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バネ鋼

内戦下のネパール

山奥
2010年9月1日
 ネパールは1996年から約11年間にわたって内戦状態にありました(この時期に白兵戦におけるククリの有効性が再認識されたわけですが、その話はまた別の機会に)。一時はマオイストと呼ばれる反政府勢力に国土の80%近くを実効支配されるまでに追い詰められましたが、今はマオイストもネパールの政党の一つに収まっています。
 さてこの内戦の真っ最中にも店長はネパールを訪れておりました。ところがネパールに着く早々明日からマオイストによる全国ストライキが始まると聞き、どうせ仕事にならないならとヒマラヤの山奥に引きこもる事にしました。山奥ならマオイストの影響もないだろうとふんでのことですが、ここに大きな誤算があったのです。
 とにかく交通機関が動いているうちに一気にアンナプルナ山域にある標高2700mの村ジョムソンまで飛行機で移動しました。山間の小さな飛行場に降りると意外にも兵士が厳重に警備しています、こんな山奥でなぜ? その晩村の宿屋の女将に聞いてようやく理由がわかりました。この村にはネパール軍のキャンプがあったのです。当時ネパール国内は軍や警察署がマオイストに襲撃される事件が相次いでいました。こんな山奥の孤立したキャンプは格好の標的です。とんでもないところに来てしまったとわかった時は既に遅く、翌日から交通機関はマヒ状態で戻ることもできません。

ネパール軍

 その夜、午後7時以降は外出禁止令が出ているので早めに村の反対側の飲み屋まで、よせばいいのにやけくそ気味に飲みに行きました。山の日暮れは早く、いい気分で6時半ころに飲み屋を出たときはもう真っ暗でした。もちろん村内に街灯などはないので懐中電灯で足元を照らしながら歩いていると、突然全身がまぶしい光に包まれました。見上げると軍のトーチカからスポットライトで照らされており、自動小銃を持った兵士が私に狙いを付けています。まさかもう7時になっていたのか? 大ピンチです。
 私は急な動作をしないように気をつけながらトーチカのほうに向き直り、にこやかに英語で言いました「ワタシハニホンジンデス」兵士の緊張が解け、めんどくさそうに銃口を振りながら「ジャウジャウ」と言われました。行け!という意味のスラングです。日本人は顔だちがネパール人に似ているため得することも多いのですが、致命的に損をすることもあるのだと知りました。
帰る道々パスポートを取り出そうとあわてて胸ポケットに手を突っ込んだりしていたらどうなっていたのか? などと考えながら宿について時計を見るとまだ7時前です。こんな状況でも時間にいい加減なネパールなのでした。

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