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バネ鋼

怪物達の名前(後編)

2021年8月1日

  前編ではヒンドゥー神話の宗教画や装飾が一見「怪奇」と「恐怖」に見えるが、それは無知のせいで見方が分からないだけであって、実は西洋の宗教画に勝るとも劣らない奥深さを持っている事が分かりかけてきた、という話をしました。
  例を挙げて説明しましょう。下の写真をご覧ください、町や村にある共同の水場の出水口に必ずと言っていいほど配置されている怪物です。これは水を操る獣で、名前をマカラと言います。実にイカしたデザインです。
 
怪物

怪物

  マカラはヒンドゥー教の聖なる河であるガンジス川に住み、その口から流れ出る水はガンジスの水なのです。またガンジス川の女神であるヴァルナやガンガー女神をその背に乗せて運ぶ神聖な役割を持つ生き物でもあります。そのため清い水がある所には水の守り神として高確率でこのマカラが描かれるのです。
  共同の水場で人々が清い水を汚したり争ったりしないように「神様が見てるぞ」という戒めの意味もあるのでしょう。そういう視点で見ると上の写真は怪物などではなく、人々が仲良く水を共有できるように水場を守る聖獣に見えてきます。

  次は寺院の入り口にあるトーラナ(半円形の額のようなもの)のモチーフとしては定番である怪物です。トーラナの真ん中上部にあるでかい顔と手がそれで、名をキールティムカと言います。
 
怪物

  何も知らなければ「お寺でよく見る怪物」でしかありません。しかしキールティムカにはこんな物語があります。

  昔々、アスラ(魔族)の王ジャランダーラがヒンドゥーの神であるシバに挑戦するために部下であるラーフをシバのもとに遣わしました。その挑戦とは「お前の嫁のパールバディをよこせ」という無茶なものでした。
  当然シバは激怒して額にある第三の目を輝かせました。するとそこから飢えたライオンが生まれたのです。おびえるラーフはシバの慈悲を乞いました。でもライオンはラーフを食い殺させるために生み出されたものですのでとても飢えていました。餌をやらなくては収まりません。どうするか?シバはライオンに言いました「自分自身の体を食べなさい」と。
  ライオンはそれに従って体を食べ、ついには顔(と手)だけが残りました。シバは自分の言いつけに従ったことをほめてそのライオンに栄光ある(サンスクリット語:キールティ)顔(サンスクリット語:ムカ)”キールティムカ”と名付け、今後は天上界にある自分の寺院の出入口を見張るように言いつけました。
  そういう訳で今でも寺院の出入口にはキールティムカが居るのです、シバ神の言い付けですから居なくてはならないのです。

  ネパールにトーラナは数あれどキールティムカの体部分が描かれているものを店長は見たことがありません。いくら探しても無駄です、自分で食べてしまったのですから無くて当然です。
  ちなみにトーラナの下部の左右には前述したマカラが配置されています。ちょっと分かりづらいかもしれませんがもう一度上の写真をよくご覧ください。外に向かって口から水を噴き出しているのがマカラです。
  西洋の宗教画で人物の配置や上下関係に意味があるのと同様に、キールティムカとマカラと神々の配置にも意味があります。上にいるキールティムカは天上界にいるため「天」を表し、下の左右にいるマカラは「海」や「川」を、中央の神々がいる場所は人間界とその住人を表しています。

  いかがでしょうか? 自分を犠牲にしてまでも神様の命令を忠実に守るキールティムカの物語はまるで旧約聖書のエピソードの一つのようです。物語やその意味が分かったうえで見ればトーラナから受ける印象は「怪奇」と「恐怖」から一転して「面白さ」や「感銘」へと変化するのではないでしょうか。

  ヒンドゥー教の聖典であるヴェーダやラーマーヤナなどの古伝書は、文字記録に残っているものだけでも一説には100巻を超える(ちなみに旧約聖書は全39巻、新約聖書は全27巻だそうです)膨大なものらしいです。
  その内容も複雑で、「ヒンドゥーに生まれることはできても、後からヒンドゥーになることはできない」という恐ろしい言葉があるように、異国人が後から学んで完全に理解するのは極めて困難なようです。
  ですから店長などはほんの入り口から中を覗いているようなものなのでしょう。あまり奥の方まで進む気もありませんが、ちょっと覗いただけでこんなにも豊かな世界が広がっていることが分かりました。

  宗教画一つをとってもこれなのです、ネパールを含む南アジア圏の他の分野も同様に知って理解さえすればきっともっと面白さが分かるに違いないのです。これからも店長のネパールに対する興味は尽きそうにありません。

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