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バネ鋼

トゥテンチェリン・ゴンパへ その2

2018年4月1日
  ジュンベシ村はゆるやかな川沿いという事もあってこの高度のヒマラヤ山中にしてはまとまった平地がある所です。
  村にはそこそこ大きな僧院があって、ロッジも多くこの辺りでは一番大きな村かもしれません。下の写真のように家々も立派です。

ゴンパ

  ここから東に進むのがメインのトレッキングルートです。しかしあえて北の川上に進むこと1時間半、右手の山の中腹に大きな建造物が見えてきます。4階建ての巨大な僧院(ゴンパ)です。そしてその後ろには山全体を覆い隠すようにタルチョーがたなびいています。

ゴンパ

ゴンパ

ゴンパ

  タルチョーは五色の祈祷旗の事で、ぱっと見は運動会かなんかでよく見る万国旗のようです。チベット仏教ではこれが風にたなびくたびに読経したのと同じ事になると見なされています。つまりこの地域に風が吹くと山全体が読経するという壮大な仕掛けになっているのです。店長はタルチョーをマニ車(これも回すと読経した事になる)と並ぶ、2大手抜き仏教法具だと思っています。
  話を僧院に戻しましょう。店長はジュンベシ村を朝7:30に出て色々寄り道しているうちにジャガイモ袋をかついだ11歳ぐらいの少年と行き会いました。話をしてみると目的地が同じトゥテンチェリンゴンパだとわかったので一緒に行く事にしました。どうやらゴンパに食料を運ぶのがこの子の仕事のようです。

  ゴンパに着くと、ちょうどお腹もすいてきたことだし、どこかに食堂くらいあるだろうとその子に場所を聞いていたところ、かなり偉そうな身なりの僧侶が通りかかり、「こちらでお茶を飲んでいきなさい。食事も出しましょう」と声をかけてくれました。なんて親切なのでしょう。渡りに船とばかり後についていくと体育館のように大きなお堂に通されました。てっきりそこが食堂なのかと思いきゃ、中にはざっと150人ほどの僧侶達が座ってお経をとなえているではありませんか。
  ここまで案内してくれた僧侶は茫然としている店長を末席に座らせると、上座の2段ほど高くなっている席に座り、同じようにお経をとなえ出しました。
…あの、お茶はどうなったのでしょうか?

ゴンパ

ゴンパ

  150人が唱和するお経は荘厳なうねりとなってお堂を満たしていました。お堂の内壁も壁一面が仏画で覆いつくされ、天井にはなぜかシャンデリアまで下がっています。撮影の許可はもらっていたので読経のじゃまになりそうなフラッシュは使わずに自分の席から静かに何枚か写真を撮らせてもらいました。
  まあお茶はあきらめるとしても、席を立って部屋から出られる雰囲気ではさらさらなく、この時点で帰るタイミングを完全に失っておりました。周囲の僧たちはチラチラと不審そうな視線を送って来ます。そうですここはお経をとなえる場なのです、僧侶以外の者が居て良い場所ではありません。もはや店長も一緒にお経をとなえるより他に選択肢はありません。
  ところが店長はお経なんてこれっぽっちも知りません。しかたがないので知っている日本の歌の歌詞をえんえんと唱える事にしました。多分僧たちには外国語でお経をとなえているように聞こえたはずです。
  40分ほどするとやかんを持ったお坊さんたちが全員にバター茶をそそいで回り始めました(下の写真)。やっとお茶の時間です。しかし読経は止まりません。誰も飲もうとしないため店長も飲めません。

ゴンパ

  待つこと10分、どこからかチーンという澄んだ音が聞こえてくると、それが合図なのでしょう、読経の声が小さくなって声を出す合間にお茶を飲みだしました。ようやくお茶が飲めます。
  この後、約40分おきにバター茶やミルクティーが配られ、親切な人達なので断ってもニコニコしながらなみなみと注いでくれます。結果、店長の膀胱は限界に近づいて行きました。
  周囲を注意深く観察すると、時々音もなく席を立って数分後に戻ってくる僧侶がいます。トイレに行っているに違いありません。次に僧侶の一人が席を立ったタイミングで一緒にトイレに行く事が出来ました。
  店長が読経(?)を初めて2時間40分が経過し、知っている歌の歌詞をすべて暗唱し尽くして2周目に入ろうとする頃、ついに直径60cmはあろうかという金属製の洗面器に山盛りになった白米が運ばれて来ました。
待ちに待ったランチタイムです。
  と言ってもお茶の時と同じく読経が完全にやむわけではなく、その場に座ったまま食べる人は食べて、食べ終わったらそのまま読経に戻るといった感じです。
  うかうかしてたら全員が食べ終わってしまい、今までの流れからしておそらく夕方まで読経が続くのだと悟った店長は、このタイミングを逃さず全速力で食べ終わって周囲の人とここまで案内してくれた僧侶に暇乞いをしてお堂を後にしたのでした。御本尊のある本堂でお布施をして外に出た時にはもう午後2時を過ぎていました。

  貴重な体験でした。21世紀の現在でもヒマラヤの片隅で日々このような勤行を行って暮らしている人達がいるのです。おそらくは何百年も前から、かくもひっそりとかつ大規模に、です。
  彼らの生活は我々の普段の生活と比べると全く異質なものです。にもかかわらずこのゴンパに限らず他のゴンパでも外国人に対して大抵とても親切なのです。異質な他者に対して非常に寛容かつフレンドリーな所はチベット仏教の大きな美点だと思います。
  どこかの国にも見習って欲しいですね。

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