違ってコンバインなどありません。人力で刈り取り、人力で金網に稲束を叩き付けて脱穀します。歩いても歩いても続く棚田の稲を全部こうして収穫するのかと思うと気が遠くなりそうです。
  日本でも昭和初期までは同じ事をやっていたとはとても信じられません。店長なら初日に腰を壊すこと間違いなしです。

  小一時間ほど歩いてシャンクー村を抜けると左手に川が見えてきます。パナウティで二股に分かれるプニャマタ川です。
  パナウティに着いたのはちょうど昼の12時、ドゥリケルから6時間20分かかった計算になります。途中お茶を飲んだりお寺を見学したりしたので、実質歩いていたのは6時間もないでしょう。雨は降りませんでしたが獣道を歩いたせいか露で靴がぐっしょりです。
  ドゥリケルとパナウティは地図上の直線距離だと6kmしか離れていませんので随分と遠回りのお散歩になりました。しかしそれだけの価値はありました。

  皆様も如何でしょうか?ちょっとお目にかかれないような風景の中をさまよい歩く体験ができますよ! ただし歩き始める前にスマホにこの辺りが詳細に載った地図を入れておくことを強くお勧めします。地図によっては山道が全然載ってないものもありますので注意が必要です。
  この準備を怠ると皆様が望む以上にさまよい続ける羽目になります。

珍しい訪問者

2021年3月1日


   かなり前にネパール南部の田舎の村を訪れたことがあります。村の名前はカジュリと言います。

  その村はインド国境からほんの1kmほどしか離れていない国境の村です。インドとネパールの間の国境なんて地元住民にとってはあって無いようなものなので出入りも自由で、実際村の中の道を歩き続ければそのままインド国境を通り過ぎてしまいます。と言っても国境のインド側には何にもないので交易で栄えている訳でもなんでもなく、単なる普通の村でした。
 カジュリ村の特徴は国境よりもむしろ鉄道にあります。村はネパール国内を走る唯一の鉄道であるジャナクプル鉄道の線路によって南北に分けられ、村内に駅もあるのです。

  残念ながら人も物資もカジュリ村を素通りして鉄道の始発地点であるジャナクプルかインド側の終点の駅に行ってしまいます。またそもそも列車は1日2往復しかしないので運べる人数も物資もたかが知れています。本当にただの小さな田舎の村なのです。
  店長の滞在地もジャナクプル鉄道の始発駅があるジャナクプルであって、当初はこの村の存在も知りませんでした。ですがネパール唯一の鉄道と言われれば一度は乗ってみたいではありませんか。さすがに日本人は国境を越えた終点駅までは行けませんので、ひとつ手前の駅で降りてみらこの村だったという訳です。

  カジュリ駅を降りると目の前に小さな食堂兼売店があります。というか駅舎もプラットフォームもなく、いきなり売店しかありません。足元から左右に地平線まで伸びるレールには枕木もありません。線路って枕木が無くても大丈夫なんだ、という驚きがありました。

訪問者

  売店の横には大木を囲んだチョウタラと呼ばれる休憩所があり日陰になっているので村人が何人か座っておりました。
  で、このチョウタラにいる村人の視線が非常にキツイのです。別に敵意がある視線ではなく、異様なものを目にした時の視線でした。こんな目で見られることってなかなかありません。痛い、痛すぎます。
下の写真をご覧ください。
 
訪問者

訪問者

訪問者

  そうです、田舎の村には外国人などめったに来ることはありません。肌の色も服装も非常に異質かつ目立つのです。特に子供はたった今UFOから降りてきた宇宙人でも見るかのような警戒心もあらわな目つきでこちらを凝視しています。(違います、列車から降りて来た日本人です!)
  でも不思議です、同じ田舎でも店長がよく行く山間部の村では普通もっとフレンドリーなものなのです。北部のヒマラヤの山奥と南部のインド国境付近で何が違うのでしょうか?。

  痛い視線に耐え切れず、線路の北側の村に向かって歩いてみることにしました。
  15分ほど歩くと子供たちが何かやっているようです。どうやらちょっとした池で小魚を釣っているようです。チャンスです。片言のネパール語で話しかけると物凄くびっくりしていましたが(宇宙人がしゃべった!)そこは子供なので、あっというまに慣れて笑顔で釣った魚を見せてくれるようになりました(こいつ友好的だぞ!)。

訪問者

  危険でないと分かると次から次へと子供が集まってきます。来るわ来るわ珍しいもの見たさにたちまち小学校の1クラス分くらいの子供たちが集まってきました。学校はどうしたんだ? 店長は眩暈がしてきました。いいえ、子供達のせいではありません、気温40度を超える炎天下の中で突っ立っていたせいです。
  いいかげん日陰で休みたいと思っていたら、子供から聞いたのでしょう(変な外国人が来てるよ!)今度は大人たちまでもが集まってきました。仕事はどうしたんだ? ぐるりと周りを取り囲まれてしまいました、こういう場合は笑顔でコミュニケーションを取るのが肝心です。

「何しに来たんだ?」  鋭い質問です。
  村にとっては一大事なのでそう質問したい気持ちはわかります。わざわざ外国から時間とお金をかけてこの村にやってきたからには何か目的があるはずだと考えて当然です。
  ですが本当に何の目的もなく列車を降りただけなのでとっさに答えられません。
  しかしUFOから降りてきた宇宙人に人類代表団が地球訪問の目的を訊ねたとして、返ってきた答えが「ちょっとブラブラしに来ただけっすよ」だったら納得するでしょうか?

「私は日本人です。この村には観光に来ました。」とまあ穏当に嘘ではない返答をしました。
「観光か。あっちに寺があるぞ、それを見に来たのか?」、「あ?ええ、そうなんです!」
親切に寺がある方向を指さしてくれているので行ってみることに。

  ちょっと気分が悪くなってきて対応するのが億劫だったので、案内したそうでしたが遠慮して一人で行かせてもらいました。しかしその道を歩けど一向に寺など見えてきません。村はそんなに広いはずはないのに道に迷ったようです。言い訳をさせてもらうと日本の整備された計画的な道と違って完全に自然にできた踏み分け道です。もちろん舗装もされていません。ついでに日陰もありません。
  持っていた水は飲み尽くし、歩いているだけなのに呼吸が荒くなり、だんだん吐き気がしてきました。これはまずい!  すぐに引き返すことにして南に向かって歩き始めました。もと来た道を引き返すよりとにかく南に行けば線路に出るはずだからです。指の先が痺れてきました。熱中症の不吉な兆候です。

  幸い線路に出るとすぐそこが駅前の売店でした。ペットボトルのミネラルウォーターを買ってガブ飲みしたい、が、そんなオシャレなものは置いていません。仕方なく熱いお茶を注文してフーフーしながら飲みました。
  次の列車が来る迄あと数時間あります。もう日差しの下は歩きたくないのでお店の屋根の下で体力の回復をはかりつつ列車を待ちました。お店の女将と子供たちは職業柄「知らない人慣れ」しているせいか打って変わってとてもフレンドリーでした。
 
訪問者
 
  子供たちの顔を見ていて少しわかった気がしました。ネパールには50を超える民族が暮らしていると言われます。北部のヒマラヤ山中では日本人に顔立ちが似たチベット系の住民なのに対して、南部のこの辺りではアーリア系の彫りの深い顔立ちです。
   つまりこの辺りの人たちは日本人に会った時に強い違和感を感じるのでしょう。それがあの目付きになって表れているのではないでしょうか?

  いずれにしろお茶を飲んで少し話をしてみるとチョウタラにたむろしていた人たちも打ち解けた優しい顔になってくれました。笑顔とおしゃべりは異文化交流の魔法の薬です。

人と鳥との距離感

2021年2月1日

  以前の店長日記でネパールでは家畜と人間との間の距離がとても近い、というような話しをしたと思います。牛が、水牛が、ヤギが、鶏が、道路を人間と一緒に普通に歩いています。
  今回は家畜ではなく野生動物もまた人間に近い距離で生活していることを実感したお話しです。

  ある日の事です。農家のおじさんが畑を耕していました。ネパールにしては珍しく耕運機を使っています。下の写真をご覧ください。

鳥

鳥

  ですが、なんだか様子がおかしいのです。おじさんの後ろから結構な数の鳥たちがぞろぞろと付いて歩いているのです。初めは飼っている鶏か何かかと思いましたが違います、よく見るとカラスやサギ(?)やムクドリ(?)といった野鳥達なのです。
  おじさんはというと鳥たちを気にすることもなく淡々と畑を耕しています。どうやらおじさんにとってはこれは珍しくもなんともないごく普通の光景らしいのです。

状況が呑み込めない店長は仮説を立てました。

①これはおじさんが飼っている鳥である 
②飼ってはいないが時々餌をやっているので野鳥がなついている 
③野鳥だが鳥は自分の目的があって勝手に後を付いている

  鳥は卵から孵化させれば人間を親だと思ってなつくそうなので、①は十分あり得ます。しかし観察しているとおじさんは鳥たちを完全に無視しています。全く見ようともしませんし、機械に巻き込まないように気を使ったりもしません。①はなさそうです。

  ②はどうでしょう? これも無視しているのは変ですし、餌をやる様子もないのに鳥達は延々と後を付け回しています。②でもないようです。

  そうしているうちにある事に気が付きました。鳥たちはいつも耕運機の後を歩いています、耕運機の前や横はあまり人気がありません。また互いをけん制して良い位置を取り合っているようにも見受けられます。③だとすると、良い位置とはいったい何に対してよい位置なのでしょう?
  更に観察を続けると鳥は耕運機が掘り起こしたばかりの地面を時々嘴で突いています。これでわかりました!鳥たちは耕運機に掘り出されたミミズや虫が再び安全な土の中に逃げ込むまでのわずかな時間を逃さずついばんでいたのです。

  おじさんの事はどうでもよく、掘り起こされた直後の土が目当てだったのです。ベストな位置はもちろん耕運機の真後ろです。
  現地ではおそらく誰も疑問に思わない常識レベルの当たり前の事なのだと思います(おじさんに聞きに行っていたら日本人の知的レベルが疑われた事でしょう)。しかし店長は初見なので、正解にたどり着くまでかなりの時間を要しました。

  ひとたび野鳥と人間との距離が近いと気が付くと、ほかにも色々と見えてきます。例えば当店のスタッフの家の近所にある酪農家では下の写真のように早朝に牛たちが牛舎(といっても北海道の酪農風景を想像しないでください、家に付属しているただの小屋の事です)から放牧地に追い立てられます。

鳥

鳥

  店長は時々そんな牛を眺めつつ搾りたての牛乳を沸かしてもらってフーフーしながら飲んでいたりするのですが、ここでも野鳥が不審な動きを見せています。
  のんびりと放牧地へ向かう牛の背中に黒い影が! 正体はカラスで、しきりに何かをついばんでいます。サギ(?)も混じっています。
  鳥が嫌なら牛は尻尾を振ったり首を振って追い払うはずなのですが、全く動じる様子がありません。どうやら牛の体についた虫を食べているようです。いわゆる共生関係ですね。

鳥

鳥

鳥

  日本でも人間と野鳥との関わりが無いわけではありません。アホウドリやヤンバルクイナのように人間の保護を受けている絶滅危惧種クラスの野鳥は言うに及ばず、ヒヨドリがバードテーブルにヒマワリの種をついばみにやってきますし、カラスが電柱脇のゴミステーションをあさっていたりもします。
  しかし前者は人間が積極的に餌やりしているのであり、後者は住環境を荒らす害鳥として迷惑な存在となっております。ネパールの例のように互いに干渉せずに利用または共生する存在としての野鳥は日本ではなかなかお目にかかれないのではないでしょうか?

収斂進化?

2021年1月1日

  用途が同じ道具はその起源がまったく別物でも似たような形状になることがよくあります。コップや皿は日本の物であれ西洋のものであれ中に食べ物を入れる必要があるために必ずくぼんだ形になります。
  門レベルで異なる生物であるハチと鳥も飛ぶ必要から同じような羽を作り出しました。これを収斂進化というそうです。このような傾向は武器・武具にもあるのではないかと思うのです。

  以前台湾にある故宮博物院で興味深いものを発見しました。故宮博物院は古代中国の青銅器のコレクションが豊富で、今から4,000年以上前まで遡る青銅製の武器類が数多く展示されているため一度行ってみたかったのです。

戈

  博物館は最上階のフロアが丸ごと青銅器の展示に割かれておりました。日本がまだ縄文時代で狩猟採集をしていた頃だというのにこれらの青銅器が物語る文明度の高さときたら驚異的です。フロアも広いですが付属の庭園も巨大で、さすがは世界3大博物館の一つですね。ちなみに残りの二つはロンドンの大英博物館とワシントンのスミソニアン博物館だそうです。

  さてお目当ての青銅製の武器・武具ですが、あるわあるわ、斧、戈、鉾、矢、剣、刀、、、

戈

戈

戈

戈

  中でも目を引いたのは戈(か)です、下の写真をご覧ください。戈は本体の後ろの部分を棒(写真では透明なプラスチック製の部分)に貫通させたうえで本体に開いた穴に紐を通して棒に固定して使うというちょっと目にしたことがない形状の武器です。
  棒の部分が3mほどの長柄のタイプと60cm~1mほどの短柄のタイプ、その中間のタイプの3種類があります。他の武器類は現代でも形状や用途を引き継いだ子孫たちを見ることができますが、戈の子孫は見かけません、というかユニーク過ぎて類似の武器がすぐには思い浮かびません。そもそもこれはどうやって使ったのでしょうか? 

戈

  文献によると長柄のタイプの戈は馬が引く戦車に乗った人が振り回して使うものだったらしいです。L字に曲がった先端の鋭い部分を相手に打ち込んだり、鎌のように使って首や手足を刈るように切りつけたり、戦車に乗った相手に引っかけて戦車から落としたりしたとの事です。

  短柄のタイプの戈は後漢頃までは剣と並ぶ一般的な武器だったそうで、用法は通常盾とともに使って、振り回して先端を打ち込むだけではなく、戈を受け止めた相手の得物を引っかけるようにして防御に隙を作ったり体勢を崩したりしたそうです。
  下の写真は装飾の無い量産型の短柄用の戈のようで、折れにくいように本体部分に峰状の出っ張りを3本作って強度を増しています。このあたりは以前の店長日記で紹介したブンディ・ダガーと同じ構造で合理的です。使用痕があるので実際に使われたものなのでしょう。

戈

  青銅器に鋳込まれた戈の図が以下になります。当時の戦争の主要武器の一つだったことがうかがえます。上が長柄のタイプ、下が短柄のタイプのようです。
 
戈

戈

  先端部が長手方向に対して垂直についている点、槍のように突くのではなく、振り回して重さと遠心力で先端を相手に打ち込む点、この用法にはどこかで覚えがあります。そう、当店でも扱っている古代の刀剣「コラ」です。コラへのリンク

戈

  上の写真はネパールの首都カトマンズにある国立博物館のコラです(ちなみに発音はネパール語では「クーンラ」の方が近いです)。コラにも長いものと短めのものの2タイプあります。
  写真上は短い(といっても刃渡り80cmはありますが)タイプで、重く、分厚く、幅広で、まるで斧の刃をそのまま伸ばしたような形状です。刃は湾曲した内側にあり、先端のとがった部分は刀身に対して垂直についております。
  こちらは重さと腕力で打ち込むもので、振り下ろしたコラを仮に相手が受け止めても重さと勢いに押されてそのまま先端部が頭蓋骨に食い込むことになります。まあこのタイプは常人の腕力で振り回せる重さではないので使う人を選ぶ武器ですね。
  一方写真下の長いタイプは刃渡り1mもあります。細身で軽量ですが、やはり末端部に重心があり刀身に対して内側に先端があります。明らかに振り回して遠心力で先端を打ち込むための構造です。

  戈とコラが起源を同じくする物かどうかは店長にはわかりません。場所も使われた時期もずいぶん違うようなので、おそらく両者は独自に発展したものなのではないかと思います。ですが「突くのではなく振り回して使う」という共通したコンセプトであったため同じような形状になったのではないでしょうか。

ページトップへ