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バネ鋼

山里の初夏の脱穀風景

2018年7月1日
  ちょうど今頃の時期にヒマラヤのヘランブーと呼ばれる地方を歩いておりました。今時期は前年の晩秋に蒔いた麦の刈り取りのシーズンで、道々どの村でも麦刈り風景が見られました。

  コンバインもトラクターもない完全手作業の麦刈りはとてものどか(などと言ったら苦労してやっている村人には怒られそうですが)なもので、しばらく標高2500mほどに位置するメラムチガオンという村に滞在して麦刈りを眺めて過ごしました。

  そこでまず気付いたのは不思議な麦の刈り方です。なぜか根元から刈らずに穂の部分だけ摘み取るように刈るのです。最終的には根元から刈って茎の部分は麦わらにして利用するはずですのでこれでは二度手間です。一体どうしてでしょう? 
  下の写真の上側が麦刈り前の状態、その下が麦刈り後の状態です。麦刈り後の畑はただ茎だけが突っ立っています。そのさらに下は刈り取った穂を干している所です。

脱穀

脱穀

脱穀

  疑問はまだあります、穂の部分だけ刈り取ってどうやって脱穀するのでしょう。下の写真はメラムチガオン村から3日ほど山を下った平地にあるバクタプルの麦刈り風景です。ここではちゃんと根元から刈り取って、麦を束ごと石に叩き付けて脱穀しています。根元から刈り取ったからこそできる技です。ちなみに道に刈り取った麦を広げて人や車に踏ませて脱穀する方法もありますが、ヒマラヤの山奥ではそもそも車が珍しく人もそうそう歩いていないため実行不可能です。

脱穀

脱穀

  穂だけ刈り取る疑問はしばらく眺めているうちに解決しました。「穂のまま保管してその日使う分だけ臼と杵で脱穀する」が答えです。臼と杵は現代の日本ではもっぱら餅つきにしか使いませんが、日本でも昔は臼の主要な用途は脱穀と製粉だったようです。

脱穀

  でも自家消費用ではなく脱穀した麦を売って現金収入を得たい場合はこんな方法では間に合わないはずです。その場合の答えは「殻竿を使って一気に大量に脱穀する」です。

脱穀

脱穀

  殻竿なんて店長は初めて見ました。知らない人も多いと思いますので説明すると、長い棒の先に短い棒がブラブラになる感じで取付けられていて、振り回すと短い棒の部分が麦の山にピシャリと打ち付けられる仕組みになっています。
  こうやって脱穀された麦粒はまだもみ殻とまじりあっていますので分別しなくてはなりません。分別は風力によって行われ、少量なら平たいザルで、大量ならゴザを敷いてもみ殻や茎のかけらを風で飛ばしてしまいます。風のない日は下の写真のように電動送風機を使ったりもします。まあ停電が多いのであまりあてにはなりませんが…。

脱穀

  残された疑問は畑に突っ立たまま残された麦の茎です。最初は畑に牛や馬を入れて勝手に食べさせるのかとも思いましたが、そのような様子は見られず畑は柵で囲われて中に入れないようにされています。秋になると畑は伸び放題の雑草で覆われて、下の写真のような感じになってしまいます。
  その時は結局これについては分からず仕舞いのまま山を下りました。

脱穀

  下山後に文献をあたったところようやく答えが見つかりました。どうやら雑草に見えていたものは雑草は雑草でも家畜の飼料にもなる植物であって、根元から麦を刈らなかったのは一緒に雑草を刈ってしまわないためだったようです。秋には麦の茎もろとも伸びた雑草を刈りとって乾燥させて冬期間の家畜の飼料にするそうです。ある意味麦と雑草の二毛作と言えます。

  麦だけの二期作ができれば一番いいのでしょうが、ヒマラヤの厳しい気候では無理なのです。二期作どころか標高があと1000mも上がれば麦の栽培そのものが不可能になります。ちなみに平地のバクタプルでは麦が二期作されていますので根元から刈り取られるという訳です。

  どれだけ苦労して麦を収穫し脱穀しているのかが分かったせいでしょうか、メラムチガオン村で食べた新米ならぬ新麦で作ったパンや麺はとても美味しく感じられました。

フェルト工場

2018年6月1日
  ネパールの首都カトマンズの繁華街タメルには下の写真のような外国人観光客向けのフェルト屋がたくさんあります。なぜ外国人向けだと思うのかというと、写真をご覧になれば分かるようにデザインがいかにもネパールらしくないことと、知り合いのネパール人のご家庭に行ってもフェルト製品を見かけたことがないからです。

フェルト

  そもそもネパールにおける商業的なフェルトの歴史はそんなに古くはないと思うのです。フェルトショップが目に付くようになったのはせいぜい今世紀に入ってからで、それまではあんなに目立つ店構えなのに見た記憶がありません。

  こんな話を当店のネパール人スタッフにすると、なんと彼の友人がフェルト工場を経営しているというではありませんか、灯台下暗しです。これは行ってみないわけにはいきません。
  工場に連れて行ってもらうと、これまた灯台下暗しで当店と契約する鍛冶工房と同じ並びの徒歩1分の場所にありました。我ながら今までよく気が付かなかったものです。中に入ると15m四方くらいの作業場でまさにフェルト生地が作られている所でした。
  店長はフェルトには詳しくありませんが、簡単に言うと石鹸水を付けた羊毛を平らな台の上でひたすらこすり合わせていると互いに絡み合ってくっついて板状のフェルト(上側の写真)になるそうです。これをちぎって成形して更にこすり合わせてくっつけたりすると継ぎ目なしの一続きのバッグや財布が出来上がるという訳です。下側の写真の紫色の洗面器を伏せたようなものはボウルか小物入れだと思います。

フェルト


フェルト

  作業場に隣接して出来上がったフェルト素材の置き場があり、また縫製や梱包や出荷を行う場所があってサンプル品が並んでいます。次の写真の上側がフェルト素材、下側がサンプル品です。

フェルト

フェルト

フェルト

  さてこれらのフェルト製品のお値段ですが、ひっじょーに安い! 大型のバッグで2,000円程度です。日本でなら10倍近くすると思われます。フェルト好きの読者の皆様、是非ネパールに足をお運びください。

  フェルト工場というものがどういう所なのかを把握してから改めて郊外を散策してみると、洋服やアクセサリー類の工場に混じってフェルトの小さな工場がちょこちょこ見つかるではありませんか。ということはトータルでは結構な量のフェルト製品が生産されていることになり、たかがタメルの十数軒の店に並べるくらいでは済まないはずです。フェルトはどこに行ってしまったのでしょう? そうです、フェルトは輸出されているのです。
  ネパールの統計を調べてみると、その輸出額の上位は毛糸や布地やそれらを使ったカーペットや衣服といったアパレル製品が占めています。フェルトも原料は羊毛なのですからここに含まれているに違いありません。上の写真のサンプル品も聞けばヨーロッパ向けの輸出品とのこと、デザインが垢抜けていたり西洋風だったりするのも頷けます。

  店長はここに新たな可能性を感じます。ネパールは国連が定める世界最貧国の一つです。それでも工夫次第でこうやって付加価値の高い商品を安価に作り出してそれを輸出することで貴重な外貨を稼ぎだす事だってできるのです。ネパールのヨーロッパ向けの輸出入は全輸出入量の1割ほどに過ぎず隣国インドや中国には遠く及びません。しかし稼ぐならインドの通貨「インドルピー」や中国の通貨「元」より断然「ユーロ」や「米ドル」の方が魅力的です、国際的な信用度が違います。ネパールの通貨「ネパールルピー」の信用は最低でもユーロやドルで買えないものはありません。
  日本だって幕末の内戦である戊辰戦争が終わった直後の明治政府は(当時の日本円は国際的には何の信用もなく、銀貨以外の紙幣は紙くず同然でしたので)外貨が喉から手が出るほど欲しかったではありませんか。内戦が終わってまだ10年そこそこのネパール政府だって事情は同じなのです。

  更なる可能性は、こうした工場で働く工員の多くが女性だという事です。店長が見学させてもらった工場も経営者以外は皆女性でした。
  多分これをお読みになっている方々は「それのどこがそんなにいいの?」とお思いでしょう。当然です、日本では働く女性は当たり前です、でも明治初期の日本で女性が働ける職場が多くなかったようにネパールでは女性が働いて現金収入が得られる職場が日本よりずっと少ないのです。
  内戦後に再スタートしたことといい、国の経済状態といい、男尊女卑が残っていることといい、現在のネパールは明治期の日本にくどいくらい符合します。女性が働けずに豊かになった国を店長は知りません(掘れば石油がいくらでも湧いて出るような国は別ですが)。店長はネパールにもっともっと女性が働ける場が増えることを願っています。

揚げ干し

2018年5月1日
  今回はネパールの魚の保存方法の紹介です。皆さんは日本に「焼き干し」という古くから伝わる保存食がある事をご存知でしょうか? これはアジや鮎やカジカといった魚類を一度素焼きにしてからまた干したもので、ただ干した物より痛みにくくなり長く保存できるようになります。また独特の香ばしさがある事からダシを取るのに使われることもあるそうです。

  一方、ネパールは内陸国で海がないため魚は日本ほど一般的ではありませんが、それでも川や池でとれた魚が食べられています。鯉やナマズは大きな市場の魚屋さんに並んでいますし、山奥の渓流には20cmくらいのアサラというパッと見ウグイのような魚がどこにでもいます。
  魚が取れるからには保存方法もあるわけで、もちろんごく普通の干し魚も乾物屋に並んでいます。ですがネパールの低地部は夏季の気温が日本より高いため夏場は単に干しただけでは干しているそばから魚は傷みはじめてしまいます。
  暑いさなかに魚を傷ませずに保存するにはどうするか? やはり焼き干しか? いえいえ焼き干しより更に長期保存できる方法があるのです。それが「揚げ干し」です。

揚げ干し

揚げ干し

  川沿いの幹線道路にあるドライブインなどでは、店先になにやらすだれのようなものがぶら下がっていることがあります。よく見るとこのすだれは魚でできています。これが揚げ干しです。作り方は生の魚を大きなものは切り身で、小さなものは丸ごと竹の串に刺して油で揚げます。水分を飛ばしながら焦げないように揚げるのがポイントです。
  魚は傷む間もなくカラカラになり更に揚げる過程で完全殺菌されるため、あとは常温で軒先に吊るしておいてもOKなのです。海がないネパールでは塩が貴重だった時代が長く続き、塩は高価な物資でした。しかしこの方法なら塩干しとは違って一切塩を使わないで済みます。まあ現在は塩も安価に手に入りますが。

  切り身と丸ごとの小魚を一串ずつ皿に並べたものが下の写真です。切り身が赤いのは元々白身の魚だったのを何やらスパイスに付け込んでいるせいらしいです。食べてみると水分は全くと言っていいほど無くカラッカラで、たぶん強く握ると粉々に砕ける事でしょう。夏場でもここまで乾燥させれば腐りません。

揚げ干し

  このすだれを軒からはずして店の中に入り酒のつまみとして注文する事もできます。その場合はあろうことか更にもう一度油で揚げられた上にトウガラシとハーブ類が振りかけられて出てきます。もうカラカラを通り越してサクサクのスナック菓子みたいです。
  ただ妙なことが一つ。すだれの中に何故か魚の頭がご丁寧に揚げられて入っていました。この配置はどう考えても偶然ではなく意図的です。

揚げ干し

  食べるとは思えないので何かの魔除けかおまじないでしょうか? あるいは魚好きの神様のお供え物にでもするのか? 日本でも昔イワシの頭を串に刺して玄関先に飾って魔除け(イワシの頭も信心から)
にしたりしたそうですので、日常生活に呪術や神様やおまじないがてんこ盛りのネパールなら魔除け説もお供え物説も十分に考えられます。
  というのは考え過ぎで単に猫の餌用なのかもしれませんし、魚の頭の味が好きな人向けなのかもしれません。今度ネパールに出張した時にでも聞いてみます。まだまだ分からないことが多いネパールでした。

トゥテンチェリン・ゴンパへ その2

2018年4月1日
  ジュンベシ村はゆるやかな川沿いという事もあってこの高度のヒマラヤ山中にしてはまとまった平地がある所です。
  村にはそこそこ大きな僧院があって、ロッジも多くこの辺りでは一番大きな村かもしれません。下の写真のように家々も立派です。

ゴンパ

  ここから東に進むのがメインのトレッキングルートです。しかしあえて北の川上に進むこと1時間半、右手の山の中腹に大きな建造物が見えてきます。4階建ての巨大な僧院(ゴンパ)です。そしてその後ろには山全体を覆い隠すようにタルチョーがたなびいています。

ゴンパ

ゴンパ

ゴンパ

  タルチョーは五色の祈祷旗の事で、ぱっと見は運動会かなんかでよく見る万国旗のようです。チベット仏教ではこれが風にたなびくたびに読経したのと同じ事になると見なされています。つまりこの地域に風が吹くと山全体が読経するという壮大な仕掛けになっているのです。店長はタルチョーをマニ車(これも回すと読経した事になる)と並ぶ、2大手抜き仏教法具だと思っています。
  話を僧院に戻しましょう。店長はジュンベシ村を朝7:30に出て色々寄り道しているうちにジャガイモ袋をかついだ11歳ぐらいの少年と行き会いました。話をしてみると目的地が同じトゥテンチェリンゴンパだとわかったので一緒に行く事にしました。どうやらゴンパに食料を運ぶのがこの子の仕事のようです。

  ゴンパに着くと、ちょうどお腹もすいてきたことだし、どこかに食堂くらいあるだろうとその子に場所を聞いていたところ、かなり偉そうな身なりの僧侶が通りかかり、「こちらでお茶を飲んでいきなさい。食事も出しましょう」と声をかけてくれました。なんて親切なのでしょう。渡りに船とばかり後についていくと体育館のように大きなお堂に通されました。てっきりそこが食堂なのかと思いきゃ、中にはざっと150人ほどの僧侶達が座ってお経をとなえているではありませんか。
  ここまで案内してくれた僧侶は茫然としている店長を末席に座らせると、上座の2段ほど高くなっている席に座り、同じようにお経をとなえ出しました。
…あの、お茶はどうなったのでしょうか?

ゴンパ

ゴンパ

  150人が唱和するお経は荘厳なうねりとなってお堂を満たしていました。お堂の内壁も壁一面が仏画で覆いつくされ、天井にはなぜかシャンデリアまで下がっています。撮影の許可はもらっていたので読経のじゃまになりそうなフラッシュは使わずに自分の席から静かに何枚か写真を撮らせてもらいました。
  まあお茶はあきらめるとしても、席を立って部屋から出られる雰囲気ではさらさらなく、この時点で帰るタイミングを完全に失っておりました。周囲の僧たちはチラチラと不審そうな視線を送って来ます。そうですここはお経をとなえる場なのです、僧侶以外の者が居て良い場所ではありません。もはや店長も一緒にお経をとなえるより他に選択肢はありません。
  ところが店長はお経なんてこれっぽっちも知りません。しかたがないので知っている日本の歌の歌詞をえんえんと唱える事にしました。多分僧たちには外国語でお経をとなえているように聞こえたはずです。
  40分ほどするとやかんを持ったお坊さんたちが全員にバター茶をそそいで回り始めました(下の写真)。やっとお茶の時間です。しかし読経は止まりません。誰も飲もうとしないため店長も飲めません。

ゴンパ

  待つこと10分、どこからかチーンという澄んだ音が聞こえてくると、それが合図なのでしょう、読経の声が小さくなって声を出す合間にお茶を飲みだしました。ようやくお茶が飲めます。
  この後、約40分おきにバター茶やミルクティーが配られ、親切な人達なので断ってもニコニコしながらなみなみと注いでくれます。結果、店長の膀胱は限界に近づいて行きました。
  周囲を注意深く観察すると、時々音もなく席を立って数分後に戻ってくる僧侶がいます。トイレに行っているに違いありません。次に僧侶の一人が席を立ったタイミングで一緒にトイレに行く事が出来ました。
  店長が読経(?)を初めて2時間40分が経過し、知っている歌の歌詞をすべて暗唱し尽くして2周目に入ろうとする頃、ついに直径60cmはあろうかという金属製の洗面器に山盛りになった白米が運ばれて来ました。
待ちに待ったランチタイムです。
  と言ってもお茶の時と同じく読経が完全にやむわけではなく、その場に座ったまま食べる人は食べて、食べ終わったらそのまま読経に戻るといった感じです。
  うかうかしてたら全員が食べ終わってしまい、今までの流れからしておそらく夕方まで読経が続くのだと悟った店長は、このタイミングを逃さず全速力で食べ終わって周囲の人とここまで案内してくれた僧侶に暇乞いをしてお堂を後にしたのでした。御本尊のある本堂でお布施をして外に出た時にはもう午後2時を過ぎていました。

  貴重な体験でした。21世紀の現在でもヒマラヤの片隅で日々このような勤行を行って暮らしている人達がいるのです。おそらくは何百年も前から、かくもひっそりとかつ大規模に、です。
  彼らの生活は我々の普段の生活と比べると全く異質なものです。にもかかわらずこのゴンパに限らず他のゴンパでも外国人に対して大抵とても親切なのです。異質な他者に対して非常に寛容かつフレンドリーな所はチベット仏教の大きな美点だと思います。
  どこかの国にも見習って欲しいですね。

トゥテンチェリン・ゴンパへ その1

2018年3月1日
  ネパールには国立公園がいくつかあり、エベレストを含むヒマラヤ山脈の一部も広大なサガルマータ国立公園となっています。そしてサガルマータ国立公園内の主要なトレッキングルートからはずれた奥地には巨大な僧院(ゴンパ)があると言います。今回の目的地はこのトゥテンチェリン・ゴンパです。

  バクタプル在住の当店のスタッフの話によると一番近いバス停から歩いて三日もかかるうえに行っても何にも無いからやめておけと言われました。そういう所に興味があるのだと答えるとやれやれという顔をされました。
  そうなのです、観光地でも何でもないただの山奥に好んで行きたがる人間はネパールでは良くて物好き、悪く言えば変人扱いなのです。
  仕事としてトレッキングのガイドや荷物持ちをするネパール人は多いのです。しかし仕事抜きで好んで山に登るネパール人には会ったことがありません(まあ中にはいるのでしょうが)。店長的にはすぐそこにヒマラヤがあったら登らずにはいられないのですが、東京に住んでいる人が東京タワーやスカイツリーに登らないのと同じ感覚でしょうか。

  さて、カトマンズを朝6時に出るバスは店長の拠点であるバクタプルに6:55に到着し、そこからサガルマータ国立公園にほど近いジリという町に向かいました。
  しかし同乗の人の話を聞くとこのバスはさらにその先のバンダルという村にまで行くというではありませんか。大ラッキーです、終点まで座っているだけで歩く行程を1日短縮できます。
  ですが乾季も終わって雨季に入ろうかというこの時期のヒマラヤの車道をナメてはいけなかったのです。

ゴンパ

ゴンパ

  バンダルのはるか手前で道路はがけ崩れのため工事中となり、バスは山の中で止まってしまいました。どうするのか?
  どうもしません。そうです、このバスはここで終点となったのです。乗客達は文句を言うでもなくバスを降り、平然と様々な方向に歩き出しました。右も左もわからない店長がバスの添乗員に説明を求めると、漠然と前方やや右の森を指さしてバンダルはすぐそこだと言います。確かに乗客のうち何人かはそちらの方向に向かって歩いて行きます。もう日は沈みかけて夕闇がせまっている時刻です。今あの乗客たちについていかなければヒマラヤ山中で行き場をなくしてしまうでしょう。
  急いでザックをひっつかんで最後尾に続きました。さすがに地元の人らしく躊躇なく獣道や車道をショートカットする道を進みます。しかも道と言うのもはばかられる不整地でもう足元が暗くて見えないというのにすごいスピードなのです。ここではぐれたら完全に迷子です。
  全力で歩くこと45分、真っ暗になったころようやくバンダルに着きました。何がすぐそこだ! いや、村人の感覚ではこれですぐそこなのです。

  そこから翌日、翌々日と歩き続け、ヤクが群れる3700m地点を抜けて一気に1000m下ったところで3日目の午後にようやくトゥテンチェリン・ゴンパからほど近いジュンベシ村に着いたのでした。
  下の写真は途中で見かけたヤクです。ヤクは高地に住む牛の仲間で、4000m以上でも平気ですが低地だと逆に生きていけません。その下はジュンベシの手前の崖に彫り込んであるサンスクリット文字で、一文字一文字が人間の背たけより大きいのです。

ヤク

ヤク

岩絵

岩絵

  標高2700mのここジュンベシからさらに先のタクシンドゥに進むルートは2つあります。一つは4000m級の峠を越えて2日がかりでタクシンドゥに抜けるコース。もう一つはほとんどアップダウンの無い、1日でタクシンドゥに着くコースです。
  当然トレッカーが歩くのは後者のコースで、前者は高山病の危険もありロッジ等もないため、それこそよほどの物好きでない限り歩きません。
  トゥテンチェリン・ゴンパはこの前者のコース上にある世間から隔絶された僧院なのです。
  次回はこの僧院と、偶然にも知ることとなったその内部を御紹介します。

シバラットリ

2018年2月1日
  シバラットリとは何か?これは早い話ヒンドゥー教の最高神の一柱であるシバ神とその妻パールバーディーとの結婚式の日のことです。小さなものは毎月あって、年に一度のマハー・シバラットリ(偉大なシバ神の夜)には盛大なお祭りが催されます。晦日と大晦日みたいですね。
  ちなみに古事記によると日本でも史上初めての結婚式は伊邪那岐と伊邪那美の二神によるものという事になっております。しかし残念ながら肝心の日どりが記録されていないため日本では特に記念日にはなっていません。

  このシバラットリ、日本とは違うネパールの暦に従っているため年によって開催日はまちまちです。おおむね西暦でいうと2月〜3月に開かれていまして今年は今月の13日だそうです。2月に行われる場合は夜は結構冷え込みます。店長はそれで一度風邪を引きました。
  会場は首都カトマンズの東にあるパシュパティナートという由緒あるお寺で、伝説によるとシバ神が一時滞在したことがあると伝えられています。またこの日だけは大麻を吸ってもよい事になっているためその辺で吸っている人達がたくさんいます。またそのせいなのかどうか分かりませんが道端で踊り狂っている人たちもたくさん見かけます。
  麻薬は「ダメ、絶対!」が常識の日本人には非常に不謹慎かつ異様な光景です。しかし昔からの伝統でもあり宗教行事と一体化している事もあって禁止にはできないのでしょう。こと宗教に関してはおそろしく保守的な人達なのです、ネパール人は。(注.もちろんネパールでも普段は大麻を吸うと警察に逮捕されますのでご注意ください。また祭の当日でも法的によい事になっている訳ではなく祭りの一環として見逃してくれているだけらしいので、よい子のみなさんはくれぐれもマネをしないように...)

  異教徒の店長には神様の結婚式ということくらいしかわからないこのシバラットリは、ヒンドゥー教徒にとっては非常に重要な意味合いを持った日らしいのです。シバラットリの日はネパールのみならず同じヒンドゥー教の国であるインドからも大勢の信者がやって来ます。当店のスタッフは人出の半分はインド人だと言っているくらいです。とにかく大勢です。広大な寺院とその周辺の森が人でごった返します。何万人いるんだか見当もつきません、そのくらい人が集まる一大祭典なのです。
  そうやって集まってくる信者の中でも特異と言ってよいのはサードゥ達でしょう。サードゥと言いますのは、何と言ったものか、苦行僧とも聖者とも魔術師とも言えるヒンドゥー教の修行をしているお坊さんのことです。下の写真を御覧下さい。

シバラットリ

  パッと見浮浪者のようですが、とんでもない! 信者からはかなり尊敬されているようです。基本的に何も所有せず中には体中に灰を塗っただけの全裸(服さえも所有しない)の人もいて、さすがに都市部ではちょっとイタイ場面も見受けられます。
  そんなこんなのうちに夜になり、祭りはさらに盛り上ります。現在はもうネパールは王国ではなくなってしまいましたが、ちょっと前までは祭りの日の夜7時くらいになると国王と王族が国民の前に姿を見せたものです。下がその時の写真です。

シバラットリ

  ここしばらくは店長も行っていないのでわかりませんが、現在はひょっとしてネパールの首相あたりが顔を出しているのかもしれません。祭りが終わるとあたりには膨大な量の豪華なお供え物が残され、寺周辺の森を根城にしているサル達はごちそうの食べ放題となります。

シバラットリ

  それでなくても寺周辺のサル達は普段からお供え物の余り物などを労せず口にしている上に、年に一度の大ごちそうとは! サルに生まれるならパシュパティナートのサルに生まれたいものです。

アヴァターラ

2018年1月1日
  何年か前に「アバター」という映画がありました。当時は珍しかった3D映画ということで好評を博し、確か映画の興行収入で歴代一位を記録したはずですので見に行った方も多いと思います。
  映画の中では人工的に作った体に主人公の神経を無線で接続して、カプセルの中で眠った状態の主人公がその体を自由に動かせるようになっています。この第二の体こそが映画のタイトルにもなっているアバターです。
  このアバターという言葉は最近ではゲームの世界でよく使われており、ゲーム世界での自分自身のキャラクターのことを表す言葉になっています。

  皆さんはアバターの語源をご存知でしょうか? 店長はつい最近知りました。なんとヒンドゥー教で神様の化身(けしん)の事をアヴァターラと言い、これが英語のアバター(avatar)になったのです。ヒンドゥー教寺院であふれかえっているネパールに活動の拠点を持ちながら今まで気づかなかったとは不覚です。
  ヒンドゥー教では神様が一時的に人間や動物に転生して人間界に現れることがよくあります。それが化身すなわちアヴァターラです。例えて言うなら、科学特捜隊のハヤタ隊員はウルトラマンが仮に人間の姿を取ったものなのでその意味でアヴァターラと言えます。
  では水戸黄門が越後のちりめん問屋の隠居という仮の姿でいるのもアヴァターラといって言えなくも…いやこれは無理があります。アヴァターラは神や魔族など人外の存在が転生した姿でなくてはならないからです。

  ネパールで人気が高いアヴァターラに維持神ビシュヌのアヴァターラがあります。維持神である彼は世界の秩序を維持するのが仕事です。このビシュヌというのはかなり正義のヒーロー的な神様で、何かが原因で世界が大幅に破壊されたり、秩序が取り返しがつかないほどに乱れそうになるとアヴァターラとして人間界に姿を現し、その原因を取り除くのです。まさにヒーロー降臨です。下の写真がビシュヌです。

アバター

  ビシュヌには10の代表的なアヴァターラがあります。世界の危機の原因はたくさんありますのでアヴァターラもたくさん必要な訳です。そのうちのいくつかを紹介します。
  下の写真はバクタプルのある寺院の石像です。パッと見は下半身に魚が食い付いた人間のようです。しかし本人は落ち着いており慌てている様子がないのでどうやら食われているわけではなさそうです。人魚かとも思いましたが、魚の目や口がはっきりと描かれているのでこれも違うようです。この正体不明の彫刻の正体こそマツヤというアヴァターラだったのです。魚の口から上半身がはみ出しているのがビシュヌで、この魚がビシュヌの化身であることを表しています。
  今から数万年前マツヤは世界的な洪水が起こることを人間に知らせ、人間とすべての植物の種を乗せた巨大な船を作らせました。洪水が起こるとマツヤはかろうじて水から顔を出していたヒマラヤ山頂までその船を引っ張って行って人類を滅亡から救ったのです。水の中で自在に動くために魚の姿を取ったのですね。ご存じのように聖書にも同じような話があります。

アバター

  下の写真はナラシンハです。見ての通り頭がライオンで体が人間という姿をしています。この姿でなければ解決できない危機があったのです。
  昔々ヒラニヤカシプという魔族がいました。彼はビシュヌに倒された兄弟の敵を討つため厳しい苦行を積んだ結果、それに感心した創造神ブラフマーから(多分ヒラニヤカシプの修行の動機を知らなかったのでしょう)大きな力を与えられます。その力は「神にも魔族にも殺されず、人間にも動物にも殺されず、昼でも夜でも家の中でも外でも地上でも空中でも殺されず、どんな武器によっても殺されない」という超絶無敵の力でした。

アバター

  チートと言うかインチキと言うか、とにかくこの力を使ってヒラニヤカシプはたちまち天上界・地上界・冥界の3世界を制覇し、魔族の王として君臨しました。戦いの神インドラが持つ大量破壊兵器ヴァジュラをもってしてもヒラニヤカシプに傷一つ付けられず、どの神も彼を止めることはできませんでした。それどころか神々は全員天上の宮殿から追い出されて雲の後ろに隠れてコソコソ暮らしている始末です。
  力を与えてしまったブラフマーに責任を取ってもらいたいところですが、彼は芸術家肌の創造神なのでは創造的なこと以外は何にもしません。
  世は乱れに乱れました。そうですそんな時に現れるのが維持神ビシュヌのアヴァターラです。でもこの超絶無敵の魔族をどうやって打ち破ったのでしょうか?

  具体的にはこんな具合でした。

  夕暮れ時の事でした、天上の宮殿に居座ったヒラニヤカシプは自分の息子を叱っていました。なぜなら息子が事もあろうに大嫌いなビシュヌを信仰していたからです。ビシュヌはどこにでもいると主張する息子に対してキレたヒラニヤカシプが「どこにでもいるというならお前を助ける者がこの柱の中にもいるはずだな、見せてもらおうか!」と言って柱を殴ると、たちまち柱の中から現れたのがビシュヌのアヴァターラであるナラシンハだったのです。
  獣面人身のナラシンハはヒラニヤカシプを引っ掴むと宮殿の中と外の境界である門まで行き、ヒラニヤカシプを自分の腿の上に乗せて、素手で彼を引き裂いたのでした。折しもちょうど日が沈む瞬間でした。
  つまり人でも獣でもない生き物が昼でも夜でもない時間帯に家の中と外の境界上で地上でも空中でもない腿の上で武器を使わずに素手で殺した訳です。かくして世界は
神の手によって魔族から奪還されました。
  写真はまさにヒラニヤカシプの腹を裂いている場面ですね、腸がはみ出しています。
  その後行われた世界奪還祝賀会にはブラフマーもちゃっかり出席していたことを付け加えておきます。

  まだまだあります、以前店長日記で紹介したラーマーヤナのラーマ王子(下の写真の左)もビシュヌのアヴァターラの一つです。
  このケースでは敵の羅刹王ラーヴァナに「神には殺されない」という力が授けられていたため、ヴィシュヌはラーマ王子という人間に転生して戦ったのでした。ちなみにこの迷惑な力をラーヴァナに授けたのもやはり上記の創造神ブラフマーです、全然懲りてませんね。

  下の写真の右側もビシュヌのアヴァターラでヴァラーハと言います。イノシシの姿をしているのはかつて大地が海に沈んで生物が絶滅しかけた時に海底の大地を引っかけて持ち上げるために牙が必要だったからです。

アバター

  一説にはビシュヌには無数のアヴァターラがあるそうですので、もうこの場では紹介しきれません。我々になじみ深い仏陀(いわゆるお釈迦様)もそのうちの一つだと言われています。日本人にとってはにわかには納得しがたい事ですが....。

  このアヴァターラが分かると、それまでただの怪獣図鑑のように見えていた寺院の彫刻や壁画がちょっぴり理解できるようになって寺院巡りが楽しくなります。

チベット仏教はグローバル

2017年12月1日
  以前店長日記でチベット仏教の話をしました。日本で普通に見かける仏教とはだいぶちがった仏教ではありますが、ヒンドゥー教徒が圧倒的に多いネパールでも山間部ではチベット仏教が一定の勢力と信者を保持しています。特に山奥に行けば行くほどチベット仏教色は濃くなり住民の生活に与える影響も大きくなります。
  アンナプルナ山域のナワルという村を例にとってみましょう。村の標高は3,650m、推定人口300人の静かな村です。村のメインストリートに面して大きなお堂があり中には2mを超える巨大なマニ車が納まっていて、これは1回まわすと優に100回分くらいお経をとなえるのと同じ効果がありそうです。
(ちなみにマニ車とは円筒状の容器にお経が詰め込まれたもので、これを一回廻すと中のお経を一回唱えたことになるというインチキ臭くも便利なチベット仏教の発明品です)

グローバル

  また村内を流れる小川には水力を利用して自分で勝手にまわる全自動マニ車が設置され、村人のかわりに1日24時間功徳を積んでくれます。下の写真の小屋の中に水力マニ車が設置されています。

グローバル

  この村の北西の少し高くなった場所にこの村を見おろすようにチベット仏教寺院があり、この村の年中行事や日々の生活までガッチリとこの寺が取り仕切っています。更に村のすべての家の屋根にはチベット旗がはためいていて、もう村内はチベット仏教一色です。別にナワル村が特別なのではありません。ヒマラヤの山奥ではどの村も似たりよったりなのです。日本の街や村にも寺や神社はありますが、日本ではここまで寺社が地域と一体化した町村はそうはないでしょう。下の写真がその寺です。

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  この山奥の寺を世界から孤立した一地方寺院と侮ってはいけません。驚くべき事に山村にある寺院はそのエリアを束ねる大寺院のネットワークに組み込まれており、大寺院もネパールの首都カトマンズにあるボウダナートなどの宗主寺院に組み込まれ、さらにネパール各地の宗主寺院は遠くインドの大寺院とも深いつながりを持った巨大なネットワークを形成しているのです。このネットワークは単なる形だけの姉妹都市的なものではなく各地の僧侶たちはヒマラヤの山奥から1000km以上も離れたインドの大寺院との間で人材交流を行ったりしているとてもアクティブなものなのです。
  「俗世から離れ、孤高に生きる修行僧」どころではありません。パソコンを使いこなし英語をあやつる彼らは一流企業に務めるサラリーマンのようです。
  とは言えそれは全体で見ればごく一部の高僧の話で、残りの大部分の僧侶の軸足は常に自分の故郷の山奥の村にあります。ごく特別な機会で地元を離れる以外は彼らは地域の要でありかつ質素で静かな学究の徒なのです。

街中の怪物達

2017年11月1日
  ネパールのカトマンズ盆地内にある三つの都、カトマンズ・パタン・バクタプルは古い寺院や宗教施設が数多く残っている事からユネスコに世界文化遺産として登録されています。まあ京都のヒンドゥー教版だと思ってください。
  したがって町中が木彫りや彫金や石や鋳物でできた工芸品であふれているのですが、中でも特に目を引くのが怪物達です。

怪物

怪物

  上の写真を御覧下さい。上は青銅製の怪獣を象ったもので水場でよく見られます。その下は彫刻が施された木製の扉とその取っ手です。どちらも手が込んだリアルな出来映えではありませんか。京都にも鬼瓦や神像はありますがネパールではその密度が非常に高く、本当にどこにでも、まるでポスターや広告の看板のようにあるのです。

  怪物の中には精緻なものばかりではなく素朴なものやユーモラスなものもたくさんあります。下の写真を御覧下さい。上側はバクタプルの路傍に立つ石の柱です。
高さは子供の背丈ほどです。下側は川っぺりなどで見かける蛇神の像です。花で飾られてかわいいですね。

怪物

怪物

  こういう怪物たちを見ていて気が付いた事があります。それは日本古来の怪物達との類似性です。怪物たちの出所はかたやヒンドゥー神話、かたや神道や仏教であって互いに多少重なる部分はあっても大方はちがうはずなのに奇妙に似ているように見えて仕方ありません。

怪物

怪物

  上の二枚は室町時代に描かれた日本の百鬼夜行絵巻の一部です。下側の三つ目の鬼などは表情といい石の柱にそっくりです。

怪物

怪物

  こんどはヒンドゥー寺院の鐘の青銅の竜と江戸時代に描かれた暁斎百鬼画談にある雷雲の中の竜の図です。似ているでしょう?

怪物

怪物

  上側の写真はおそらく維持神ビシュヌのお供のガルーダだと思います。ガルーダは龍や蛇の天敵なので両足でナーガ(蛇の神様)をつかまえています。下側は絵巻の妖怪です。店長にはそっくりに見えます。

  更に下の写真などどうですか、これなどもう神と魔物のオンパレードで、百鬼夜行絵巻そのものです。

怪物

  このような怪物達に囲まれて日々を過ごしているネパール人は、怖い人達なのかと思いきゃ全くの逆で、非常に信心深く温和な人達です。きっと1000年前の京都に住む人達もこうだったのかもしれないと思わせてくれます。

パーティ

2017年10月1日
  日本では結婚式と葬式以外では親族・友人・ご近所さんを大量に招待して盛大に行う大規模なパーティーや催しはめずらしいと思います、まあ芸能人は別としてです。
  一方ネパールでは結婚式や葬式に匹敵する催しがいくつもあります。異教徒である店長には詳しくはわからないのですが、その一つに元服とでも言えばいいでしょうか男の子がある範囲の年齢に達したことを祝う宗教行事があります。
  パーティーに先立って子供は一旦出家します。出家といっても仏教ではなくヒンドゥー教なのでここは仏僧ではなくプジャリ(ヒンドゥーのお坊さん)の出番です。プジャリは子供の頭を丸めます。ただし髪の一部を残すのがポイントです。これがなかなかかわいいのです。もしネパールで後頭部にチョロリとしっぽのような髪が残った男の子を見かけたらそれだと思って間違いありません。
  さてパーティーはといいますと、店長が招かれた時の写真が下になります。ざっと400人は来ているでしょうか、大型ビルの3階と4階の2フロアを貸し切って歌あり踊りあり食べ放題飲み放題の大イベントです。最近街中では少数派になってしまった感のある伝統衣装サリーも、こういうハレの場では女性はほぼ全員が身に着けています。このあたりは日本の和服と同じですね。
  一方、男の方は伝統の民族衣装という訳でもなくただのスーツやちょっと上等な洋服という点も日本の感覚に似ています。

パーティ

  会場の中央のド派手な椅子に鎮座しているのは本日の主役である子供達です。男の子のイベントなのになぜ隣に女の子が座っているのか?それは経済的な事情なのです。これだけの大イベントですからそれに要するお金も下手をすると年収クラスです。少子高齢化のどこかの国と違ってここは子だくさんのネパールです、一人一人パーティーを開いていたら家がつぶれます。そこで子供や行事をいくつかまとめて一回のパーティーで済ませようという訳なのです。このパーティーの場合、名前は忘れましたが女の子の行事も兼ねていました。

パーティ

  この種のパーティーではまず飲み物とおつまみが出ます。つまみといってもかなり豪華なもので、油断するとこれだけでお腹いっぱいになってしまいますので、ここはこらえなくてはなりません。一時間もすると食事の準備が整い、別のフロアに案内されました。こらえた甲斐あって食事は超豪華バイキングです。その辺のレストランなんかじゃ食べられないパーティーの時だけの特別料理が並びます。ただ主役の子供達だけは座りっぱなしで飲み食いできずにいるのが誠に気の毒なのですが....。

パーティ

  更に会場の奥の方では生バンドの演奏があったりなどして、普段の質素な生活とのギャップが非常に激しいのが特徴です。ハレとケがはっきりしている点も一昔前までの日本と共通していますね。
  なんとなく会場の隅に神様の像がある事がこれが宗教行事であることを物語っていますが、誰も気にしていないようです。

パーティ

  確かこの家には小さな男の子がもう一人いたはずですので、明日からまた数年間お金を貯めてこの宗教行事に備えなければなりません。大変ですね....。

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