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バネ鋼

山奥のパン食文化

2020年11月1日

  世界には「なぜこんな所に?」と思うような場所に意外な食べ物が根付いている事があります。その食べ物が地域の伝統料理や食習慣や歴史とは一見無関係に思えるにもかかわらず、です。 

  20年以上前にラオスに行った時の事です。都市部ならまだしもなぜか相当山奥に行っても地元の市場のあちこちにフランスパンとワッフルが並んでいました。ネズミやオオトカゲの肉と一緒に並んでいるのです、その場違いさは半端ではありません。
  しかもいい加減な作りのものではなく日本のパン屋さんに並んでいてもおかしくないクォリティです。さすがに時間が経つと湿気を吸ってパリパリ感がなくなってしまう(ラオスは熱帯モンスーン気候なので)のは残念でしたが味も上々です。地元の人たちも普通に買って普通に食べています。

  もともと米食であるはずのラオスの山奥にフランスパンがなぜ根付いているのか? ラオス人の先祖はフランス人なのか? 実はあれはフランスパンではなく偶然フランスパンに酷似した伝統食なのか? たまたまフランス人が集団移民した村だったのか? 店長にはまったく理由が分からず不思議な気持ちのまま帰国しました。
  帰ってから調べて分かりました。ラオスは、ほんの短い期間だけ日本に統治されたりもしましたが、19世紀末から約60年間フランスの保護国(というかほとんど植民地)だったのです。
  その当時にフランスパンの味を知ったラオス国民は、独立してから半世紀以上が経った現在でもフランスパンの美味しさを忘れていなかったのです、美味しさは正義です。なるほどと店長も思ったものです。


  さて前置きが長くなってしまいました、実はつい昨年の5月に同じような体験をしたのです。
  ネパールのヒマラヤ山脈にアンナプルナという8,000m級の山があります。過去登山者が60人以上死亡している魔の山です。この山のちょうど裏側にマナンという村があるのです。
  首都カトマンズから半日バスに揺られて、更にジープに乗りついでまた半日かかってようやく訪れることができる標高3,500mの村です。ほとんど富士山と同じ高さですね。
  これでも便利になった方です。ちょっと前までは夏でもふもとから歩いて1週間、冬場は到達すること自体がほぼ不可能だった超山奥の村なのです。

パン

パン

  上の写真のような何の変哲もない山奥の村で店長は美味しいパンに出会ったのです。村の中にはパン屋が少なくとも4件あり、ショーウインドウには各種パンが山積みになっていました。
  単なる白パンだけでなく、定番のアップルパイからガトーショコラやクロワッサンまでありました(でもアンパンはありませんでした)。
  この時期はトレッカーが少なく我々の泊ったロッジも客は我々だけでした。にもかかわらずこの量と品揃えという事は、それだけ村人によって消費されているという事です。
  考えてもみてください。標高3,500mはただでさえ小麦の栽培には厳しいギリギリの環境です。それにこのあたりのチベット系の住民たちの主食は標高が高くても栽培できる大麦から作るツァンパか、ソバやトウモロコシの粉から作るディエロです。
  栽培しにくい小麦を使ってわざわざ伝統や食習慣からかけ離れたパンを作る理由が店長には思いつきません。

  地元の人は食べずにトレッカー相手に売っている、というなら分かります。ちょっと気の利いた宿ではメニューにアップルパイなどがあり、トレッカーがたまに注文してたりするからです。しかしそうではありません、それではトレッカーが少ないこの時期にこの販売量を説明できません。
  またこのエリアでこの村以外ではパン屋を見かけないのも不思議です。なぜこの村だけでかくも普通にパンが食べられているのでしょうか?

  店長が泊まったロッジの食堂にも花瓶に花ならぬ麦が生けられていました。

パン

パン

  この村に至るまでの他の村々の畑に生えていた麦とは明らかに外見が違います。そう、これは小麦、しかもパン小麦の特徴を備えています。
  どうやらこの村で使っている小麦粉は下界から運んできたものではなく、この村で作られたものらしいです。この村でパンが自給自足されている可能性が濃厚になりました。
 
  隣の花瓶には下の写真のような周辺の村でもよく見る大麦が生けられていました。上の写真とは麦粒の形が全く別物です。

パン

パン

  結局滞在中に謎は解けず、不思議な気持ちを抱えたまま下山しました。帰国してからも調べてみたのですが、それらしい文献は発見できずこの村とパンのつながりはいまだ謎のままです。どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか?

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