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バネ鋼

怪物達の名前(前編)

2021年7月1日

  美術館で西洋絵画の展覧会が開かれると、作品の中にはかなりの確率で聖書を題材にした宗教画が含まれているような気がします。近代・現代の画家ではそれほどでもないかもしれませんが中世の画家の作品ではその傾向が強いのではないでしょうか。
  これは中世ヨーロッパではキリスト教の影響が非常に強かったため聖書のエピソードが画家の創造意欲を刺激したせいだと思います。
  加えて宗教画は画家のパトロンの肖像画と並んで売れ筋のモチーフであり、かつ教会や世間から良い評価を受けやすい無難な題材だったせいもあるのかもしれません。

  しかし、国民の大部分が仏教徒でキリスト教の素養に乏しい日本人がこのような宗教画を見ると困ったことが起きます。超一流の技術を駆使して迫力あるタッチで描かれた絵はそれ自体で十分素晴らしいものです、しかしいかんせん描かれている状況が理解できません。
  理解できなければ作者がそこに込めたであろう意味や感情が伝わりにくいのです。

怪物

  これは16世紀の画家サイモン・ド・マイルが描いた絵です。この絵の題材はあまりにも有名なため日本人でも一発で「ノアの方舟」だとわかります。でももしキリスト教を全く知らない人がこの絵を見たら何だと思うでしょうか?
  陸上にある大きな木の船、荒れた大地に群なす動物、動物の種類は妙に多くてしかも必ず2匹ずつ。一つ一つは分かっても全体として何が何だか分かりません。

  前置きが長くなってしまいました。店長が拠点を置くネパールにはヒンドゥー教の寺院がいくらでもあります。特に首都カトマンズや周辺都市のバクタプルなどは寺院で溢れ返っていると言っていいでしょう。
  そして寺院は宗教的な彫刻や絵画や各種細工物でこれでもかというくらい飾られているのです。今から20年以上も前、ネパールに通い始めたころはこの装飾に圧倒されました。
  そこで店長は困りました。宗教的な彫刻や絵画が理解できないのです。仏教のお寺ならそれでもまあ何とかわかる部分もあるでしょうが、これはヒンドゥー教のお寺です、分かりゃしません。

  しかも描かれている絵は生首がぶら下がっていたり髑髏が並んでいたりします。彫刻は各種怪物のオンパレードです。手が10本あったり頭が10個あったりします。皮膚の色が赤かったり青かったり、舌が長く伸びてたりします。
  全体から受ける印象は『怪奇』と恐怖以外の何物でもありません。修学旅行でネパールに来たのなら夜の肝試しはヒンドゥー寺院に決定です。
  下の写真はその辺で見かける怪物達の絵画や彫刻の例です。

怪物

怪物

怪物
 
怪物

  しかしここで思い出してほしいのが「ノアの箱舟」の例です。ヒンドゥー寺院の絵画も宗教画である以上、生首や髑髏の残酷なシーンは何らかのヒンドゥー神話のエピソードを表したものであり、怪物達は神話の登場人物であるはずなのです。

  『怪奇』と恐怖は店長の無知から来ています。キリスト教の宗教画だってイエス・キリストの磔刑の場面などは人が柱に釘付けにされて槍で突かれているのですから知らない人が見れば相当残酷なシーンです。
  でもキリスト教徒が見れば磔刑の場面は一転して
神聖な場面になります。描かれているのは、「処刑された罪人」ではなく「人類の罪を背負った救世主」なのですから。
 描かれた題材を理解しているかどうかでここまで受ける印象が違ってくるのです。

  さて、話をネパールに戻します。上記のように店長がネパールと関わりを持った当初は
『怪奇』と恐怖のヒンドゥー寺院だった訳ですが、それから20年以上たった今ようやく理解が追い付いてまいりました。
  ヒンドゥー神話を紐解くと、絵画や彫刻の怪物達は無名無個性の魑魅魍魎などではなく、怪物たち一匹一匹に名前があり、固有の物語や背景があり、神様や人間との繋がりがあることが分かったのです。

  不思議なことに名前とキャラが与えられたことであの怪物達のオンパレードが全く違って見えてきました。『怪奇』と恐怖は消え去り、神聖とまではいきませんが感銘を受けるようになってきたのです。

次回「怪物達の名前(後編)」に続く

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